-Epilogue 02-
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「「あなた誰?」」
久し振りに、気の抜ける環境でゆっくりと過ごせると思いながら扉を開けた途端に、見知った女の子二人にそう問い掛けられた。
頭が痛くなる。物理的にではなく、悩みの種による頭痛という意味で。
「……立花 涼ですけど」
不満たらたらな声で僕は名前を述べ、靴を脱いで部屋に上がる。
「今日は隕石が落ちる日だ。絶対そうだ。そうに違いない」
おかしくなことを言い始めた理沙が窓を開けて、どんよりとした雲を眺める。気のせいか、顔は青褪めている。まさか本気で隕石でも落ちて来ると思っているのか、こいつは。
「どういう意味だ」
「だって、涼が髪を切るなんて……その鬱陶しい前髪を切っちゃうなんて」
「鬱陶しいはよけいだし」
「とにかく、なんで髪を切ったの。あのボサボサな髪で鬱々に曇った目を隠していた卑屈な涼が、どうして髪を切っちゃったの」
その言い方だと、まるで髪を切らなかった僕の方が良かったみたいな言い草だからな。その割に、言っていることは僕の心を折りに来ているようにしか考えられない。
「頭から出血していたから、三針縫ったんだ。医者が『とにかく邪魔だね、その髪の毛。いや、邪魔じゃないんだけどね』って愚痴ったから、腹が立ったんで、退院してから、いつものカウンセリングを受けたあとに、美容院に行って切ってもらった」
臨床心理士に続いて、医者まで変わり者だったなんて誰が思うか。でも、あの臨床心理士はVRゲームで心を病んでしまった人を対象としてカウンセリングをしている人だから、変わり者ぐらいでないとやって行けないのかも知れない。
コミュニケーション能力の低い僕には『今日はどういった髪型にしますか』と聞かれても『あ、え……お任せします。あ、でも……こんな感じで』と挙動不審になりながらヘアカタログを指差しながら答えることしかできなかった。ヘアカタログに載っていたんだから流行っぽい髪型ではあるんだろう。あと、ワックスを使われたのは生まれて初めてだった。
しかし、切る前に比べたら随分とさっぱりした。清々しい気分でもあった。理沙と倉敷さんに「あなた誰?」と言われる前までは、の話だが。
「それよりも、なんで理沙と倉敷さんが居るんだ?」
僕の部屋はいつの間にこんな、女の子が二人来るような空間になってしまったんだよ。っていうか、僕はこの二人を引き合わせないために試行錯誤した過去があるんだけど?
「私は退院祝い」
「う……くぅっ。私も、退院祝い」
まず倉敷さんが淡々と言い、次に理沙が彼女を睨んだあと恨めしそうに言った。ほら、あからさまに対立してるじゃん。だから嫌だったんだよ。脳内でシミュレーションした通りのことになっているじゃんか。
「とても嬉しいんだけど、帰ってくれない? できれば二人揃って」
ハイペースなこの二人と、今日は絡みたくない。疲れるのだ、思いっ切り。まだ僕は英気を養わなければならない。病院から帰って来た途端にこれでは、参ってしまうじゃないか。
「右腕、骨折してるんでしょ?」
倉敷さんはギプスで固定されている僕の右腕を見ながら訊ねて来た。
「折れてない。ヒビが入っているだけ。左足は打撲で済んだけどね」
退院する前の話――つまり入院に至るまでの話になる。
パッチペッカーとの試合後、僕はログアウトをすぐに行うということはしなかった。脳が勘違いして、リアルにもし怪我を引きずったなら、倉敷さんみたいに意識を失うかもという不安を拭い去れなかったからだ。
最終的にログアウトをしたのは、二時間半後。つまり、理沙が僕の下宿先に到着したあとだ。
本来なら近場の倉敷さんに頼むところだったが、親の言い付けを無視したせいでログアウト後に説教されるハメになったらしく、しかも夜八時ということで外出も許可されなかったらしく、遠方の理沙に頼むしかなかったのだ。
にしても、遠くであっても来てくれるんだから理沙には本当に感謝しかない。
彼女の到着をゲーム内のメールで確認して、僕はログアウトしたのち、すぐにHMDを外し、神経接続ケーブルを引き抜いた。そして、全速力で部屋の鍵を開けて理沙を招き入れた。
