大樹さんが面倒臭い
ゲームコーナーで出費はしたものの、その後は常識の範囲内で遊び、そして大樹さんと個人的な話があるからとみんなを先に部屋へと帰し、二人で宿泊している階のオープンスペースへ移動した。
「飲むか?」
大樹さんは自販機でオレンジジュースを買い、僕に手渡して来る。
「頂きます」
「なに、相談料だと思ってくれれば良い」
追加でコーヒーを買った大樹さんが蓋を開け、一口ほど飲んだ。僕も同じように蓋を開け、オレンジジュースをちょっとだけ飲む。
「それで……ウチの姉さんは大樹さんにどれだけ迷惑を掛けているんでしょうか?」
「迷惑、と言うほどではないが毎日のように頭にチラつく程度には君の姉は登場している」
「それを迷惑って言うんですよ、普通は」
僕は使われていないオープンスペースのソファに腰掛けて、溜め息をつく。
「相談を受ける前に、一つ訊いて良いですか? これ、姉さんに言われていることなんで訊かないと僕が危ういんで」
「ああ、構わない」
「大樹さんって、冬美姉さんをどう思っていますか? 心底、どうでも良いと思っています?」
それとなく訊いてみるはずが、ド直球になってしまったが、黙っていれば冬美姉さんには気付かれないだろう。
「どうでも良ければ、これほど悩むと思うか?」
「では、どうでも良くない、と」
「俺には、君の姉のことがよく分からない。俺の生き方は、人に嫌われる生き方だ。だから、どれほど相手に罵詈雑言を浴びせられたかは定かでは無いが、ほとんどが俺の努力や才能に対する嫉妬の塊、そして負け犬の遠吠えだった。正直なところ、そのような言葉を羅列させる暇があるのなら、俺を負かすことに時間を費やすべきだと思うほどに、下らない言葉を並べ立てる連中ばかりだった。そんなものは俺の心のどこにも響かず、苦しくもない。だが唯一、俺を強烈に罵った君の姉だけは、俺の記憶に残り続け、あろうことか時折、その言葉を思い出し、なにかしら心に痛みを伴う」
「まぁ、ウチの姉さんは強烈ですからね」
「ゲームに躍起になっている頃の君の姉なんて気にする価値も無いほどどうでも良かったんだが、どうせ人生を棒に振るうだろうと思っていたら、何事も無かったかのように大学に合格し、通っている。俺の予想では、どん底まで落ちてとてもじゃないが這い上がることはできないだろうと思うほどだったのにだ」
努力し、邁進し続けている大樹さんには冬美姉さんの非効率的な生き方が恐らく、理解できないのだ。僕は一年の余裕があったが、冬美姉さんに猶予なんてほとんど無くて、なのに家族会議のあと、すんなりと大学に合格してしまった。落ちるところまで落ちたはずの人物が、何故か元通り――或いはそれ以上の真面目な人生を歩み直した。それも大樹さんに煽られたり、大樹さんを踏み台にすることなく自力で、這い上がった。
「でも、冬美姉さんになにか言われたのって入試云々の話が出るよりもずっと前だったんじゃないですか?」
「ああ。だが、あのよく分からない這い上がり方を見た直後に、自身に投げ掛けられた罵詈雑言の中から勝手に飛び出して来て、一際強く心を抉った。見掛けた時から評価はしていた。ゲームにハマってしまう前までは、だが。言動、人格、どれにおいても他の誰よりも光って見えた。故に、俺に対しても……傲慢な俺に対しても、強気の言葉を投げることが出来たんだろう」
この人に文句を言うのって、かなりの勇気が必要だ。なんでって、口論になったら絶対に負けるぐらいにこの人は自身の主張に根拠立てて説明するだけの能力を兼ね備えている上に、主張通りに物事を遂行するためには努力を惜しまず、自身の才能を熟知した上で可能と思えることにだけ言及する。だから、意見するのだって正直、怖い。僕みたいに、この性格や特徴を知っていればまた別だけど、同級生にとっては接しにくい相手だったに違いない。なのに、冬美姉さんは怖気付くことはなかったのだ。冬美姉さんが大樹さんと出会っていた頃って、僕はまだ花美から奈緒を紹介してもらっていないし、そこから経由して大樹さんを知ってはいなかったから、姉さんも勿論、知らなかったはずだ。
そんな、明らかに怖い相手を罵るって……ウチの姉さんは、なんなんだ。
「それで、前置きは良いんでそろそろ姉さんをどう思っているか教えてくれませんか?」
「言葉にするならば、分からない」
「分からない?」
「嫌いでは、ない。しかし、この感情が君の姉を好ましいと思うものかどうかは分からない。嫌いではないから、好ましいといったような極端な説明ではない。俺が、どう傾いているのか、判然としない。なにせ、君の姉から来るメールや電話の類を煩わしいと思っているくらいだ。好ましいと思っているのならば、どれもこれも嬉しいものと思うのが当然だろう? だが、そうじゃない。悩みの種になっている。毎日、悩んでいる。実りのないメール、無意味な会話、どれもこれも、疎ましい。だが、だからといって嫌いというわけでもない。毎日のように気には掛けるのだから、嫌いではないはずだ」
「……大樹さん、それは別に悩むようなことじゃないと思います」
「どうしてだ?」
「ウチの姉さんの突き付けた条件は明らかに面倒臭いですし、煩わしいですし、疎ましく思うのは当然です。至極、当然です。というか当たり前です。なんで毎日メールをして、電話までしなきゃならないんだってレベルです。って言うか、ウチの姉さんがそれだけ苦しめているとは思っていませんでした。御免なさい」
