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悪役令嬢は「味方ゼロ」から一人ずつ寝返らせたい  作者: 月雅


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第6話「関税の壁」

ヴィオレッタは国境の関所に立ち、通行記録の束を借り受けた。


エルデンから東へ徒歩で半刻。国境の関所は石造りの小さな建物で、通行する商人の荷を検分し、関税を徴収する場所だった。


関所の番人は、マルグリットの紹介状を見て渋々と記録簿を持ち出した。


「ハーゼン会長の紹介とあれば断れませんがね。閲覧だけですよ。持ち出しは不可です」


「ここで拝見します。机をお借りできますか」


番人が指し示した窓際の机に、ヴィオレッタは通行記録と関税台帳を広げた。


数字が並んでいる。品目、数量、課税額、適用区分。一件ごとに商会名が記されている。


指先で行を辿りながら、ヴィオレッタは数字の流れを読んだ。


見えた。


鉄環商会の課税額が、同じ品目の銀枝商会の課税額より一貫して低い。適用されている関税区分が異なるためだ。本来、同一品目には同一区分が適用されるはずだが、鉄環商会の取引には「特例措置」の注記が繰り返し付されている。


特例の承認者は、いずれも代官の名前だった。


ヴィオレッタは数字を書き写しながら、構造を組み立てた。


告発ではない。


前世の経験が教えている。不正を告発すれば、告発した側が敵を作る。権力を持つ者の不正を正面から指弾すれば、その権力が自分に向く。


やるべきことは違う。関税区分の見直しが、代官にとっても、鉄環商会にとっても、辺境伯にとっても利益になる構造を設計する。


告発は敵を作る。利益の再配分は味方を作る。


関所から戻ったのは昼過ぎだった。


銀枝商会の自室に入ると、机の上に見覚えのない紙が置かれていた。


短い文面だった。


「商会の問題に首を突っ込むよそ者へ。身の程を知れ」


署名はない。だが、紙の質と墨の色に見覚えがあった。関所で見た鉄環商会の帳簿と同じ紙だ。


ヴィオレッタはその紙を折りたたみ、机の引き出しにしまった。


脅し文の類いだ。これ自体は問題ではない。問題は、これが来たということは、自分の動きが鉄環商会側に伝わっているということだ。関所の番人か、あるいは別の誰かが情報を流している。


想定の範囲内だった。むしろ、圧力が来るということは、正しい方向に進んでいる証拠でもある。


翌日、マルグリットが執務室に呼んだ。


「代官から話が来た」


マルグリットは椅子の背にもたれ、腕を組んでいた。表情は平坦だが、目の奥に苛立ちがあった。


「あんたを使い続けるなら、うちとの取引条件を見直すとさ。ついでに、あんたが使ってる部屋の利用もやめろと」


代官が直接、銀枝商会に圧力をかけてきた。


ヴィオレッタは背筋を伸ばしたまま答えた。


「ハーゼン会長にご迷惑をおかけするつもりはありません。ただ、一つ確認させてください」


「何だい」


「代官が圧力をかけてきたということは、関税区分の問題が代官にとって触れられたくない案件だということです。この圧力に屈すれば、銀枝商会は今後も不利な条件で取引を続けることになります」


マルグリットは黙ってヴィオレッタを見た。


「三日ください。提案書を仕上げます。それをご覧いただいてから、判断していただけますか」


長い沈黙の後、マルグリットは鼻で息を吐いた。


「三日だ。それで結果が出なけりゃ、あたしも商会を守らなきゃならない。わかるね」


「はい」


三日間、ヴィオレッタは自室にこもった。


関所で書き写した数字を並べ、過去三年分の関税記録から傾向を割り出した。


計算の結果は明確だった。


鉄環商会への特例措置によって、本来徴収されるべき関税の約十五パーセントが失われている。これは辺境伯の税収に直接響く数字だ。


特例措置が代官の裁量で承認されている以上、辺境伯がこの事実を知らない可能性が高い。知っていて放置しているなら、辺境伯自身の統治能力が問われる。


どちらにしても、数字を突きつければ動かざるを得ない。


提案書の構成を組み立てた。


冒頭に現状の関税構造を図示する。次に、特例措置による税収減を具体的な数字で示す。そして、関税区分の統一による税収回復の試算を提示する。


ただし、代官の不正を直接的に糾弾する文言は一切入れない。


提案書の主旨は「関税制度の効率化による税収改善」だ。代官の名前は一度も登場しない。数字だけが、何が起きていたかを語る構造にする。


さらに、鉄環商会への配慮も組み込んだ。関税区分の統一により特例措置は廃止されるが、過去の脱税に対する追及は行わない。移行期間を設け、新しい条件での取引を段階的に始められる猶予を与える。


