勇者に憧れた僕は夢
勇者に憧れた僕は夢
子どもの頃の僕は絵本が大好きで、本気で絵本の登場人物と友達になれると信じて母さんに心配を掛けたりした。大人になってしまった今では、空の上には誰も住んでいないのはわかりきっているし、魚が綺麗な舞を披露しないのも常識として身体に染みついてしまった。
夢の世界を否定し続ける僕に用意されるものは、否定した夢の成果である見たくもない、知りたくもない現実なんだ。
幼さ故の蒙昧さが、夢を忘れてしまった今だからこそ、どれほどに素晴らしいのか。
幼さ故の純粋さが、合理性ばかりを追い求める今では、どれほどに憧れているのか。
忘れたくない物ばかりが両の手から零れ続けて、今の僕が代わりに掴むのは電車のつり革。飽き飽きとしたくだらない日常をこの先も連綿と続けて、聴きたくもない小言を耳に詰め込んで、くたびれた足取りでまた今日を繰り返す為に帰宅する。
ただいまを告げた母さんの背中は、あの頃の僕には大きく見えていたのに、今では僕よりも遥かに細くて簡単に折れてしまいそうだった。
年月が母さんをこうも変えてしまったのか、それとも僕が大きくなっただけなのか。
きっと両方だろうな。
寂しくも、悲しくもなってしまう背中から視線を振り切ってみれば、机の上に広げられたアルバムに気がついた。
これ、どうしたの? と訊ねてみれば、荷物を整理していたら偶然見つけたら、僕にみせようとして置いといたそうだ。
昔はあんなに可愛かったのに、と今の僕の愛想のなさを揶揄する言葉を背中で聴きながらアルバムを開く。
現れる過去の断片は、どれもこれも幼き日の僕ばかりだ。
ページを捲る度に現れる新たな過去の切れ端を覗けば、記憶の片隅に追いやられていた思い出が、曖昧な姿で蘇る。
微笑みを零しながら、ゆっくりと思い出を眺める。
過去に生きた僕の断片は、どれもこれもが輝いていた。
無垢ゆえの純粋さが、どれほどに尊いか痛感していた。
現実を生きる今の僕には雲の上は歩けないけれど、夢を見れる過去の僕ならいともたやすく駆け抜けるだろう。
夢を忘れずに生きていく、そんな幼稚な強かさは、今の僕には残ってないのが悲しくて、小さな僕が羨ましい。
感傷に浸り続けながらも、また一枚とページを捲ると、一枚の写真が目についた。
キャラクターのシールを片手に、赤くなった目でピースサインをする小さな僕。
それを見るなり、靄の掛っていた思い出の一つに光が差し込み、曖昧だった輪郭が形を取り戻し始める。
勇者に憧れた僕は夢。
もし本当にそうだったとしても、失った過去を補える程に、今も捨てた物じゃないんだって、夢の僕に胸を張ってやりたくなった。たとえそれが虚勢であっても構わないから、大人になってよかったって過去の僕に語れるようになりたい。
だって、そうでもしないと、小さな勇者は夢を語らうことすら大言雑語となってしまいそうだから。子どもには虚しさとは無縁であって欲しいから、過去に恥じない未来となりたい。
柄にもないことを思いながらもまたページを捲ろうとしたが、小骨が喉に引っ掛かったような違和感から、捲る手が止まった。
そして、鍋を回している母さんの背中に一つ訊ねる。
あの時はどうやって僕をみつけたの?
すると返ってきた言葉は〝母親の勘〟という、母さんだけに許された万能の返し言葉にはぐらかされてしまった。
幾らなんでもそれはないだろうと思い、もしかして後をつけていたの? と訊いてみれば、鍋を回していた手が一瞬止まって、私だってそんなに暇じゃないよって答えた。
細部は滲んでわからない過去。現実の荒波にのまれていずれは消えてしまうだろうが、それまでは胸に留めておこう。
僕が願った勇者の夢は、波間に飲まれて消えてしまった。
それでも僕らは夢を追う。
過去の自分を追いかけて。
どうも337(みみな)です。
この度は『僕が願った勇者の夢は――』を読んで頂きありがとうございます。
本小説は冬童話祭2016に向けて書いた物となります。
年月とは非常なまでに早いもので、私がこの企画に参加するのも、もう五回目となってしまったそうです。
簡単なあとがきはここまでにして、ちゃんとしたあとがきはこの後に書く活動報告の方でしようと思います。
最後に、過去の冬童話祭で投稿した『生きたがりの僕。』『死にたがりの僕が見つけた生きる理由。』『ハルジオン』もよかったらご覧ください。
では、ありがとうございました。




