海で起こる嫌なイベント
「なんで海の家っていうと焼きそばとかき氷のイメージなんだろ……しかも、列も長かったし」
横から割り込んで来る人は居なかったのは良かった。そういう面倒事には関わりたくない。
蓋付きトレイに入った焼きそばを二つ買って、自分の分のジュースも一本、もう一方の手に持って、僕たちが準備したレジャーシートを目指す。シートやパラソルを広げる前に位置は確認したつもりだ。こういった時、空間認識力は非常に役立つ。ただ、問題は自身が把握したポイントまで歩かないとピンと来ない点だろうか。物体の厚みや配置をなんとなく理解したって、カーナビのようには行かない。狭い場所や、部屋であれば物体が多い分、位置関係の把握は容易いけれど、このように広い場所だと得られる情報の差が大きすぎる。
一つに集中してしまえばその限りじゃないけど、僕、海の家までの距離を測ったわけじゃなくて旅館からの距離だから、まず旅館がスタート地点になってしまう。逆に言えば、旅館さえ見えていれば全く迷わないわけだが。
不安だったものの旅館は少し歩いたところで遠目でも確認できるようになり、そこからはゆっくりと歩くのではなく人の邪魔にならないように早足気味に進んだ。知らない人が多いと、なんかソワソワする。安心できる場所に早く帰りたくなる。これはゲームを買った当日、そそくさと家路を目指したくなる衝動と似ている。
「ね、ねっ。いーじゃん、一緒に遊んでさぁ、折角の海なんだし楽しもうよ。それに、お酒、飲みたくない? 俺たちがコンビニで買って来るから。大丈夫、誰にも言わなかったらバレないって。君たち、もう十分に大人だし、お酒を飲んでも良いと思うんだよねぇ俺は」
「そうそう。大人の雰囲気が出ているってゆーか? 凄い魅力的だから俺たちも声を掛けたわけだしさ」
列に割り込まれる面倒事や、自分のレジャーシートに戻れるかの不安以上の厄介事が起きていた。僕はやや離れた位置で大樹さんと啓二さんを捜す。どうやら二人とも近くには居ないらしい。海の家か、それともコンビニか、或いは泳ぎに行ったか。泳いでいるとしても仲良く泳ぎに行くってことはないだろうから、二人別々に行動しているだろう。だからって仲が悪いわけでもないので、憶測で物事を決め付けるのも良くない。
五分かそこらで戻って来るだろうか? 戻って来ると思うな。保護者役で来ているのに、年下の女の子や妹を残して長時間、置いてけぼりにするってことはないだろう。
「はぁ……ヤダなぁ。お決まりのイベントがなんで二次元じゃなくて現実に発生するんだよ。あれ僕の知り合い? 知り合いだよな……知り合いかぁ、はぁ……良いんだけど、良いんだけど……僕じゃ、やり方がなぁ……」
しかし、思えば仕方が無い。倉敷さんは誰から見ても美人だし、望月は落ち着いた大人の女性らしさが出ているし、理沙はその明るい笑顔が文句無しで可愛いし、奈緒は……奈緒はまぁ、さすがにナンパされていないだろうから褒めなくて良いか? いや、褒めておこうか。奈緒の無邪気さは呆れることもあるけれど癒されることもある。そんな四人が男を連れ添っていない状態であれば、ナンパの格好の的になるのは当然のことなのだ。
屈み込み、ビニール袋を腕まで通してからなんとなく“それ”を拾って立ち上がる。手首にビニール袋を引っ掛けて落ちないようにしつつ、深い溜め息をついて歩き出す。
「ただいま。焼きそば、買って来たよ」
僕はナンパに困っている三人の横で、早く大樹さんや啓二さんが帰って来ないかとチラチラと周囲を見回していた奈緒に声を掛ける。ここで名前を呼ばなかったのは、プライバシーを守るためだ。名前を知られれば、こういう輩はそこからどんどんと情報を引き出そうとする。
「あ、ありがとう。えと、」
「ああ、非公開で」
いつも通り、「涼の兄貴」と言って来そうだったので『プレイヤーネームは非公開で』というゲーム内でたまに遣う言葉を一部省略して口にしたが、上手く伝わったらしく僕の名前を奈緒は胸の中に呑み込み、僕からビニール袋を受け取る。
「君、この子たちと知り合い?」
「はぁ、そうですけど?」
「ちょっとこっち来てくんない?」
