怖いもの知らず
「ん、どうかした?」
理沙はなにやら勘繰って来た。
「なんでもない」
「……そっか」
どうやら、不安にさせるような顔をしていたらしい。まだ理沙はどこか納得できていないような顔をしていたが、やがて諦めて前を向いた。
「夕食の注文は? 言われたって作れないけど」
このままだと理沙がまたなにやら勘繰って来そうなので、自分から話題を切り出す。
「涼に任せるぐらいなら私が作るんだけど」
そういえば、僕よりは料理ができた気がする。いやでも、僕だってそれなりに料理は作ることができる。
ドングリの背比べと言われればそれまでだけど。
「毒とか盛らないよね」
「盛って欲しい?」
目を合わせると、素で怒っているのが分かったので、直後に逸らす。このままでは理沙のドSな脅迫じみた説教を喰らわされるだろうと怖れていたところで、スマホが鳴った。さすがの彼女も電話に出ることには文句を言うことはなく、開いていた口を何度か開け閉めしたあとムスッと黙り込んだ。
「もしもし」
『立花君?』
この声は倉敷さんか。スマホの画面を見ずに取ったせいで声が震えてしまっていた。普段から声を発する機会はあまり無い上に、僕はどちらかというと電話恐怖症とでも言うべきか、知らない人から掛かって来る電話に非常に怯えてしまうのだ。ちゃんと確認していれば、こんな声を倉敷さんに聞かせることもなかったはずなんだけど。
でもまぁ、カッコつけてなにかが変わるわけでもない。これからも倉敷さんが僕に関わって来る存在であるのなら、先に醜い部分を晒してしまった方が楽である。それで僕を見限ってくれても構わない。普段通りの生活に戻るだけであり、僕のスマホの電話帳アプリから彼女の連絡先が永久に消えるだけである。
それを悲しいとか、辛いとか、そういうものを感じないように昨日の内に期待しないようにあらゆる邪な感情は断ち切った……と思う。
これ以上は望まない。これ以下でも構わない。ただ、今の状態が心地良い。変化なんてものは、やっぱりチャレンジ精神が豊富な人以外は求めちゃ駄目なものなのだ。
そんな風に結論付けてはみたものの、どこかでそれを否定したい自分が居る。けれど、このまま自分自身と見つめ続けていると倉敷さんとの通話に支障をきたすので、早急に要件を言ってもらおう。
「このスマホは僕のなんだから、僕以外に出ないと思うんだけど」
『言われてみれば、その通りね』
クスッと笑う声が電話口から聞こえる。その笑い声に全身がなにやら痺れ掛けるというか、快感物質的ななのかが脳から放出されたと思われるが、首を小さく横に振って誤魔化す。
「なにか用?」
『これからそっちに行こうと思うんだけど、都合良い?』
…………あのさぁ。
「今日?」
『うん』
「別の日は?」
『できる限り、今日が良い。顔を合わせて話したいことがあるの』
「……無いな」
理沙と倉敷さん。その二人の相性をシミュレーションしてみる。
すると、僕に恐るべき不幸が押し寄せるであろうという結果が出たため、即座に思い浮かんだ案を却下した。
「ちょっと待って。すぐにこっちから掛け直すから」
『えー……まぁ、良いけど』
渋っていたが納得してもらえたようで、通話を一旦切る。
「電話の相手、誰?」
理沙はジト目だった。明らかに怪しんでいる。
いや、なにを怪しんでいるんだよ。こんな僕に彼女ができると思っているのか、お前は。
理沙は泊まること前提で僕のところに来ている。それは、二人切りを望んでいるってことだ。そんなところに倉敷さんを投入することはできない。友好を結べる関係であっても、ファーストコンタクトが最悪な形であったなら、それはきっと成立しないのだ。
「今日、僕の部屋に友達が来るって言ったらどうする?」
「ぶん殴る」
「だよなー、暴力行為が即答で口にできる理沙さんマジパネェッす」
滅多に使わない言い回しで返答して、場を乗り切ろうとするが、理沙の勘繰りの視線がより一層、増してしまった。
あと何回、僕は彼女のこの勘繰りの目と立ち向かわなきゃならないんだ。よっぽど僕に女友達が居て欲しくないらしい。それ、幼馴染みとしてどうなの?
