一。
どこまでも広がる青い空の様になりたい。
自分という在り方について、そう思うようになったのは、私がまだ中学生の頃だった。
当時の私は、優等生というレッテルを貼られながらも、母子家庭で母は統合失調症、自分にとって二人目の父親も、母に弟を孕ませるだけ孕ませて、実家へと帰ってしまった。
私に残ったのは、精神発作を頻繁に起こす、母親と、産まれたばかりの赤ん坊。勿論生きる為に、守る為に、警察、役所、知人、友人、あらゆる相談を持ちかけた。
だが、答えは返ってこなかった。
思春期の私は、この様な境遇の私を施設以外で対処しない、世間を勝手に呪ったりもした。
何度も何度も、水面に大きな月が揺れる、湖畔ですすり泣いた。
夜な夜な。
でも、結局、その行為に意味など無く、自分の人生を悲観して、不幸を自慢している行為に他ならなかった。
現実と向かい合った。
家では、母の発作に耐えた。
小さい弟を、毎日部活の前に、保育所に送り迎えをした。
授業だけで、学校の成績は落とさなかった。
僻まれ、疎まれ、虐められたりもした。
だけど、自分は人とは違う。恵まれた奴に己の考え等解るはずもなかろう。疲れてるんだ。俺に構うなと――。
私は孤立した。
荒んだ。
だけど、希望を失う事だけはしなかった。
世の中は、大まかに分ければ平等で、細かく分ければ不平等なのだと、意識と視野を周りに、国に、世界に……。
太陽は全人類平等に降り注ぐ。
人間には、有り得ない。でも、私は、そんな太陽に、雲に、空に憧れた。
決して自分が太陽にはなれずとも、その光は空を通過し、空はそれを美しく伝える。
ああ、どこまでも広がる青い空に私はなりたい。




