-Epilogue 01-
♭
私は妻の連れ子と上手く話すことが出来ていない。付き合い始めた頃に、連れ子が居るということは告白された。それを承知の上で結婚もした。そして、その子とも顔を合わせて、よく話し合ったつもりだ。ただ、“つもり”というだけで実のところ、その子の心には一つも私の声は届いてはいなかったのだろうと思う。
そもそも私は、親友だった男の妻を奪った。始まりは不自然なほどに自然に。背徳感が無かったと言えば嘘になる。けれど、それは始まってしまってからはもう止まらなくなっていた。略奪愛に燃えていたわけではない。何故だか、気付いたらそうなっていた。そうなってしまっていた。
なのに親友は私を許した。それどころか、離婚後に私のところにやって来て、妻をよろしく頼むと頭を下げられてしまった。
それは今でも目に焼き付いていて、離れることのない情景だ。でも、親友が許したところで私の良心は許さない。だから親友とは縁を切った。切ることでしか、私は元親友に対してのあらゆる感情を流すことが出来なかったのかも知れない。
だから今も、話すことが難しい。元親友の息子を、息子のように扱うことは決して出来ない。なにより、どう声を掛けたら良いのかすらも分からない。それでも、連れ子のことは承認したし――そもそも知っていた上に、私はそのことも分かった上で結婚の道を選んだ。それでも、どう接したら良いか、分からないのだ。
けれど私は、なにも父のように接しようとは思わなかった。実の父親に比べれば、私なんて連れ子からしてみれば、父親から母親を奪い取った最低最悪の男といったところだろう。丁度、その子に物心が付き始めた頃だったから、多感な時期にそのような“赤の他人”とも呼べる男と同じ家で過ごすのは辛く、苦しく、大変だっただろうと思う。
しかし、ないがしろにしたことは一度も無い。
話すのは今だって苦手だ。そもそも会話が成り立っているかも怪しい。一時期は、口さえ利くことが出来ず、私も声を掛け辛かった。あのギラギラとした瞳は実に怖い。初対面であった頃、子供相手にいつか刺されるのではと怯えてしまったほどだ。
それでも、結婚を決め、その子と共に暮らすという覚悟を決めたのは、他の誰でも無い私自身なのだから、その後になにがあったって私は、全て受け入れるつもりであった。
実を言うと、本当に殺されるのではと思うことさえあった。それでも私は、その子を家族と想い、そして家族になりたいと願い続けて来た。
会話はとても難しい。私のことを認めてくれていないのは分かり切っていることなので、必死に声を掛けようとしても、出て来る言葉は「おはよう」や「ただいま」ぐらい。あとは「おやすみ」だろうか。その三つぐらいしか、私は遣いこなせなかった。深く話し合ったのは結婚する直前で、その時だって私は少しばかり怯えていたので、どういう話をしたのか、憶えていない。
それでも、見捨てようとは思わなかった。実の父親を慕っているのなら、それで良いだろうと思った。私は、違う形で、違う存在として認めてさえくれれば良いと思い、拙い言葉だけを遣い続けた。
ないがしろにしたり、見捨てたりしたら、一体、誰が彼の将来を見てやれるのだろうか、と。会社で仕事をしている合間に、ふとそう思ったのだ。実の父親の元に彼を預ける? そんなのは都合があまりにも良い。彼から父親を奪ったのは私で、なのに彼は邪魔だから放り出す? あるまじき行為だ。
多くは言わなかった。馬鹿なことをしても良い。少しやんちゃをしたって構わない。なにがあったって守ってやる。それぐらいの気概は持っていた。ただ一つだけ、娘に危害を加えるようなことをすれば、私は彼の権限、尊厳、権利、主張、なにもかもを否定し、放り出してやろうとは思った。けれど、そんな真似をしないことなど、どうにかこうにか一つ屋根の下で暮らしていればなんとなく分かって来る。ちょっとばかし娘――彼にとっては妹に、ちょっかいを掛けてはいたが、それぐらいは見過ごせる。ゲームで二人の距離が縮まるのであれば、どこにも不都合は無い。VRFPSという、刺激が強いゲームではあるが、それでも教養深く育てた娘と、そもそも教養の深い彼が、なにやら危ないことに手を染めるようなことは絶対に無いと信じ続けた。
