恋人みたいに手をつなぎたいけれど、契約にないから無理だよなと落ち込む不器用公爵と、何も考えずにうっかり手を取る金貨大好き聖女
恋人みたいに手をつなぎたいけれど、契約にないから無理だよなと落ち込む不器用公爵と、何も考えずにうっかり手を取る金貨大好き聖女。
眉間にしわを寄せ、肘をついて手を組み合わせる男がいる。
輝く銀髪に端正な顔立ちの美貌の公爵だが、いかんせんアイスブルーの眼光から放たれる気迫は、殺気めいていた。
「……手」
「手がどうかなされましたか」
老執事のレナードが物おじせず尋ねる。慣れたものだ。
「手を寄越せ」
「はい、どうぞ」
すっと差し出された働き者の手を、美貌の公爵、ルファス・ドラヴェンハートはその手で包む。
「もういいぞ」
「はい」
レナードは手を引っ込め、再び壁を背にして立つ。
「どうだ。今のは自然な流れだったか」
「いえ、まったく」
「……どこがおかしい」
「それはもちろん。すべてございます」
レナードは顔色を変えずに正直に答えた。
■
グランヴェリス帝国、偉大なるドラヴェンハート公爵家の当主ルファスには美しい妻がいる。カナルと呼ばれる流浪の一団出身の黒髪の歌姫で、名前はシャロン。
ルファスの不眠と頭痛を和らげるために召し上げた彼女と、ルファスは契約を結んで夫婦になった。
「なんで俺は契約書に『手をつなぐこと』を書かなかったんだ」
羊皮紙に書かれている文字を穴が空きそうなほどルファスは眺め、忌々しそうに吐き捨てる。
「それはまあ、下手なことを書けば結婚してもらえないと、深くお考えになったからでしょうな」
レナードが冷静に答える。
契約結婚に当たり、ルファスはそれはもう一生懸命、交わす契約内容を考えた。なんとしてもシャロンからイエスを引き出したいがために、それはもう考え尽くした。
なので契約内容はシンプルに、お金のやりとりと、公爵夫人としての責任の免除が記載されている。必要があれば別途追加料金……といった具合だ。
「金貨何枚なら、『手をつなぐ』を書き足すことは可能だろう……」
ルファスは額を手で押さえた。
彼がここまで悩むのは、従兄弟の皇太子レグラスのせいだ。
初めて寝顔を見られた嬉しさを吐露したら、散々呆れられ、罵倒された。
『アカデミーの初々しいカップルでさえ手をつなぐぐらいしてるわ!!』
と。
そしてさらに、同時期に成婚した護衛騎士たちに尋ねると、そういうのはすべて結婚前に終わらせているという。
それ以来、シャロンの手が気になって仕方がない。
楽器を弾く長く白い指。握手の時に一度だけ、その柔らかさを知った。温かく包み込むような優しい手だ。
「なあに、公爵さん。馬頭琴が珍しい?」
昼下がり。
シャロンは中庭でゆったりと過ごす。
都合がつけば……都合を無理やりにでもつけて、ルファスはここに来てシャロンと世間話をする。
今日は珍しい楽器を持ち、慣れた手つきで奏でていた。
「……あ、ああ。まあな」
「それじゃあ、こっちにいらっしゃいよ。弾かせてあげる」
長椅子に座る彼女は、すぐ横をぽんぽんと叩いて、立ち尽くしているルファスを呼んだ。
吸い寄せられるようにルファスは彼女の隣に浅く腰を掛けた。ふわりと香るのは、シャロンが好む異国の香りだ。スパイシーでどことなく甘い。
「ほら、触って」
「あ、ああ」
言われて手を伸ばすが、どこを触っていいかわからない。宙に浮いた手をシャロンはぎゅっと握った。
ぱちん。
胸の中で何かが、弾けた。
ルファスは思わず、シャロンの手を振り払った。
どきどきと胸が脈打つ。
耳まで熱い。
「あ、ごめん、馴れ馴れしかったわね。つい仲間に教えていた時の癖で……。馬頭琴貸してあげるから、好きに使って。じゃあね」
シャロンはすくっと立ち上がり、ルファスに背を向ける。その後ろ姿に、ルファスは血の気が引く。
「ま、待て!!」
ルファスは思わず、去ろうとするシャロンの手を握った。
「い、いたっ!!」
「あ、すまないっ!!」
力を入れすぎていた。
ルファスは慌ててぱっと手を離した。
「いいわよ。私のだって痛かったんでしょ? これでお相子ね」
けらけらっとシャロンは楽しそうに笑った。
「あ、ああ。そうだ。……痛かったんだ」
胸が。どきどきして。
「じゃあ、優しく触れば大丈夫?」
「ああ、もちろん」
ルファスが頷くと、シャロンはくすぐったそうに笑いながら、ガラスでも触るかのようにルファスの手を取った。それは大事に。
「あ、ペンだこができてる。これ痛いわよね」
「もう慣れたさ。剣よりマシだ」
「道理で分厚いと思った。剣も、政治もなんでもできるのよね。やっぱ、すごいわ。公爵さん」
あははっとシャロンは笑う。
「君ほどじゃないさ」
その笑顔が眩しくてルファスは目を細める。
彼女が、その知恵と能力で、行政官たちを助けているのは知っている。
「おだてても何も出ないわよ」
シャロンはちょっと照れた顔で、恥ずかしそうに笑った。
その表情にどきりとする。
もっと彼女に触れたくて、ルファスの手がシャロンの頬に伸ばされる。
「公爵様?」
「あ、いや!! なんでも!! む、虫がいたような気がして!!」
「あら、ありがとう」
シャロンはきょとんとしつつ、お礼を言った。
ルファスを見上げるシャロンは不思議そうに、こてんと首を傾げた。大人びている彼女の、どこか可愛らしい所作にどきりとする。
こんなとき、恋人だったら彼女を抱き寄せ、その頬に口づけすることを許される。
ずきりと痛む胸を、ルファスは押さえた。
「ひとつ、相談がある」
固い声が出た。
シャロンが警戒するように片眉を上げる。
「何かしら?」
「契約内容の……追加だ」
「追加」
シャロンは驚いた顔をしたあと、笑った。
「いいわよ。お金儲けができるわね!」
「な、内容を聞かずにいいのか!?」
「だって、公爵様だもの」
おかしそうにシャロンは笑った。
「それともなに、おかしなことを付け加えようとしてたの?」
くすくすと、いたずらっ子のようにシャロンは笑う。
そう言われてしまえば、ルファスは無言になった。
「え、なに。本当におかしなことなの?」
シャロンは顔を引きつらせた。
「手」
「手?」
「手を、繋ぎたかった」
ルファスは小さい声で言った。
視線を床に落とす。
彼女の前ではいつも勇敢になれない。臆病で、物おじしてしまう。
ふいに風が揺れた。
顔を上げると、シャロンの柔らかく笑む顔が目に映る。
白い手が伸ばされ、ルファスの手を両手で優しく包み込む。
「こんなの、契約するまでもないわよ」
けらけらっと、シャロンはどこまでも明るく笑った。
どこまでも君は優しい。
ルファスは泣きたくなるのを押し隠し、唇だけで笑った。
(君を好きだと言えたら、どんなにいいだろう)
言葉にできない思いの代わりに、ルファスはシャロンの手を握り返した。