「分かりました」
僕はナンパして来た二人の男の内の一人に言われるがまま、少し離れたところまで移動する。
「どの子狙いなの?」
「どの子って?」
「いや、俺たちも別に君が狙っている子をどうこうしようって気は無いんだよ。ここは協力しない? 君が狙っている子には手を出さないから、その代わり他の子を俺たちに回してよ。お酒も飲ませてあげるからさぁ。どう、興味あるっしょ? やっぱり、こう広いところに来たらパーッと騒ぎたくなるなら、お酒が一番だって」
「えーと、率直に言って良いですか?」
「うんうん、腹を割って話すのは大事だからね」
「面倒臭いんで、パスです。僕とあなたって、今日、ここで初めて会いましたよね? どこかで顔を合わせているわけじゃありませんよね? なのに、どうして協力することに賛成できるんですか? そんな赤の他人を信用するっていうのがまず無理です」
「……あー、君。正義感を出しているんだ? 居るよね、そういう子。うんうん、正義はとても大切だ。だから女の子を守るのも君の役目みたいな? 気分は正義のヒーローって感じ?」
男は顔を近付かせて、僕を睨み付けて来た。
「それで、お前みたいなガキになにが出来るってんだ? 女の子を守る自分カッケーって気になっているだけだろ? はぁ、ウザいウザい。きっとねー、あの子たちも君のことなんてどーでも良いと思っているよ。だって君、男としての格好良さとかゼロじゃん? 家でも学校でも陰キャだろ? そこを、俺たちが手を組んで、君に気持ち良いことを学んでもらおうとしてもらっているわけ。それも君が狙っている子とだよ? なのに、年上に対してなに楯突いてんだ?」
なんで煽てると煽るって、遣っている漢字は一緒なのに意味は全く違うんだろうなーなんて考えつつ、でもこの人の場合は宥める感じでこっちを憤慨させようとする手法に近いだろうか。
「ちっとも心に響きませんけど、それでなにか? 僕は陰キャラだと思っていますし、恐らくあなたが思っている以上に陰キャラなんで、事実を言われてもこれっぽっちもどうとも思わないんですけど。もう終わりですか? あー、終わりなんですね。その顔を見れば分かります。じゃ、そういうことで」
「おい、待てよ」
僕は話を打ち切り、四人の元へ戻る。そこでもう一人が必死に三人と会話を弾ませようとしているが、そもそも三人が会話に乗って来ないため、全くもって効果が無いと見える。
「あっちの人と話は終わったんで、あなたも帰ってもらえます?」
「は? オメーと話す気なんて最初からねぇよ。あんま俺を怒らせんなよ」
「はぁ……? 怒らせるとどうかなされるんですか?」
「これでもオメーみたいな高校生の頃にやんちゃをしていて、」
「俗に言う武勇伝ですか? 間に合ってます。ああ、凄い凄い。さすがですね。これで良いですか?」
神経を逆撫でしたらしく、後ろから追い掛けて来た一人と話し合い、何故だか分からないが攻撃的な姿勢を見せ始めた。
なんだろうか、これから僕は殴られるんだろうか? 公共の場で殴ったらそれはそれで警察沙汰になるんだけど、構わないのかな? バレなきゃ良いとか口にする感じだから、僕を喋れないくらいボコボコにして、四人に口封じでなにやら色々とやって……ってところかな。
「みんな見てますけど良いんですか?」
「構わねぇよ。ちょっと怒鳴ればビビッて誰も通報なんてしねぇから」
「そうそう。遊びに来ているのに面倒事には首を突っ込みたくないもんなぁ」
「あ、ジュースはあとで飲みたいんでちょっと待ってくれます?」
僕は手に持っていたジュースを奈緒に向かって軽く投げる。これも奈緒はなにも言わずにキャッチする。
「お? 二対一でやる気か?」
「いや別に? やる気もなにも、あなたたちを追い払ったあとじゃないとジュース飲めないし、手で握っているとなんか気になってしまうし、ただそれだけですけど」
「一度、血を見ねぇと分かんねぇみたいだなぁ」
「……血を見るのはそっちだと思いますけど」
一人が僕目掛けて拳を振りかざした。
「構えがなっていないな」
声がしたので、なんとなく拳から右へと避けるように動くと、男が突き出した腕を大樹さんが横から掴み、そして足を払って男を砂浜に転がした。
