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第八話「冬じたく」

十一月の終わりに、初雪が降った。


朝に目が覚めたら、窓の外が白かった。薄く積もった程度だったが、山の輪郭が消えていた。杉の枝に雪が乗って、重そうにしていた。

諒は布団の中でしばらくそれを眺めた。


足元が重かった。ネコチャンがいた。金色の目がこちらを見ていた。


「雪ですよ」


尻尾が一本、パタン。


「寒くないですか」


尻尾が一本、パタン。


「そうですか」


起き上がって、ストーブに火を入れた。

薪ストーブは、この家に来て最初の冬に設置したものだった。既製品を買って、煙突を自分で取り回した。設置の様子を動画にしたら、その回だけ急に再生数が跳ね上がった。薪ストーブへの需要と関心が世の中に一定数あるということを、そのとき初めて知った。


着火に使う杉の端材を入れて、火をつけた。細い火が広葉樹の薪に移るまで、少し待った。ストーブのガラス窓から炎が見えた。部屋が暖まり始めた。

かなり値は張ったが、冬を越すために導入してよかったものの一つだ。


ネコチャンが布団から出てきて、ストーブの前に陣取った。


「特等席ですね」


ぐっと伸びをして、ひとつあくびをした。


冬の準備は、十月から始めていた。

薪は夏のうちに割って乾かしておいた。広葉樹を中心に、クヌギとコナラを多めに確保した。裏山で倒れていた木を集落の人の手も借りて下ろして、斧で割った。

斧で薪を割る動画は、なぜか安定して再生数が取れた。


『音が気持ちいい』

『ASMRみがある』

『主の声もなかなかのイケボぞ』

『斧の選び方教えてください!』

『薪割り、一度やってみたいんすよね…』

『ゴマが虚無顔でずっと見てるの好きw』

『分かるwww』


ゴマは薪割りの間中、庭の真ん中に座ってこちらを見ていた。何を考えているのかわからなかった。邪魔はしなかった。ただ、見ていた。

薪は軒下に積んだ。積み方にもちょっとしたこだわりがあるのだ。

作業風景を配信した。


『薪の積み方にも流儀があるんですね…』

『崩れないようにするコツ初めて知った』

『これDIYチャンネルでいいんですよね?』

『もはやサバイバルチャンネル』

『霊障相談チャンネルだが?』

『ネコチャンネル』

『↑誰が上手いこと言えと』


「田舎暮らしチャンネルです」


十一月に入ってから、車の冬支度もした。

車はSUVタイプ。ディーゼルの四駆で、三十年以上前のものだった。古い車だったが、頑丈だった。作りがシンプルな構造で、自分でいじりやすかった。

山道と雪道に備え、移住すると決めた際に購入したものだった。

土地や家屋よりも、この車と薪ストーブを合わせた金額の方が高かった。この地では必需品であると思ったがゆえに、ケチることだけはやめた。


この時期の作業は、タイヤ交換とバッテリーの確認、それからディーゼルの燃料系の点検だった。ディーゼルエンジンは気温が下がると燃料がゲル化することがあった。冬用の添加剤を入れて、燃料フィルターを換えた。

ジャッキで車体を上げてタイヤを外す作業をライブ配信した。


『はえー、ディーゼルの冬対策、勉強になったわねえ』

『この車何年式ですか』

『古い車の方が自分でメンテしやすいって本当なんだね』

『スタッドレスどこのメーカー使ってますか』


コメントに答えながら作業した。一人の作業は、喋り相手がいると少しはかどった。コメント欄がその役割を果たしていた。


カブも冬支度した。

これは集落の人が処分するというので譲り受けたものだった。

整備の技術の練習台にと思って譲り受けたのだが、オイル交換や消耗した各種パーツを交換しているうちに、大変好調になった。今となっては良き相棒である。


山間の冬は路面が凍ることがあって、また、当然雪が積もったらカブでは走れなかった。バッテリーを外して保管して、エンジンをかけた状態でキャブレターの燃料を抜いた。春まで眠らせる作業だった。


