変装する苦悩
「やっぱり……着替えるしかない、よな」
僕は姿見に自身を写しながら、着ていた服に手を掛ける。
キャラの服装を変更できるのはほぼ全てのオンラインゲームに含まれている要素だ。けれど、僕は今までこのスズで服を着替えたことは一度も無い。いつまでも初期の服装で、いつまでも初期の髪型を使っていた。
でも、そんなのはあからさまに目立つ。ただでさえキャラをコーディネイトすることがオンラインの醍醐味の一つとなっているのだ。初期の服装に初期の髪型はそういった流行りから逸れることになるから、目に止まりやすい。
となれば、周囲に溶け込む意味でも、変装は必須だ。オプションで、自分のプレイヤーネームを非公開に設定する。これで変装さえしてしまえば僕をスズと思う人は居なくなる。
しかし、だ。
中身が男で外見が女の子。この不一致こそが、今まで僕が服装を変更して来なかった唯一にして無二の理由なのだ。服を脱げばつまり、このゲームにおけるインナーが露わになる。作り込みが凄いので、男にして女の子の下着姿を見放題なのである。一部の男性プレイヤーが密かにサブアカウントで女性キャラを作り、楽しんでいるなんて噂まであるくらいだ。
彼らは俯瞰した心持ちで楽しめるだろう。だって、それは娯楽の一つとして用意したもので、そのアカウントを使って遊ぼうという気は更々ないからだ。
でも、僕はこのスズというキャラで理沙と一緒に遊んでいる。もう、これでもかってくらいの愛着がある。
そんな愛着のある自分を穢すような行為。そんな気がするのだ。なにより、物凄く恥ずかしい。自分でインナーを見なければならないことと、服を脱がなければならないということが、とにかく恥ずかしくてたまらないのだ。それこそ歯を喰い縛って耐えるほどの恥ずかしさである。一度、興味本位で胸に手を触れたことがあるのだが、その後、小一時間は罪悪感で死にそうだった。
僕は、スズを一つの存在として見ている。
それは自分であるのに、自分じゃない。女の子としてロールしているだけでも十分なのだ。決してリアルに形が無くとも、スズはこの世界では確かに存在するキャラだ。
僕はそんなスズという女の子と人格がひょんなことから入れ替わり、仕方無く着替えをしなければならない。そんな漫画やアニメでよくありがちな人格の入れ替え現象に遭っているかのような錯覚にすら陥りそうだった。
けれど、このキャラを作ったのは僕自身で間違いなく、そしてスズを演じているのも僕なのだ。だから、スズという女の子は居ない。居ないが、僕自身がスズであるから…………よそう、なんだかよく分からなくなって来た。
アイデンティティの所在を、また深く考えてしまうところだった。
背に腹は変えられない。僕は意を決して、上着を脱ぎ、続いてズボンのバックルを外して一気に降ろした。ここまでは姿見を見る必要はない。問題は次だ。服を着る場合は、どうしても姿見で全体の雰囲気を確認しなきゃならない。ファッションに疎い僕でも、さすがに上下を合わない服にして街中を歩くような真似はできない。
姿見に映るスズは、頬を赤くして目に涙を蓄えていた。それはつまり、僕の心情を分かりやすく外面に表現しているわけだが、まるで自分が彼女を無理やり脱がしているかのような罪悪感を抱く。これじゃまた一時間ほど後悔するんじゃなかろうか。
半透明のコンソールを開いて、カーソルで似合いそうな服を探す。画面に映るマネキンが変更後の服についてのイメージを分かり易く示してくれるので実際に着脱を繰り返す必要が無く、そこはありがたい。
ワンピースは却下。そしてスカートも却下。必ずレギンスかズボンを履く。それが大前提。僕は日本人だ。男もスカートを履くことが当然である文化を持つ国の人間とは違うんだ。トップスもキャミソールとか論外。肩をあそこまで露出できるか。
そうやって除外と選択を繰り返して選んだトップスは白色のブラウス。胸元に同色のリボンが付いていることに納得はできないが、露出する部位が少ないので、決定。
ボトムスは散々迷った挙げ句にデニムパンツを選んだ。決してショートではなく、ロング。
そうして露出の極めて少ない服装に着替えて、次に髪に手を付ける。
今まで黒髪のセミロングでプレイしていた。髪型はこれで良いとしても、せめて色だけは変えるべきだ。この変更に関しては苦に思うことがない。好みでダークブラウンに染める。ゲーム内における黒というのは、誰がどう見ても「黒」なので、色を変えるだけでも劇的に雰囲気は変わる。
気合いの入った変装――或いはイメチェンを終えた僕は個室から出て、デザイナーズエリアを、周囲の視線を気にしつつも歩き切り、出撃ゲート前にあるミッションカウンターに辿り着く。どうやら、たったこれだけの変装でもみんな、僕のことをスズだと気付かないらしい。これで一安心だ。
「ねぇ、君。暇なら一緒にミッションでも攻略しない?」
だが、名前を非公開にしている=誰とも遊ぶつもりはありませんという一種の意思表示を無視して、男が僕に話し掛けて来た。喉の調子を整えている余裕は無いが、ルーティと遊ぶようになってからこういうことは日常茶飯事だ。スズで女の子の声を出すことにも慣れてしまっているので、困るようなことでもない。
「あいにく、今日は一人で遊ぶと決めているので」
「そんなこと言わず、遊ぼうよ」
「いえ、結構ですから」
「まだ始めたばかりでしょ? 俺が色々、教えてあげるから」
こうやって体験すれば、倉敷さんの言うことも分かる。男よりも圧倒的に苦労しているのは中身が女性の人に違いない。
粘着質な人は、どこまでもくっ付いて来るので、こういうときはさっさとミッションを選択して、街を出てしまうのが早い。募集人数は一人――要するにソロでプレイするように設定。選択したミッションはランク1で受けられるトレーニングミッション。武装の確認には打って付けだ。その代わり、実入りは少ないようになっているので、ランク上げには向かない。お金稼ぎにも使えない。
街を出ようとする僕にも、しつこく男はアタックを続けて来たが、さっさとミッションを開始することで逃げ切ることに成功した。
さっきまでの会話のログを頼りに、あとでブラックリストに放り込んでしまおう。軽く誘われる程度で、断ればどこかへ行ってくれる男なら、恐らく他の女性プレイヤーにもあっさりしているだろう。けれど、さっきの男は少々、粘着質過ぎた。さすがに今後はお近付きにもなりたくない。
「でも、あんなの“グッドラック”のナンパに比べたらまだまだだよなぁ。あの人、時間帯によっては出会うからなぁ……というか、まだナンパしているのかなぁ」
自身がリョウでプレイしていた頃の古参の男のことを懐かしみつつ、僕は機体の武装等を確認できる準備時間へと入った。