私の信頼と心配など露知らず、二人はVRゲームを始めても、特に問題行動を起こすことはなかった。彼も仕事に就き、理不尽な要求やストレスの溜まる日々に四苦八苦していたようだが、私も私で会社の仕事に気を取られ、助言の一つもしてやることはできなかった。
いや、意図して、しなかったのかも知れない。少しは大人の苦しさを味わえと、義父にあるまじき感情を彼に向けていたのかも知れない。子供で居られなくなった気持ちはどうだ、と意地悪く考えていたような気さえする。
そう、私は決して良い大人では無かった。彼にとっては、最低最悪の大人。反吐が出そうな相手だったに違いない。だからといって、私が彼に対して接する態度はいつだって一緒だ。「おはよう」と「ただいま」と「おやすみ」。あとは幾つかの一言で済ませられるもの。それ以上も、以下も無い。話すことは沢山あったのかも知れない。話さなければならないことは数え切れないほどあったのかも知れない。しかし、それでも私は私自身の今までの態度を崩すということは出来なかった。
「二人とも、今日は早いな」
休日の早朝に、二人は既に朝食を済ませ、出掛ける支度をしていた。彼に至ってはここ最近、働き詰めで久方振りの仕事休みの日だとは思うのだが、まさか休日出勤なのだろうか。もしそうであるのなら労災に駆け込んで、工場での待遇改善を求めるべきだ。話を聞いていないので、見ただけでは彼ばかりが仕事を押し付けられているようにしか感じられない。が、話せばきっと事情は異なるのだろう。
話すことが出来れば、であるが。
「行って来ます」
「ああ、行ってらっしゃい」
娘に返事をしつつ、私は彼にも顔を向ける。
「君も、行ってらっしゃい」
「……俺は、あんたのことを許すことは、まだ難しそうだ」
「そ、うかい」
思わぬ返事に私は狼狽する。
「ただ、大学に行かないで働くと言った時、あんたは『好きにしなさい』と言った」
「それがなにか?」
「良い父親振らないで、あんたは俺と対等に接してくれようとしていたんだな、ってな。親父だったなら、反対されていたに違いない」
どう声を掛ければいいものやらと悩んだが、素直に白状してしまおう。
「いや、あれは対等に見ていたわけじゃない。私は君が怖かったんだ。君の意見に反対をしたものなら、一体、家でなにをされるか。そういう怖ろしさがあった」
「だろうな」
「その時の私は怖くてたまらず、君の意見に賛成するような言葉を零したんだろう。正直なところ、怖くてほとんど憶えていない。ただ……好きにしなさい、とは別に、君のことを放り出して楽になりたい、と思って言ったのではない……と思う」
「はっ、つまんねぇ話だな」
彼はそう言って、靴を履き終えて立ち上がる。
「……あんたのことを父親とは呼ぶことは出来ねぇ。ただ、あんたの名前に『さん』付けで呼ぶことぐらいは出来るかも知れねぇ。それで構わないか?」
「…………私と君は実の父親と息子というわけではない。私は父親のように接しろと強制したことは無いし、君のことを息子……とはまた異なる間柄の男、と思っている。それでも家族だ。そして、君がどれだけ寛容になることが出来ても、私を父と呼ぶことが出来ないのも肯ける。無理をしているようなら、別に今まで通り『あんた』と呼んでくれて構わない」
「いや、それじゃ変わらない。変われない。変わって行かなきゃならないんだ。母さんも、あんたのことも俺の中で上手く折り合いを付けて行く。けど、親父に会いに行くことは、許してくれるか?」
「私は別に、会いに行くなとは言ったことはない。だから、“好きにしなさい”」
「ありがとう。それと、行って来ます」
二人は玄関の扉を開けて、出て行った。どこへ行くかは知らないが、心配する必要も無いだろう。彼はもう大人だ。どこへ行くかなど一々、訊く方が無粋というものだ。
「義理だとしても父親だが、きっとさっきの答え方は間違っているのだろうな……結局、彼に譲歩してもらってようやく……だからな」
長いようで短い日々だったが、やっとなのだろうか。
「ようやく私は、彼の家族に、なれるのだろうか」




