兄二人
♭♭♭
「アルコールを摂取するにはまだ早い時間だと思うが?」
「はっ、缶ビール一本なんざ飲んだ分に入らねぇよ。それに、飲んでヤバい量は自分でも分かってんだ。自由にさせろ」
言いながら望月 啓二は缶ビールを飲んで行く。
『君』と呼んで良いのか、その辺りが曖昧だ。けれど、俺は誰に対しても『君』と呼んだり『君』付けをしたり、『彼』や『彼女』と呼ぶ。自身より年上であるのなら、敬語を遣うべきところなのだろうが、彼に対してはそれは不必要に感じられる。むしろ敬語を遣うと、機嫌が悪くなりそうな、そんな輩だ。
「テメェは大学二年か?」
「そうだが?」
「誕生日は?」
「四月とだけ言っておこう」
「なら20歳か、飲め飲め」
「成人式まで酒は飲まない。それに、最初に酒を飲み合うのは父親と決めている」
「ちっ、つまんねぇ」
「つまらなくて申し訳ないな。自分でも理解しているほどに、つまらない人間だ」
「そこまでは貶していねぇだろうが」
面倒臭ぇ、と付け足しながら缶ビールを飲み干した。だが、その缶ビール一本以外にここにはアルコール飲料は無い。本当に、一本だけで済ますつもりだったらしい。
「さて、俺の方は酒が少し入って良い塩梅だ。腹を割って話そうじゃねぇか、秀才」
「秀才? 俺が? それはなにかの間違いだ。俺は、努力し続ける者にだけ力を貸す存在であって秀才じゃない。むしろ憎まれるべき生き方をしている」
「そういう堅苦しいところがもう秀才の、特に奇人変人の部類っぽいんだよ。なんだ? 腹を割って話すのは不満か? あのガキみたいに年上が嫌いか? それとも、さほど面識の無い男と話をするのは面倒か?」
「面倒と言えば面倒だ。話すべきトピックスが見当たらない。同じ兄同士、妹に対して思うところはあるだろうが、それを語ったところできっと俺と君は分かり合えないだろう」
「まぁ俺もテメェと分かり合おうとは思ってねぇな。ただ、テメェぐらいの歳の奴じゃなきゃ話せねぇこともある」
「それは……俺も同じだな」
年下や同期と話していても、決して話したくないことはある。黙っておきたい事柄はある。だが、さほど分かり合おうと思っていない相手であればこういったことはサラリと口から零れ落ちることもある。
「テメェからは女の匂いがする」
「どういう意味だ?」
「それも相当の上玉だ。だが、束縛意識が強いんだろうな。今日のテメェの挙動を見ていたら一目瞭然だ。メールの返信に一々溜め息をつき、電話を出る時にも同じように溜め息をついていた。女相手じゃなきゃ、まずそういう対応はしねぇだろうと俺は思ったんだよ」
嗅覚なのか、それとも人間観察に優れているのか。どちらにせよ、この男の前では嘘は通じないだろう。俺は涼君よりは嘘をつける方ではあるが、この男の目はなにもかもを見透かすような、そんな強さを秘めている。
「確かに女性と、契約のようなものを結んでいる。メールと電話がそれに該当する」
「契約か?」
「……少々、悩みの種だ。どう対応して良いのか分からない。半端な対応をすれば、居場所を突き止められて乗り込んで来るかも知れない」
「そんなに疎ましい女か?」
「疎ましい……わけではないが、現状を打開する方法が見当たらない。さっきも言ったように、半端なことをすれば、君のその鋭い観察力と同等の眼力に見透かされるだろう」
「はぁ~? 分かんねぇなぁ、女に恵まれているだけで御の字だろうが。なんだ? その相手が嫌いなのか? 嫌いじゃないのなら、テメェからアプローチなり、なんなり仕掛ければ良い。女に主導権を握られたくねぇってなら、とにかくテメェから動け」
「主導権、か。いや、そんな権利を求めてはいない。彼女とは、同等の関係だ。どっちが上で、どっちが下か、そんなことは考えていない」
認めている相手だ。唯一、俺の記憶に残るだけでなく、蔑みの言葉を吐いた。怖れず、怯えず、ただ真っ直ぐに、俺を罵った。
彼女ほど強い女性を、いや、彼女だからこそ俺は忘れられなかったのかも知れない。
「揃いも揃って面倒臭ぇな。あー、いーや、この話はここまで。テメェも掘り下げられたくねぇだろ?」
「そうだな。これは俺が解決すべき案件だ」
「相談されても俺には女心が分かんねぇからな、助言っつっても、さっきのが限界だ。悪いな、心が壊れているんだ」
心が壊れている。“愚者”から戻って来ても、大切な物が壊れたまま戻らない。形にはなんとなくなるが、ひび割れて、傷付いていて、ちょっとの衝撃で崩れ落ちる。そんな心を直すのには、どれほどの月日が必要になるのか、心を壊したことのない俺には分からない。
「心が壊れている君に一つ、訊きたいことがある?」
「なんだ?」
「人を殴ったことはあるか?」
「……それを聞いて、どうしたい?」
「俺は、人を“壊した”ことがある。半端な知識だけで誰にでも勝てるようになってしまう俺は、柔道の組み手をした相手の腕を、絞め技でやってしまった。腕を壊すつもりはなかったが、相手が無理にでも絞め技から逃れようとするあまり、意地になってしまった。恐らく、後悔している。後悔しているからこそ、未だに俺はこのことを忘れられない。そして、利き手を使うのが怖くなってしまった。『Armor Knight』で利き腕で機体を掴みに行かないのはそのせいもある。君には、そういう経験があるように思えたから、こうして明かしたが、どうだ?」