「おい、大丈夫か」
「おいおい、どこ向いてんだテメェは? 仲の良い友達の心配を出来る状況にあると思ってんのかぁ、なぁ?」
砂浜に倒れた男へと向かおうとしていたもう一人の男を啓二さんが言葉とその眼力と横柄な態度で足止めする。
「俺たちの連れに手ぇ出そうとしたってぇことで良いか? 良いよなぁ? おい、なにビビってんだ? そっちから仕掛けたことだろ? さっさと来いよ。ほら、殴って来い。それとも殴んのが怖いのか? はっ! 俺に殴られるのが怖いってか? 良いからさっさと来いっつってんだよ、このクソガキがぁ!!」
啓二さんの前で男は完全に固まり、動けなくなっていた。
「香苗、ちゃんと録音した?」
「うん。ナンパして来たところから、立花君が殴られる直前まで。そのあとは録ってない」
つまり、啓二さんの恫喝は録音されていないということだ。これで逆ギレされて警察を呼ばれたとしても、僕たちの方が正しいのだという証拠には少しでも力になってくれるだろう。
「あ、これどーぞ」
僕は転がされた男の手から離れた貴重品入れであろう袋を拾い、大樹さんに手渡す。大樹さんはそこから財布を取り出し、免許証を確認する。
「なに、お金を盗るつもりはない。住所と苗字と名前を確認しただけだ。ふむ、まだ19歳か。自動車免許を取っているなんて将来についてはしっかりと考えているようだ。だが、20歳未満の飲酒は厳禁のはずだが……? 君の名前で主要なSNSを検索させてもらおうか。飲酒を堂々と公共の場に発信している可能性もある。大学生だとすれば、そこに電話を掛けるだけだな。やってはならないことを平然とやっている者に、俺は一切の同情をしない。さて、周りの目も気に掛かって来た。そろそろ、君たちが好きそうな大人の話をしよう。そっちの君も、付き合ってくれるね?」
恫喝された男は黙って下を向き、そして転がした男を大樹さんは起き上がらせて、啓二さんと一緒に二人を引き連れて行った。
「……どう? 僕の必殺技の他力本願は」
肩を竦めつつ、「サイテーだろ?」という意味合いを強めに表現する。
「自分に出来得る範囲で対応したんだから、そういう風に言わなくて良い。それに、私たちは『ありがとう』と言う立場だから」
望月が僕に微笑みながら言う。
「けれど、“それ”はさすがに怖すぎ……やり過ぎ」
そして僕の持っている“それ”を指差した。
「大樹さんや啓二さんと違って丸腰だとボッコボコにされちゃうからね。人が近付いているのは距離感で分かっていたから、時間稼ぎをしていたんだけどもしもってこともあったし、あと言い訳をさせてもらえるなら、足を切ったら危ないだろうなって。これを使うかどうかは、大樹さんが間に合っていたか否か、ってところかな。まぁ、ひょっとしたら使っていなかったかも知れない。僕だけ補導になったら、折角の旅行が楽しくなくなっちゃうだろ? その辺りで、思い止まれたかも……そうならなかったから、もしかしての話はこれでおしまい」
僕は言いつつ、手に握り締めていた“それ”――貝殻の破片をみんなに見せつつ、奈緒の持っているビニール袋から焼きそばの入った蓋付きトレイを取り出し、空っぽになったそのビニール袋をゴミ袋として、貝殻の破片を放り込んだ。
「あの二人も、まさか立花君が一番危ない人だとは思わなかったんじゃない?」
「弱そうに見えていたなら、注目されるから丁度良いよ。あと、最初から弱そうに見える相手には喧嘩腰では突っ掛かって来ないで、なんか穏便そうな不遜な話で済まそうとして来ると思ったから。大樹さんと啓二さんが間に合って内心、ホッとしたんだ。あと、盗聴はナイス。でもどこにもアップしないで、家に帰ったら消すように。奈緒も時間稼ぎに協力してくれてありがとう」
望月と奈緒はにこやかに対応してくれたが、理沙と倉敷さんはこっちを見てはすぐそっぽを向き、また見てはそっぽを向くという、若干、挙動不審になっていた。こういう僕のやり方を気に喰わないけど、今は言わないでおこうとしているだけかも知れない。それはちゃんとあとでちゃんと聞かせてもらって、謝ろう。




