居たたまれない
……予想はしていたけど、ここまで嫌われるものなのか。
早くも理想と現実のギャップに打ちのめされた。僕の精神力は「ほつれた糸よりも、か弱い」と理沙に指摘されたことがあるが、なるほど確かに僕は、この場でのやり取り如何によっては、唐突に席を立って遁走を決め込んでしまうかも知れない。
「どちらが先、でしょうか。テオドラさんを騙していた僕か、僕を騙していたテオドラさんか」
問い掛けに反応が無いので、具体的な表現を持ち出す。これでも、一生懸命にコミュニケーションを取ろうとしている。ぶっきら棒になってしまうのは、そもそもにおいて人と会話するのが得意じゃない。
応答を望む僕を裏切るかのように、テオドラさんは罵倒の一つすらもぶつけてはくれない。嫌われているのは当然だとしても、このままだと謝罪の一つもできないままに終わってしまいそうだ。
「言っておくけれど、“私”は悪くないから」
たっぷりと五分ほど経過したところで、テオドラさんがようやく意思を表明してくれた。
沈黙のままにこの出来事が終わってしまったならば、『Armor Knight』を卒業しようとしていたところだ。でも、卒業したところですぐ別のゲームに目移りするんだろうど、僕の場合。
しかし、会話をしてくれるというのならば、気まずさからはなんとか脱却できるかも知れない。
「や、『僕』も悪気があってやったわけじゃなくて、ですね」
頬杖をついたまま、ジロリとテオドラさんの目が僕を睨み付けた。
こんな一方的な非難の目を浴びせられたのはリアルじゃ初めてなので、今にも僕の体は中腰になって席を立とうという衝動に駆られていた。
それを抑え込むも、冷や汗が止め処なく溢れ、更にはテオドラさんの睨みに居たたまれなくなった僕は、視線だけでなく首ごと動かして、窓の外の景色を眺める。
「どうして視線を逸らしているのかしら。それは、なにか悪いことをしたという気持ちがあるからじゃないの?」
その行為がどうやら逆鱗に触れたらしく、凄まじい怒気を込めた声が僕を襲う。態度に表れず、表情にすら出て来ない、言葉にだけ載せられたその怒りに縮こまり、自ずと僕は俯いてしまう。まるで両親に説教を喰らっている気分だ。
「見続けたら失礼かな、と思っただけで」
「人と話しているのに目を見ない方が失礼でしょう。分かっているの?」
僕はリアルじゃ極度の人見知りなんだ。初対面の人の目を見て話せるほどの度胸なんてない。なにより、“異性”と話す機会なんて幼馴染みの理沙としかないものだから、よけいに目のやり場に困ってしまう。
「ええと、言い訳になってしまうと思うんですけど、僕は別に騙すつもりはなくてですね」
「私だって騙そうとして騙してたわけじゃない」
これは、いつまで経っても話が平行線になってしまうパターンだろうか。漫画の世界でしか見たことのない押し問答をこの身で体験するハメになりそうだった。それだけは勘弁だ。そんなもの、僕が負けるに決まっているじゃないか。誇るべきことでもないけど、押しにも責めにもイジられにも弱いんだ。
「“女の子”を騙したスズさんの方が、先に謝らなきゃならないと思いますけど」
そう、『Armor Knight』の世界では男キャラのテオドラは、リアルでは女の子だった。ただ、見た感じではひょっとしたらと思うくらいで、力強く「この人は女性だ」という雰囲気が全く出ていない。話してようやくそうなのだと理解した。
なにせ頭をすっぽりと覆う、春という季節にしては不似合いな厚めの生地で作られた帽子を被っているために髪型が確認できないのだ。「異性であるかどうかを見極めるのは、髪・胸・尻だ」と通っている高校の男が口走っていたが、僕もその意見には同意である。それに則るならば、今回は髪型が帽子によって隠され、席に着いているためにプロポーションすら遠目では判然としない。
だから、こうやって話をしてようやく僕は、抱いていた予想を確実のものとすることができたのだ。
それにしても……テオドラさんの顔は、あまりにも男離れしすぎている。顔の線はシャープで、人によってはもう少し、肉を付けるべきという印象を受けるかも知れない。頬から顎までのラインは、恐らく全ての女性が羨ましがるほどに整っている。目はツリ目で猫を彷彿とさせるが、そういった愛玩動物のように周囲に愛想を振り撒く雰囲気はまるで無い。
次に首から下のラインを見る。顔を観察していたときから推察できたことだが、どうやらテオドラさんの体型は、痩せ型であるらしい。病的な細さとまでは言わないが、どうしても「もっと栄養を摂って欲しい」と思わざるを得ない。肌の色が黄色人種である日本人にしては白めであることも相まって、儚さばかりが前面に押し出ている。未だに頬杖をついているために座高もおおよそになるが、僕とほぼ同じか或いは数ミリ単位で高いか。となれば、僕の身長は高校一年生男子の平均身長とほぼ同じなので、歳の差がほとんど無いという前提で表現すれば、彼女は女子の平均身長よりも高い。
