行き過ぎた自我
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「大丈夫?」
自分の代わりにパッチペッカーを倒すと約束してくれた立花君――リョウに私はチャットを飛ばす。
さっきの一撃は、きっとリョウ自身にも痛みを与えて来るほどの衝撃があったはずだ。それに怯えず、たじろがず、下降限界ギリギリで機体を持ち直させたから、きっと大丈夫なはずなんだけど、思わず安否の確認を取りたくなってしまった。
《くははは……良いよ……とっても、良い。痛くて、傷付けられて、けれど痛め付けられて傷付けることができる……だったらこの世界は、リアルとなんら変わらない世界じゃないか》
返答はあったものの、彼にはとっても似つかわしくない笑い方をしていて、体に寒気が走る。
「リョ、ウ?」
「リョウとチャットしていらっしゃるんですか?」
隣で対戦を観戦していた女の子――プレイヤーネームを確認したところ、ルーティさんが私に訊ねて来る。
「リョウはどんな返事を? なにか変なこと、喋っていませんでしたか?」
「あ、えっと……」
「答えてください!」
語意を強められて発言の強制力を得たそれに耐えられず、私はチャットのログをコンソール画面に表示させてルーティさんに見せる。
「リョウとは知り合いなんですか?」
一応、訊ねる。ルーティさんは変わらずチャットのログを確認していたものの、私の質問に肯いて答えた。
「……さっきの衝撃で自制が利かなくなり始めてるんだ」
慌てた様子でルーティさんもまたチャットのコンソール画面を開き、私に見せるようにして声を発する。
「リョウ! 聞こえてる? 聞こえてるなら、ちゃんと返事をして!」
《うるさい、邪魔するな》
ルーティさんのチャットログにリョウの返事が表示される。私の知るリョウはこんな発言をしない。リアルでは数回しか会っていないけど、彼の性格はもっと温厚で、どちらかと言うと物腰だって柔らかいはずだ。
「いいえ、邪魔する。分かっていると思うけど、“愚者”になったままで勝っても許さない。帰って来たらぶっ叩く。リアルでもその調子なら変わらずぶっ叩く。それでも元通りになってくれないなら、“嫌い”になるから」
《うるさい。うるさくてうるさくてうるさくてうるさくて、ウザい! なんなんだよ、人が折角、あの小生意気でクソなプレイヤーを痛め付けてやろうって気になっているのに、邪魔するのかよ?》
「だから邪魔するって言っているでしょ! 本当に嫌いになっちゃうからね、それでも良いの?! 早く答えなさい!」
この変貌に私は付いて行けていない。ただ二人のチャットだけを追うだけだった。
《……嫌だ。嫌われてしまうのは嫌だ。怖い。怖くて怖くて、逃げ出したい。体の痛みよりも、君に嫌われることの方がずっとずっと、心が痛い》
「だったら、さっさと自分を取り戻して。対戦相手だってずっと待っててくれるわけじゃない。リョウが痛みで悶えていると思っているから、それを嘲笑って様子見しているだけだよ」
《……そう、なんだ? だったら、凄くムカつくなぁ…………あれ? ちょっと記憶が飛んでいるんだけど、また変なこと口走ってた?》
激しく取り乱していたと思いきや、すぐに私の知るリョウに戻った。
「うん。だからリアルでは、グーパン決定。でも嫌いにはならないから、安心して」
《ルーティのグーパンは痛いからなぁ。でも、自我が壊れるよりはずっと良い》
そこで二人のチャットが終わる。
《大丈夫だよ、ティア。ちょっと、動揺していただけだから》
続いて私の方に落ち着いた声のリョウがチャットを飛ばして来る。
「あ、うん。頑張って……」
そしてチャットは切れた。
「リョウと知り合いなんですか?」
私がルーティさんに訊ねたことを、彼女が今度は私に訊ね返して来た。
「はい。あの……さっきのは、一体なんなんですか?」
「感受性が豊かなことは良いこととは言われますけど、リョウは行き過ぎてしまったんです。元々、陰湿で陰険で根暗で、コンプレックスを抱いているような面はありましたけど、今ほどじゃなかった。友達だって、居たんです。でも、留まらなきゃならない一歩をリョウは踏み出してしまいました。VRゲームにのめり込んで、自我を歪ませてしまった」
そういえば、一部のニュースサイトでVRゲームがアイデンティティの形成に大きな影響を与えてしまう恐れがあるというものを読んだことがある。
「一度、性格が歪んでしまったら元には戻らないって、読んだような……」
あれほど優しそうな男が、先ほどのような狂った一面を持っている。それが、何故だか酷く、酷く“かわいそう”だと思ってしまった。
「心理カウンセラーにもそう言われました。でも、リョウはギリギリ踏みとどまったんです。だから、中途半端に、壊れ掛けの自我が残ってしまっている。今のはきっと、パッチペッカーさんになにか言われて、抑えていた裏側が出ようとしたんだと思います」
「なんでそこまでリョウに詳しいんですか?」
「私は、彼の幼馴染みなので」
……脳内設定じゃなかったんだ。
そんな冗談を思い浮かべることはあっても、決して口にすることはなく、そして自身の皮肉に自嘲気味に笑うことさえなかった。
むしろ、どこか胸の奥に刺さる痛みに顔を歪ませてしまいそうになった。なにかを私はとても、残念がっているようだった。
「抑え込めたんですか?」
「恐らく、は。それで、あなたはリョウとどこで?」
