穏やかではない帰り道
穏やかではない昼休みを終えて、授業に戻りつつも休み時間にはなにがあったのか訊かれ、無難に「数学の分からないところを教えていた」で貫き通し、それでも追及された時には「望月とは友達ってだけだよ」で乗り切った。友達なのは嘘ではないけど、数学を教えていたという部分は嘘なので、これがバレてしまわないか非常に不安だったのだが、僕とあんまり喋ったことがなかったクラスメイトには通用した。通用しなかったいつものメンバーには「ちょっとだけ、友達として相談されたかな。それ以外は特になんにもない」と伝えた。これは事実ではあるが曖昧な表現にすることで、望月の家庭環境やらなんやらについての追及からは逃れた。
問題は放課後である。
僕は自主的にみんなの家に訪問したことはあるけれど、理沙以外から自宅に誘われたことはない。いや、特になんにも期待していないし、望月もそのつもりは微塵も無いに違いないのだが、不安しかない。嫌だ、行きたくない。倉敷さんの住んでいるマンションに訪れた時のことを思い出す。あれは辛かった。逃げ出したかった。逃げ出せるなら逃げ出していた。理沙以外の女の子の家にお邪魔するのは金輪際、無いだろうと高を括っていたのが災いしたのだろうか。やはり生き辛い。不運だ。
「女の子に家に誘われて、その顔はどうなの?」
校門前で望月が来るのを待っていたのだが、思いのほか早くやって来た。
「おかしいな……学年の風紀委員長じゃなかったっけ?」
「今日は友達にお願いして、引き受けてもらった」
「お願いしてどうにかなるものなの?」
そんな軽い仕事だったっけ風紀委員とか学年委員長って。
「なんとかなったからここに居るんだけど」
「あのさぁ、空気を読んで六時ぐらいに現れてくれないかな」
「校門で二時間も待っていられるの?」
「待っていられないのを言い訳にして逃げたかったんだよ」
自分でも驚くほど酷いことをスラスラと言っていた。さすが僕。
「クズだ」
「そうだよ。でも四時という帰宅部的にはほぼ一般的な下校時間にやって来られて、僕は逃げられなくなったんだよ」
「友達にお願いしておいて良かった」
良いね、面倒事をお願いできる友達が居るって。僕もこの嫌なことを誰かに押し付けてしまいたいところなんだけど、こればっかりは押し付けようにも押し付けられないことなので、ただただ溜め息しか出ない。
「僕、帰って良い?」
「駄目」
「ほら、話ならゲームで聞くから」
「ダーメ」
後ろに回り込まれて制服の襟首を掴まれ、無理やり連行される。
「転びそうで嫌なんだけど」
「転んだら引きずってでも連れて行くから」
「転ぶぐらいなら歩くって」
「でも掴んでいないと逃げそうだし」
くっ、読まれている。
「でも望月なら僕の動きを先読みできるから大丈夫だろ?」
「先読みって言っても、一人を集中して見つめていないと駄目だから。この状況だと、立花君を見つめる余裕が無くて、行動が読めない。だから離さない」
「いやでも、普通に歩いている望月には分からないだろうけど後ろ歩きって凄いバランスが悪くて」
「付いて来る気があるなら離す。逃げ出したら……お昼休みの話にちょっと上乗せしようかな」
「卑怯だぞ、そんな風に脅すなよ! 逃げられなくなるだろ!」
「やっぱり逃げようとしていた……」
凄い呆れ声が耳に入る。
「はい、分かりました。そういう風に脅されたら、僕はもう従うしかありません。けれど、心まで売らないからな」
なんだろう、この最後の台詞は物凄い卑猥な感じがする。少なくとも男の僕が言うべき言葉じゃないと思う。
「捕虜で捕まった武将みたいなこと言わないで……はぁ」
あ、伝わっていないんだ。それは安心した。
溜め息をついた望月はようやく襟首を離してくれて、僕はその場でバランスを取ってから翻って望月と同じ方向に歩き出す。
「ジー」
「そんな見つめて来なくても、もう逃げないって」
「立花君、すぐ嘘をつくから。今のところ、ちゃんと真っ直ぐ歩いてくれているみたいだけど、どこかの曲がり角ぐらいで全速力で走られたら私、追い付けないから」
「だから、平穏というか波風の立たない、静かな高校生活を送りたい僕が、逃げ出したらあとで波風が立ちそうな噂が流れそうなこの状況で、逃げられるわけない」