望月 啓二はしばし複雑な顔をしたのち、溜め息をついた。
「テメェが人の腕を壊したことを白状したのなら俺も白状すべきか。殴ったことなら、ある。自分の女を守れなかった親友を、ぶん殴った」
「親友?」
「そいつの女は、打ち所が悪かったらしく、まだ目覚めない。なんでも自転車で二人乗りをしていたところを蹴倒されたらしい。二人乗りって時点で、もう全てそいつが悪い。親友のせいだ。だが、蹴倒した輩はもっと最低だ。そう、最低な連中だ」
「……君が蹴倒したのか?」
「馬鹿が、俺じゃねぇよ。俺は誓って言うが、余所様の同学年の連中に危害を加えたことなんて一度だって無い。まぁ、同じ中学や高校の突っ掛かって来た連中とは何度もトラブルを起こしたけどな。それでも手は出したことはねぇ。足は出したかも知れねぇが」
「それは誇れることか?」
呆れてしまうが、まだ話には続きがあるようだ。
「少しばかり、家庭に問題があってな。いや、俺がそれを問題と捉えていたせいもあって、相当に荒れていた時期があったんだよ。それも野球に専念していた時は抑えていたが、中三の試合で俺ばかりが責められた際に、抑えが利かなくなった。けど、態度だけデカくして、煙草や酒に手を出そうともしねぇ肝っ玉の小さい悪ガキだったがよ。それで連れ歩く連中も、ちょっと変わっちまってな。」
香苗君から、家庭の事情については少しばかり耳にしている。異父妹であり、異父兄であると。涼君が“愚者”から引きずり戻さなかったなら、こんな風に旅行すら一緒に来ることが出来なかった、とも。
「それで、大体の奴が俺を避けるようになった。仲の良かった連中とも一気に疎遠になったが、それでも離れないでいてくれる奴ってのは居てくれるもんでな。それが親友だった。そいつは俺とは真逆の人間さ。まぁ、自転車の二人乗りをしてしまうような、たまに羽目を外してしまう一面もあったようだが、妬みはしなかった。そいつは俺を決して見下さず、決して俺の荒れっぷりに告げ口をするわけでもなく、ただ俺のどうしようもねぇ文句を聞くだけじゃなく、向こうからも俺について相談して来ることさえあった。こいつだけは、絶対に傷付けちゃなんねぇ。そういう奴だった」
望月 啓二は座椅子に座り直し、深く深く息をつく。
「別々の高校に行くようになっても、間柄は変わらずだ。俺がどれだけ荒れていても、腐っていても、そいつはまともに俺を見てくれていた。ああ、良い奴だった。殴ったあとに、怖ろしい言葉を口にされるまでは……」
「怖ろしい、言葉か」
「高校三年の頃だ。事情を話半分でしか聞かされていなかった俺は、親友と会った早々にぶん殴った。自分で自分の女も守れねぇのかと怒鳴った。そのあとにそいつは、俺に向かってこう言った。『お前の撒いた種が芽吹いて、毒の実を付けた。俺たちを傷付けた連中に、お前が中三で野球を辞めて以降に仲良くしていた男が居た』……だとよ」
「中学時代の知り合いが、やったのか」
「そうだ。信じられるか? 高校の頃に比べりゃ中三の頃の俺なんて悪ガキっぽく振る舞っていただけの男だ。けど、そんな俺と一緒だった連中の中に、“マジ”なのが居た。そいつとも高校は別だったが、俺というボス猿が居なくなったことで、そいつが出て来た。遠因は俺にある。そう、あの自転車の事件の遠因は、俺が撒いた種から始まっていた」
そこで望月 啓二は、拳を握りながら、体を震えさせる。
「だから……それを知らずに親友をぶん殴った自分が、憎くて憎くてたまらなくなった。俺は親友に顔を見せることが出来なくなって、親友も俺との縁を切った。拳を握れば、殴った時の感触を思い出す。それも、“さほど悪いことをしたわけでもない相手”を殴ったんだ。自転車の二人乗りはやっちまったが、それでも蹴倒されなけりゃあいつはきっと、事件も事故も起こしていなかっただろう。だったら、“なにも悪いことをしていない相手”とも思っちまう。フラッシュバックする。中三の、盗塁を失敗した時と同じぐらいの回数で。盗塁のミスに合わせるように、殴った感触が畳み掛けて来る。逆もまた然り、だ」
「……俺がその話を聞いて、言えることはただ一つだ」
「けっ、こんだけ長話させておいて、一つだけかよ」
「君はそのことを、後悔している。盗塁に失敗したことはともかく、殴ったことを後悔している。そして、自身の素行の悪さが遠因であることを自覚している。ならば、恥じても良いが決してその感情を、そのどうしようもない嘆きを、忘れないで留めておいておくことだ。でなければ君は、大切にしていた親友だった者との、有りし日のことすら、忘れてしまう。苦しみの想い出の中に、楽しかった頃の想い出まで収めなくても良いのだから」
そう言うと、望月 啓二は少しだけ肩の荷が下りたような、そんな顔を見せた。
それでも、きっと彼は涼君のように昔のことをずっと、背負い込んでしまうだろう。どうにかして、その苦しみから解き放ちたいところではあるが、それは俺の役目じゃない。俺のすべきことから掛け離れているのなら、首を突っ込むのはこの男を苦しめる結果に繋がるだろう。