完全な敗者を作らない。全員が「これなら受け入れられる」と思える着地点を設計する。


三日目の夜、提案書が完成した。


翌朝、マルグリットの執務室に提案書を持ち込んだ。


マルグリットは黙って紙をめくり、数字を追った。


途中で一度、手が止まった。税収減の試算を示した箇所だった。


「これは確かなのかい」


「関所の通行記録と関税台帳から算出した数字です。検算は三度行いました」


マルグリットは残りの頁をめくり終え、提案書を机の上に置いた。


「あんた、これをどこに届けるつもりだい」


「辺境伯の目に届く場所に。ハーゼン会長、銀枝商会は辺境伯のご執事に定期的に贈答品を納めていると伺っています。その便に、この提案書を同封していただけませんか」


マルグリットの目が細くなった。


「あたしのルートを使うってことは、あたしがこの提案に乗ったと辺境伯に見なされるよ。わかってるね」


「はい。だからこそ、会長にまず中身をご確認いただきました。銀枝商会にとっても、関税区分の統一は長期的な利益になるはずです」


マルグリットは腕を組み、しばらく天井を見上げていた。


「……ルートは使わせてやる。ただし、結果がどう出ても、あたしは知らなかったことにする。いいね」


「十分です」


提案書は、翌日の贈答便に同封された。


届いたという知らせは、十日後に来た。


辺境伯クラウス・ヴェルナーの名で、代官宛てに召還命令が出された。代官はエルデンの任を解かれ、辺境伯の本領へ出頭を命じられた。更迭だった。


知らせが届いた日、エルデンの町は静かにざわめいた。


代官がいなくなる。鉄環商会の後ろ盾が消える。それが何を意味するか、商人たちは即座に理解した。


新しい関税区分が、辺境伯の命令として布告された。両商会に同一の区分が適用される。特例措置は廃止。ただし、過去の取引に対する追及は行わないことが明記されていた。


鉄環商会は優遇を失った。だが、脱税の罪を問われることはなかった。


銀枝商会は公正な条件を得た。長年の不均衡が、ようやく正された。


マルグリットが執務室でヴィオレッタに茶を出した。彼女が自分で茶を淹れたのは、ヴィオレッタがこの商会に来て以来初めてだった。


「やるじゃないか」


短い一言だった。だが、その声にはこれまでの値踏みの色がなかった。


「敵を潰すんじゃなく、全員が飲み込める形を作った。正直、代官を告発する方向で来ると思ってたよ」


「告発は敵を増やします。仕組みを変えれば、結果として不正が消えます」


マルグリットは茶を啜り、ヴィオレッタを見た。


「あんた、前は何をしていたんだい」


同じ問いを、別の人間から聞いた。


ヴィオレッタは一瞬、ナハルの顔を思い浮かべた。


「交渉が得意な、ただの令嬢でしたよ」


マルグリットは鼻で笑った。


「ただの令嬢がこんなことをやれるもんかね。まあいい、過去は聞かないよ。あたしが見るのは結果だ」


茶を飲み干し、マルグリットは立ち上がった。


「関税の件、あんたの提案書が辺境伯の代官後任にも参照されるそうだ。当面、この町の関税実務はあんたの設計した枠組みで動く」


ヴィオレッタは一礼した。


夕刻、商会の前で、ナハルが待っていた。


壁にもたれ、通りを眺めている。いつもの姿勢だった。だが、ヴィオレッタが出てくると、すぐにこちらを向いた。


「聞いたよ。代官が飛ばされたって」


「事実は関税区分の見直しです。代官の人事は辺境伯の判断です」


「言い方が堅いな」


ナハルは壁から背を離し、ヴィオレッタの横に並んで歩き始めた。


「お前、前は何をしていたんだ」


ヴィオレッタは小さく笑った。


「交渉が得意な、ただの令嬢でしたよ」


「ただの令嬢が関税制度を設計し直して代官を更迭に追い込むわけがないだろう」


「追い込んではいません。数字を届けただけです」


ナハルは黙った。


夕暮れの通りを、二人は並んで歩いた。


ナハルの視線が、ヴィオレッタの横顔に向いているのがわかった。


「お前の笑い方、最初に会った時と変わったな」


「そうですか」


「最初は笑ってなかった。口は笑ってても、目が笑ってなかった」


ヴィオレッタは歩きながら、少しだけ考えた。


この男の観察眼は厄介だ。帳簿の嘘には気づかなくてもいいが、表情の変化には気づく。密偵としての目ではない。この男は、人を見ている。


「ナハルさん」


「ん」


「今の私の目は、笑っていますか」


ナハルは一瞬、言葉を切った。


それから、前を向いた。


「……さあな。暗くてよく見えない」


嘘だった。まだ十分に明るい夕暮れだった。


ヴィオレッタはそれ以上聞かなかった。


商会の角を曲がり、自室へ続く階段の前で足を止めた。


「おやすみなさい、ナハルさん」


「ああ。おやすみ」


階段を上がりながら、ヴィオレッタは気づいた。


この男の笑い方を、報告書には書けないだろう。


そして自分のこの思考を、誰にも言えないことにも。


自室に戻り、机に向かった。明日からは、辺境の他の案件にも目を向ける必要がある。関税問題の解決で、ヴィオレッタの名はエルデンの外にも広がり始めるだろう。


それは機会であり、同時にリスクでもあった。


名前が広がれば、王都の噂と接触する日も近い。


断罪された公爵令嬢。その名が追いつく前に、実績を積む。


ヴィオレッタは新しい紙を広げ、次の仕事の構想を書き始めた。


窓の外で、エルデンの町に夜が降りていた。

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