この様子だと、テオドラと私が同一人物であることを伝えていないばかりか、テオドラの中身が女性であることさえリョウは伝えていないんだろう。彼なりに気を遣ってくれたのかも知れないけど、それは幼馴染みの彼女を裏切る行為にも思えてしまう。良いんだろうか、そんなので。
「ずっと、前に。一度、だけ。初心者だった私を、ナンパしてきたプレイヤーから助けてくれただけじゃなくて、オプションの使い方とか、この世界での常識、とか。そういうものをほんの少しだけ、教えてくれたことがあります。本人は、憶えていないみたいですけど」
これではテオドラとしての出会いについては話せない。ティアで初めて話をした時のことを話さざるを得なかった。
「あなたは私の知らなかった頃のリョウを知ってくれている人、ですか? だったら、この人たちの野次がどうしてリョウにも向けられているか分かりますか?」
この対戦の観戦者は非常に多い。ムカつくグッド・ラックや、『スリークラウン』のにゃおさん、そして『オラクルマイスター』のサールサーク卿まで居る。サールサーク卿はともかくとして、前者の二人はきっとリョウを応援してくれているだろう。そういう性格の人だ、あの二人は。
でも、そういったごく少数を除けば、残りのほとんどはパッチペッカーのみならず、リョウにまで汚い野次を飛ばしているのだ。そのことにルーティさんも気付いてしまったのだろう。
「どっちも正義じゃないから……」
敬語を忘れて、私はボヤくように話す。
「正義?」
「そう……どっちも、正しいことをしていないから」
「でも、リョウはなにも悪いことなんてしていません。パッチペッカーさんと戦うのだって、テオドラさんを助けるためって聞きました」
私は首を横に振る。
彼に会って、ファーストキャラのプレイヤーネームを教えてもらい、その後すぐに調べて分かった。
「ブラリ推奨プレイヤーの『リョウ』。機体名は『スティーリア』――今は『テトラ』だけど。防御特化型の機体でタンクをやるかと思えば、一人突出して戦闘を繰り返す。不利な状況に陥ると常に味方を守る位置取りを取って、勝手にダメージを受けて勝手に沈む」
ルーティさんは目を見開き、息を呑んだ。幼馴染みの知らない一面を、会ってまもない私に聞かされて、驚かないわけがない。
「……のめり込み過ぎた頃のリョウなら、そうなるのも……あり得ます、けど」
「リョウは『ブラリ推奨プレイヤー』のスレッドで殿堂入りしてる。聞いただけ、読んだだけなら私でも悪質極まりないと考える。チームの輪を乱すワンマンプレイヤー。それは迷惑行為以外のなにものでもない」
だから置いていたんだ、昔の自分を。そして、二度と拾いに行くつもりなんてなかったはずなのに、私が拾いに行かせてしまった。それをルーティさんに伝えることはできないけれど。
「だからあんなに、私に『そのスレッドは見るな』って言ってたんだ……」
彼女は愕然として、声が自然と上擦っている。
この言葉が、この見解が彼女の救いになるかどうかは分からないけど、私が思ったことだから伝えた方が良い。
「でも、こうも考えられる。リョウはチームが勝つことを優先していたんじゃないかって。盾となってチームメンバーを守るのは防御を固めたリョウの機体の方が耐久力の減りが少なくて済むから。私は、リョウのチーム戦における勝率を見てみたい。きっと、そこには異常なまでの勝利数によって刻まれた、誰にも真似することのできない数字があるに違いないから。幼馴染みのあなたなら、そう思うでしょ?」
「リョウは知っている人以外とは長く話もしないし……でも、とっても優しいんです。どれだけ自己中心的に動いていたのだとしても、そこにはきっと彼なりの優しさがあったはずで、でもそれを上手く表現できなかった。ティアさんは、リョウのことを信じてくれますか?」
「信じてる。ここに来ると決めたときから、ずっと」
どれだけ疎ましく思われていても、どれだけ罵られていても、あそこで戦っているリョウを私は悪く言ったりするものか。
彼の優しさを、彼の「助けてあげる」という言葉を私は信じて信じて信じ抜く。
手は再びチャットログを開き、ルーティさんに会話が見えるようにコンソール画面を動かしていた。
「聞こえる?」
《この忙しいときに、なにか用? 相手が余裕ぶっているところで一気に畳み掛けるつもりなんだけど》
「私は信じてるから」
《へぇ、リアルでもゲームでも、僕は迷惑を掛けっ放しだってことを知っちゃった? そういう気遣いはいらないって。好きなだけ、気持ち悪がれば良い》
「リョウは“弱者を守る盾”なんだよね? だったら、私たちを守ってよ。なんで、もう負けそうな声を出しているの? 諦めたりしたら許さないから」
《……あー、なんかもう疲れるなぁほんと。自分勝手に、誰かを一生懸命に守って……それなのに非難を浴びるようなことになって、なにもかも嫌になって……それなのに、やっぱりこのゲームは、楽しいね》
『ワンダースフィア』の下降限界地点でテトラが天を仰ぎ、そして自らに突き刺さった炎の刀を引き抜いたのち、真上に向かって飛翔する。
「うん、ゲームは楽しければそれで、良いんだよ。他の要素なんて、なんにもいらない」
《その意見に賛成。痛みはゲーム内だけで充分過ぎるほどに痛い》
「私がああなったんだよ? あなたも少しは覚悟した方が良いかもね」
《やだなー、でも……しょうがない。ちょっとばかり『スリークラウン』のリョウらしく、戦おうか。にゃおなら知っているだろうけど、見ても驚くのは無し、だよ?》
チャットは終わる。
きっと彼は勝つだろう。
何故だかそんな確信があった。