「君が謝ることじゃない」
「そう。だから、ウチの姉さんの口から謝らせて下さい」
大樹さんはコーヒーを飲んだのち、キョトンとした顔をする。
「自己主張をして下さい。向こうからメールをして来たからメールをする。向こうから電話を掛けて来たから応答する。それだと、ずっと受け身じゃないですか。恋愛経験全く無いですけど、って言うかウチの姉さんも恋愛経験がどこまであるか不明ですけど、大樹さんは押され過ぎなんです。たまには押して下さい。でないと、ウチの姉さんがずっと下がれないので」
「話の種が見つからない」
「そんなものは知りません、自分で見つけて下さい。取り敢えず、数日はメールやら電話に対して、いつもの辛辣さと無意識の悪意ある言葉で文句を言ってやって下さい。弟の僕が許可します。でないと、冬美姉さんも引っ込みが付かないと言いますか……あれです、ええと、さほど遠距離というわけではないですけれど、大樹さんが他の女性と仲良くなってくっ付いてしまうんじゃないか、という不安が冬美姉さんを突き動かしていると思うんで、そういうことは一切無いんだと安心させてあげて下さい」
「俺が? 女性と? 仲良く? はっ、下らない。つまらない話題だ」
いやそこでつまらないと一蹴されても困る。
「俺のどこに女の影がある?」
「主に共同生活しているところに」
「あの二人のどこに女性らしさがある?」
むしろ頭のおかしさを除けば、容姿的には女性らしさに溢れていらっしゃいますが。
「なら、冬美姉さんは女性らしいということで良いですか?」
「それは…………難しい問題だな」
難しくもなんともない話を僕はどうしてこうも、面倒臭い人と話していなきゃならないんだろう。いや、自分を見失っては行けない。だってこれは僕が自分から切り出して、姉さんに頼まれたことだ。頼まれたことなんだから、どれほど鬱陶しくて面倒臭くて、どーでも良いことでも、ウチの姉さんはともかく大樹さんにとっては重要なことであるはずなので、投げ出さないで頑張るんだ。
「ぶっちゃけて言いますと、冬美姉さんは大樹さん以外の男性について僕に愚痴って来ることはほぼほぼありません」
むしろ男の話題になると大体、大樹さんの名前が挙がって来るくらいには最近、冬美姉さんはこの人に執心している。
「だから?」
「大樹さんにとっては嬉しい情報だと思いましたんで」
姉さんに「もうそれ恋だから、さっさと告白なりなんなりすれば良いのに」と、今日この場で会話するまで散々、言葉にして伝えてしまおうかと思っていたが撤回しよう。
この人に先に告白すると、絶対に面倒臭い。「ちょっと待ってくれ」と言われて、五年待たされる程度に告白について考え続けそうなくらい面倒臭いに違いない。だから冬美姉さんは告白しないのだ。その点はさすがとしか言いようが無い。僕よりも大樹さんのことをよく分かっている。けれど、女性事情についてはそれこそ大樹さんの気分一つというか、大学生活の状況一つで一変してしまうので、押すことでしか姉さんは自分の存在をアピールできないでいる。
そして、思う。二人のことをよく知れば知るほど、僕は二人以上に苦労する立場に居るのだと……やだなぁ、このポジション。
「嬉しい情報……俺にとって?」
「なら、こう言ったら大樹さんからも踏み出すんじゃないですか? ウチの姉さんは、美人です。正直、弟が姉の容姿について綺麗やら可愛いやらお淑やかやらなんやらと口にするのは憚りますが、世間一般的に見て美人です。美人の周りには男が寄り付きます。下心を持った男も中には居るでしょう。そういった男の毒牙に掛かりでもしたら、まぁ弟の僕が口出しできる範囲を越えるわけで、どうにもこうにも言葉を向けることもできないわけですが、……あの、大樹さん?」
仮定について僕が話していると、段々と大樹さんの表情が暗くなり、そして「毒牙」云々と言葉を並べた辺りでそれは怒りに変わり、薄気味の悪い笑みを零し始めた。
「立花 冬美に、毒牙? 下心を持った男?」
フフフフッと笑いながら、大樹さんは飲み干したコーヒーの空き缶をゴミ箱に放り込み、天井をクイッと見上げ、それから僕を横目で見たのち、尚も笑みを浮かべたまま歩き出す。表情の変化に付いて行けていないのだが、恐らくまだ怒っている。
「そんな蝿にも蚊にもならない、ダニやノミのような男は、纏めてこの手で握り潰す。君の姉に、そのような有象無象が寄り付くことは未来永劫、無いと言い切らせてもらおう」
そのまま僕を置いて、大樹さんはオープンスペースから立ち去ってしまった。一人残された僕は、オレンジジュースを飲み干し、空き缶をゴミ箱に入れたのち深い溜め息をつく。
「……これは、さすがに送れないなぁ」
言質を取るためにスマホの録音機能を起動させていた。姉さんに大樹さんが言っていたことをちゃんと伝えられる自信が無かったので、それならばもう録音した音声をそのまま送り付けてしまえば良いと考えたのだが、これはちょっと送れない。編集して、最後の部分だけ削ってしまおうか。でもそれはそれでバレそうな気がする。
「未来永劫、無い」っていう宣言は、聞き手によっては「結婚を前提にしたお付き合いをする」みたいな意味合いに取れてしまうんだけど大樹さんは分かっていないよなぁ、絶対。
「はぁ……部屋に帰ろ。あーマジで、どうしよ、姉さんへの報告」