そして、観察して分かったことだが、服に隠れているとはいえ、間違いなく胸が理沙よりある。……いや、仕方が無いじゃないか。僕はテオドラさんとずっと目を合わせては居られないので、自ずと視線が下がって、胸を見てしまう。
胸囲ばかりはどういった理由で膨らむのかは定かじゃないのだが、理沙はきっと悔しがるだろう。
僕は背もたれに体重を掛け、ふぅと息を吐いた。このまま視線を上下させ続けるのも不自然だと思ったので、というかあまりにも変質者にしか見えない挙動であったため、自身を落ち着かせるためにも深呼吸は必要だった。
ああ、殴られずに罵声を浴びるだけで済みそうだ。
そんな思いから随分と気が楽になった。女性でも張り手の一発ぐらい浴びせられそうだけど、男の拳を喰らうよりは被害が少なそうだ。見たところ、武術を嗜んでいるようにも見えないし。
つまるところ、僕が使用していたスズは女性キャラでもリアルでは男で、テオドラさんは男性キャラを使っていてもリアルでは女の子だった。ゲーム内とリアルで僕とテオドラさんはどちらも等しく、同性ではなく異性であった。
ややこしいことだが、性別がゲーム内と逆になったと捉えれば、そう複雑でもない。
「確かに、僕の方が悪いでしょうけど、VRMOで女性が男性キャラを使っているなんて誰も考えませんよ」
「それを言うなら、男のあなたが女キャラを使っているのはどうなのかしら?」
「……分かりました。全面的に謝罪します。御免なさい」
負けを認めるのが速過ぎるような気もしたが、どんなに頑張ったって言葉でボッコボコにされるのは僕だ。それぐらい、僕は口喧嘩が弱い。散々、相手を貶す言葉を思い浮かべるクセにそれを口に出すことができない。その割に理沙にだったらその悪口もポロポロと零れ出る。いわゆる内弁慶というやつだろう。
「それだけじゃ済まさないから。この喫茶店代はスズさん持ちで」
初めて会う男に、ここまで横柄な態度を取れる女の子も珍しい。それとも最近の女の子は大体、みんなこんな感じなんだろうか。だとしたら、僕はこれからもインドア派を貫こうと思う。
「それは仕方がありません。けれど、できれば千円以内でお願いします」
僕はテーブルの隅にあったスタンドに挟まれているメニュー表を取って、テオドラさんに差し出す。片手で乱雑に受け取られた。
聖人君子でもさすがに張り倒すんじゃなかろうか。基本、ビクビクしながら生きている僕ですら胸の奥で苛立ちの火が点いた。
しかし、可能な限り、苦笑という名の微笑みを崩さない。
この喫茶店にそもそも千円以上のメニューがあるかどうかは不明だが、僕は外食する際に千円以上のメニューを注文しないよう心掛けている。一人暮らしの高校生は慢性的に金欠なのだ。切り詰めなきゃ、生活費であっと言う間にお金は無くなってしまう。じゃぁゲームをやめろよという話は無しの方向で。
「『チョコチップ&フルーツたっぷり乗せバニラパフェ』で」
メニュー表を閉じて、僕に返しつつテオドラさんは言った。やけにあっさりしすぎている。それが僕の猜疑心を擽る。受け取ったメニュー表を開いて、彼女が口にしたパフェの値段を確認する。
「あの、それ千円以上なんですけど」
千円に百円が一枚だけだが上乗せされている。なんでパフェ如きでそんなに高いんだよ。ぼったくりじゃないか。
「フルーツは乗ってなきゃダメですか?」
『たっぷり乗せシリーズ』でも、フルーツが乗っていないパフェなら、千円以内で落ち着く。
「駄目?」
気付けば頬杖をやめていて、テオドラさんはジッと僕を見つめていた。見つめ合っているだけで、なんだか込み上げるものがあった。
この人は、自分がどれだけの美貌を持っているか知らないのではないだろうか。それとも、知っていてこういった態度を示すというのなら、相当、男馴れしているということになる。
「百円ぐらいなら大目に見ます」
それでも美貌に負けて譲歩してしまうのが、異性と付き合ったことのない男の性分である。内心では千百円の出費に悶絶しているクセに、それを表情に出さずに首をぎこちなく縦に振っていた。
これぐらいで済んでラッキーだと思おう。そもそも、喫茶店で落ち合うって時点でお金を払うことは覚悟していた。予算は多めに用意していたけど、抑えられれば、良いに越したことはない。これで彼女がもっと粗暴な人だったなら、千百円じゃ済まなかったに違いない。
「すいません」
僕は店員に声を掛ける。その間、テオドラさんはずっと僕を見つめていて気が気じゃなかった。僕がつい先ほど彼女を観察したかのように、彼女もまた僕を観察しているらしい。
「ご注文は?」
「『チョコチップ&フルーツたっぷり乗せバニラパフェ』を一つと『アイスコーヒー』を一つでお願いします」
注文はそれで終わりだ。
メニュー表は店員に回収してもらう。これで大量注文されるという恐怖からは脱却することができた。