ギリギリまで逃げることだけを考えていたが、お昼休みの相談になにやら上乗せするらしいから、そんなことをされたら僕は今日以上の苦しみを味わうのである。そう考えたら、この嫌なことを耐える方が今後にとって絶対に良い。
「浮かれない辺り、女の子に誘われることが多かったように感じる」
「理沙とはよく一緒に帰っていたから。ああでも、理沙は陸上部だから僕と帰るタイミングが合うのはテスト週間やその一週間前とか、そういう特別な時期ぐらいだったけど」
それでも、その特別な時期には毎日のように登下校を一緒にしていた。それも全て、僕がゲームに傾倒するまでの話だけど。傾倒して、戻って来たあとは一緒にまた帰り始めたけど、なんにしたってゲームに傾倒していた時期は、理沙には色々と悪いことをしたなとは思っている。言わなくても伝わっているだろうと勝手に決め付けているから、これは今度会った時に、ちゃんと口にして言わなきゃならないかも知れない。
「なるほど。なら桜井さんの家にも?」
「誘われることが多かったよ。休みの日も遊びに来いって言われるくらいだったし。で、なんでこんなことを僕は望月に話しているんだ?」
「ちょっとした調査」
調査? 益々、分からなくなって来た。
望月がなんのために調査しているかは不明だけれども、なんだかんだで会話は交えつつ彼女の家までの道のりを歩く。
「あれ? 電車通学じゃないの?」
僕は望月が駅をスルーしたので、思わず訊ねる。
「一駅分だから、高校には歩いているけど」
文明の利器をどうして使わないんだ。多分、一駅分の定期が勿体無いって思っているんだろうな……僕なら迷わず電車に乗るのに。
「電車を使わないことにそんなに驚いていないで歩いて」
「はい……」
望月がそうも電車を使いたがらない理由ってなんだろう。
うーん……えーと、スリーサイズは上から――
「あー、運動を兼ねることで、」
「それ以上言ったら、刺す」
刺すって言ったよこの人!!
別にダイエットとは言っていないじゃないか。「運動を兼ねることで体重の維持、或いは減らすためか」って言おうとしたけれども! え、なに、そんな体重の話題はNGな感じなんだ? 分かりました。参考にします。女の子には体重の話題を出しません!
「だから嫌なんだよ。たまに女の子って怖いんだ。現実にまでNGワードがあるなんて、吐きそうになる」
「立花君って達観しているようで捻くれていて、ついでにネットサーフィンしているクセに世間知らずなところもあるのが、意味不明」
「意味不明なのはこっちなんだけど」
ネットサーフィンをしていたって人との交流が少なかったら偏った知識だけで、世間知らずになっちゃうんだよ。
「でも、そういうところはからかい甲斐があって、面白かったりもする。不思議なことに」
「不思議なのはこっちなんだけど」
最初の単語を変えただけの言葉をぶつけてみるものの、望月は全く気にも留めず、むしろ微笑んでいるので、どうせ裏があるんだろうと疑って掛かってみるが、上手く読み取れない。
「立花君の前だと、私も素の自分を出せるのが良い感じ」
「素? 望月に猫被り的な要素ってあるの?」
「初めて立花君と話した時には、素じゃなかったから」
「そういや、回りくどい方法で僕にシャロンだって気付かせていたっけ」
最終的にシャロンと同じ髪型で眼鏡になったわけだけど。
「あー言うの忘れていたけど、この前の海水浴で眼鏡外していたけど、いつもと違う雰囲気が出ていて、コンタクトでも良いんじゃないかなーって思いました」
「……それ、今更言う?」
「だって言う機会が無かったから。水着の話をしたら僕の扱いが変態になるし」
「立花君は前々から変態だと思っていたけど」
「ドMじゃないからな」
「いいえ、立花君は潜在的ドM」
だからその潜在的ドMってなんなんだよ。
「兄さんのことで不安はあるんだけど、立花君とこうしていつも通りに話していたら、ちょっとだけ気が楽になる。ありがとう」
「お礼を言うなら、潜在的ドMって部分を撤回しろよ」
「えー、嫌だ。もうそう決めちゃっているし」
むしろ僕にとって、お礼を言われることよりもその潜在的ドMであるという部分をどうにかして払拭することの方が急務である。