ともかくも、僕は着信履歴から倉敷さんの番号を呼び出してリダイヤルする。
『オッケー?』
倉敷さんは電話に出た途端に、同意を求めてくる。
「今日は予定が入っていて、遠慮してもらいたい……と、言うか」
『むー?』
発声の仕方からして怪しまれている。なんなんだよ。この場に居ない倉敷さんにまで勘繰られるのかよ。
これは断じて修羅場では無い。修羅場とは、どうしようもない男が二人の女性に好意的な視線を向けられ、そして欲に忠実に従って二人ともと関係を持ってしまった際に起こるものなのだ。
理沙は僕の幼馴染みだし、倉敷さんはそもそも僕に好意なんて抱いちゃいない。そして僕は、この二人とそのような肉体関係を結んだことも無い。そもそもヘタレの僕がどこをどうすれば肉体関係を持てるようなムードまで物事を進められるというのか。恋愛シミュレーションゲームとは違うんだ、現実ってのは。
『幼馴染み?』
「まぁ……はい」
『それなら納得。でも、今日中に話したいこともあるんだよ』
「御免」
『あー……時間なんてたくさんあるんだし、気にしないで』
そうは言っても、声からして落ち込んでいるのが分かる。
『でも、これだけ訊かせて。なにか、変わったことはない?』
「変わった……こと?」
やけに強調して倉敷さんは訊ねて来た。
あるにはある。右膝の打ち身だ。奈緒が教えてくれたが、一部のVRゲームプレイヤーは没入感により、ゲームと現実の区別を脳が付けられず、一時的ではあれ肉体に影響が出るのだとかなんとか。
しかし、そんな話を倉敷さんにしてどうなる? これは彼女の求めている“変わったこと”ではないはずだ。
「特にないよ」
『……そっか、なら良いや。じゃね』
通話が切れて、僕はしばらくスマホのディスプレイを眺めた。
「なに気まずそうな顔しちゃってるの?」
「ちょっと、気になることがあって」
「気になること?」
「他愛も無い話でもさ、話した方が良かったのかな、って」
「でも、他愛も無い話なんでしょ?」
「そうなんだけど」
もし、倉敷さんの求めていた“変わったこと”が僕の知っていることだったなら、相談に乗ることができたのかも、と思ってしまった。
言わずに隠すより、話して知っていることを打ち明けてしまった方が、このモヤモヤ感は晴れていたかも知れない。
かと言って、二度目のリダイヤルは気後れしてしまう。
「なにか、私に隠していることがある?」
「……理沙はVRゲームからログアウトしたあとに、体のどこかに怪我を見つけたことってある?」
「無いけど」
「奈緒が言っていたんだよ。成長途中の脳はVRゲーム内で負った傷と現実の傷の区別が付かずに、その痛みや怪我がログアウトしてから体に現れることがあるって。思い込みじゃなく、どれだけそのゲームにハマり込んでいるかっていう没入感が、原因の一つなんじゃないかって」
「成長途中の脳って? 私たちの脳は死ぬまで成長を続けるって話をテレビでしていた研究者が居たけど」
「だから、ここが重要なんだけどさ、理沙はまだ怪我をしてないから良いけれど、今後もVRゲームを続けたら小さな怪我をするかも知れない。なってからじゃ遅いんだ。だから、もうVRゲームはやめにしない?」
理沙は「うーん」と悩み、言葉を選んでいる様子だった。
「なってからじゃ遅い、っていうのは分かるよ? でも、怪我が怖くてゲームを楽しめないのは嫌だなぁ。どんなスポーツでも怪我は付き物だよ? それも、場合によっては選手生命を断たれるような大きな怪我を負うことだってある。そんなリスクがあっても、スポーツ選手は試合に出るし、大会にも出る。VRゲームでの怪我は、それぐらいリスクが大きいものなの?」
「分からない、けど……今、僕は右膝が痛い。病院で診てもらったら打ち身だと診断された。ただ、ゲームの中以外でぶつけた記憶が無いんだ。つまり、この怪我はゲームで負った傷、ってことになる」
「その程度なら、私はやめないなぁ。さすがに骨が折れるとか、筋肉が断裂するぐらいのリスクがあるなら、やめるけど。部活動をしている私にしてみたら、打ち身なんて軽い怪我だよ」
「でも」
「もし起こったとしても、ちゃんと相談する。涼も私に報告すること。私と涼の怪我が、打ち身よりも酷いものだったなら、そこで改めて、やめるかどうかを話そうよ。その方が、ずっと良い。ゲームを取り上げたら、涼は抜け殻になっちゃうから」
僕の幼馴染みは怖いもの知らずである。
そんな風に言っていられるのは、まだ怪我をしていないからに違いない。けれど、ここでどれだけの心配を言葉にしたところで、もう理沙は決めてしまった。
彼女が一度決めたことを、ただでは撤回しないことを僕はよく知っている。
「分かったよ。だけど、本当になにかあったらすぐに連絡が欲しい。理沙になにかあったら僕……壊れちゃうから」
「大丈夫。“前みたいなこと”にならないように、ちゃんと私が見ているから」