その数秒後、プツッと耳元でなにかが切れる音がしたかと思えば、頭からダラダラと血が流れ出て、続いて右腕が軽い出血と共に激痛を訴え始めた。左足の脛は瞬く間に腫れ上がり、頭と腕と足の三箇所から来る激痛から僕はのた打ち回って意識を喪った。
次に目を覚ましたのが病院だったのは、理沙が救急車を呼んでくれたからだ。彼女がスマホで電話を掛けた瞬間は薄っすらと記憶に残っている。
入院中も頭は痛いし、ギプスで右腕は固定されていて思うように動けないし、左足は腫れが引くまで重心を掛けることもできないしで酷いものだった。病院食はまぁ、臓器が悪いわけでもなかったから食事制限も無かったし、思ったよりも美味しかった。
「ヒビ……どれくらい?」
「ほんの少しだけだって」
実際は「これもうほとんど折れてますねぇ」と医者にレントゲン写真を見せられながら言われたが、嘘をつく。昔は相当な期間を要していた骨折の治療も、今の医学なら一週間ほどで治るんだから、良い時代になったものだ。三針縫った頭の怪我だって、数日で痕は残るものの痛みが引くらしい。それほど医療は進歩している。
僕が近未来ではこうなるだろうと思っていたことが現実になりつつあることは、VRゲームが普及し始めてなんとなく分かっていたことだけれど、医療においてはその想像を軽く越えていた。
「その言い方だと怪しい」
「どこも怪しくないから」
「怪しいのは涼とその人の方でしょ!」
僕と倉敷さんの会話に割って入り、まるで敵かのように彼女を指差して理沙は言う。
そういや、まだ倉敷さんがテオドラだと話していないんだっけ。話さなければ理沙は倉敷さんのことを「僕の女友達」かなにかだと勘違いしたままになる。
「えーと、理沙?」
「な、なんで涼とそんな親しく……ってか、名前もまだ知らない!」
前半、ボソボソとした聞き取りにくい声で後半は上擦った声だった。驚くことに、この目の前に居る幼馴染みは動揺を露わにしていた。
頬は火照り、気分が高揚しているのか体をプルプルと揺らして、妙に落ち着いていない。ただでさえ落ち着きのない子なので、このままだと立ち上がって部屋の中を往復するように歩き出しそうだった。
「ほら、救急車で運ばれた人」
そのせいで話すタイミングを完璧に逃した。
「知ってる。涼がお見舞いに行った人」
「……そういう解釈なんだ?」
「こんな綺麗な人、そうそう居ないんだから憶えてるに決まってんじゃん! それと、私は涼にじゃなくて、その人自身に自己紹介をしてもらいたいの!」
えーっと、えーっと……どうしよう。もう話せる機会を失ったに等しいじゃないか。
だけどまだチャンスはある。倉敷さんがしっかりとテオドラであったことを理沙に伝えれば良いのだ。それだけでこの誤解は解けて円満解決に至る。
僕は倉敷さんに「お願いだから、一から十まで説明して」という意味を込めて視線を送る。
そんな必死のアイコンタクトに、倉敷さんはフッと微笑んで応答する。
「初めまして、倉敷 萌木です。立花君とはお付き合いさせてもらっています」
期待した僕がバカだった。
そう思った直後、ドカッと理沙に頭をぶん殴られた。
「痛いなぁ! ふざけんなよ! 三針縫ったって言っただろ! 傷口が開いたらどうしてくれるんだよ!」
切実な叫びを僕は口にする。それぐらい、今の一撃は強烈だった。
「これは一ヶ月前の対人戦で、私の言い付けを守らなかった罰! 憶えてるでしょ?!」
「だったら別のところを殴れよ!」
「だからこれからもう一発、殴る!」
「なんでだよ!」
理不尽過ぎる。
「私と付き合っているからじゃない?」
倉敷さんがトドメを刺した。この場合のトドメとは、理沙にではなく僕に、である。これはもう、殺されるかも知れない。
「り、りりり…………涼のバカァアアアアアア!!」
全身をワナワナと震わせながら罵声を浴びせ、理沙は鞄を片手に部屋を出て行ってしまう。
「あなたは最低だ」
「最低なのは二股していた立花君じゃない?」
「冗談がキツすぎて笑えない」
「今ならまだ間に合うだろうし、追い掛けて私の言ったことは全部、冗談だって説明すれば?」
「いや、追い掛けても殴られるだけだし」
もしくは蹴られる。どうやっても誤解を解けそうにないので僕は項垂れて、その場に座り込んだ。
取り敢えず、まぁ、少し時間を置こう。