「カブよ、春まで待っててね」


『カブを労ってる諒さん好き』

『これぞカブ主の鏡』

『春になったら絶対動画出してください』

『旧車のカブいいなあ。大事にしてるのが伝わる』

『我、旧車スキー。坂口ニキ、いいセンスしてるよ』


十二月になった。

雪が本格的に積もり始めた。

福井の山間の冬は、思っていたより雪が多かった。平野部は比較的少ないが、山に入ると別だった。移住前にリサーチはしていたが、実際に経験するのとでは違った。

最初の大雪の朝、諒は縁側から外を見て、少し黙った。

膝くらいまで積もっていた。

庭の猫たちはいなかった。納屋に入っているらしかった。納屋の隙間から茶色い鼻先が見えた。ゴマだった。


「みんな納屋に避難してますか」


ゴマの鼻先が、引っ込んだ。

あとで納屋にごはんを持って行こうと思った。

ネコチャンだけは縁側にいた。雪の積もった庭を、黙って見ていた。


「寒くないですか、本当に」


尻尾が三本、パタン。


雪かきを動画にした。

屋根の雪を下ろす作業、玄関前の除雪、水道管の凍結防止——やることが次々出てきた。


『福井の山間ってそんなに積もるんですね』

『リアル雪国暮らし』

『水道管、凍結したらどうするんですか』

『水道はポタポタ程度に蛇口開けておけば大丈夫』

『屋根の雪下ろしって危なくない?』


「慣れたら大丈夫ですが、最初は怖かったです。滑り止めをしっかりつけて、命綱も一応」


コメントで雪国出身者が知恵をくれることがあった。そういう情報は素直に参考にした。

集落の人たちとは、雪が降るとお互いの様子を確認し合うようになった。特に申し合わせたわけではなかった。自然にそうなっていた。朝に顔を出して、道が除雪できているか確認して、お互いに声をかける。手が必要なら手伝うし、協力して買い出し等も行う。

移住して一年ほどで、そういう関係になっていた。


祠への道が雪で塞がれた。

石段が雪に埋もれて、上がれない状態だった。

諒は長靴を履いて、スコップを持って、雪かきをした。石段の雪を一段ずつ払って、道をつけた。急ぐ必要はなかったが、なんとなく、放っておけなかった。

上まで道をつけてから、供物を持って上がった。


雪の中の祠は、静かだった。屋根に雪が積もっていた。自分で葺き直した杉板の屋根だった。ちゃんと雪の重さに耐えていた。

供物を置いて、手を合わせた。


「雪かきしておきました。道、つけておいたので」


頭を下げた。

カメラを回していた。

下りながら振り返ると、ネコチャンがいた。

雪の積もった祠の前に、黒い影が座っていた。

金色の目が、こちらを見た。

諒は手を上げた。軽く、挨拶みたいに。

ネコチャンの尻尾が一本、雪の白い中で、パタン、と揺れた。


年末の配信で、視聴者から聞かれた。


『移住して一年くらい経ちましたが、後悔したことはありますか』


諒はしばらく考えた。


「後悔、か」


縁側を見た。ネコチャンがストーブの前から移動してきて、諒の隣に座っていた。外は雪だった。薪ストーブの中で、薪が弾ける音がしていた。


「不便なことはありますよ。コンビニまで三十分かかるし、雪かきはしんどいし、一人作業は危ないときがあるし」


少し間があった。


「でも後悔はないですね」


『よかった』というコメントが流れた。


「なんか、毎日やることがあって。直すものがあって。供物持って行く場所があって。コメントくれる人がいて」


ネコチャンを見た。


「猫がいて」


ネコチャンは前を向いたまま、動かなかった。

尻尾が一本、ゆっくり、パタン。

コメント欄が静かに流れた。


『よいお年を』

『来年も見ます』

『ネコチャンと諒さんの日常ずっと見てたい』

『ここ、いい場所だなあ』


諒も、そう思っていた。


大晦日の夜、諒は一人で祠に上がった。

カメラは持っていかなかった。

供物を置いて、手を合わせて、しばらく黙っていた。


「今年は、いろいろありがとうございました」


それだけ言った。

下りるとき、振り返らなかった。

でも背中に、金色の光が二つある気がした。


ただ、そこにいる。

それだけで、十分だった。

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