第十一話「招かれざるものたち(前)」
四月になった。
桜が咲いた。
山間の桜は平野部より遅かった。福井の街中がもう散り始めた頃、この集落の桜がようやく開いた。古い家の庭に一本だけある桜が、今年も白に近いピンクの花をつけた。
諒はその桜の前でライブをした。
カメラを固定して、縁側に座って、雑談配信をした。
主役は桜と、猫たちである。
コメントが流れた。
『きれい』
『音がいい、風の音』
『ネコチャンはどこ』
『ゴマが桜の下にいる』
『安定の虚無顔www』
「ゴマ、花見してるんですかねえ」
ゴマは桜の木の根元に座って、上を見ていた。花を見ているのかどうか、猫の思考はわからなかった。ただそこにいた。
ネコチャンは縁側の端にいた。香箱座りで目を細めている。
桜には興味がないようだった。
その週、動画のコメント欄に見慣れない流入があった。
「さかぐち、田舎に住む」のチャンネルに来る視聴者は、だいたい傾向が決まっていた。田舎暮らしに興味がある層、DIYが好きな層、猫が好きな層、それと霊障系の話で辿り着いた層。その四つがほぼ全部だった。
新しい流入は、少し違った。
コメントの書き方が違った。
『本当に辿り着けないか試してみます』
『行ってみようと思ってる人、情報交換しませんか』
『突撃系チャレンジとして面白そうw』
古参の視聴者たちが先に反応した。
『やめた方がいいと思います、本当に辿り着けないので』
『以前試みた人が体調崩して帰ってるから。やめとけやめとけ』
『ここはそういう場所じゃないぞ』
牽制が入ったが、新しい流入は続いた。
諒はコメント欄を眺めながら、ネコチャンを見た。
ネコチャンは炬燵の上にいた。目が細かった。お気に入りの場所で、リラックスしている風だった。
「なんか、変なコメントが増えてますよ」
尻尾が一本、ゆっくり、パタン。
「知ってますよね、やっぱり」
尻尾が三本、少し強く、パタン。
翌週、オカルト系のYouTuberが動画を上げた。
チャンネル名は「怪奇探偵ナイトメア」だった。登録者は三十万人ほどいた。タイトルは「辿り着けないと噂の場所に突撃してみた【前編】」。サムネイルは暗い森の写真に赤い文字で「本当に辿り着けないのか?」と書かれていた。
視聴者の一人がコメントで教えてくれた。
諒は確認した。
内容は、諒のチャンネルの「来られない」現象に目をつけて、実際に行ってみようという企画だった。諒の動画のいくつかをスクリーンショットで引用しながら、場所を特定しようとしている場面が含まれていた。
最後に後編の予告がついていた。「本当に辿り着けないか検証する」という煽り文句だった。
「……来るつもりか」
動画を閉じてから、諒は怪奇探偵ナイトメアのコメント欄をスクロールした。
野次馬のコメントが大量についていた。
『行ってみたい』
『霊スポットじゃん』
『ネコチャン見たい』
その中に、一件だけ毛色の違うコメントがあった。
アカウント名は「yashiro_k」。アイコンは無地だった。投稿履歴を見ると、このコメント一件しかなかった。登録したばかりのアカウントだった。
内容はこうだった。
『この場所、以前から存在は把握していました。石碑の状態が気になります。表面の彫刻、判読できた方はいますか』
諒は少し止まった。
石碑のことは、このチャンネルで触れていた。ただ、怪奇探偵ナイトメアの動画では一度も言及されていなかった。それなのにこのコメントは石碑を知っていた。
諒のチャンネルを見ている視聴者だろうか。
でも「以前から存在は把握していました」という書き方が、どことなく引っかかった。
ファンの書き方ではなかった。
もっと乾いた、なんというか、調査記録みたいな書き方だった。
「……なんか変なコメントがある」
独り言だった。
ネコチャンが、諒のスマートフォンを一瞥した。
一瞬だけ、目が細くなった。
それからそっぽを向いた。
諒はそのコメントをもう一度読んだ。
返信しようかと思ったが、なんとなくやめた。
諒はライブを始めた。
「さっき、ある動画を見ました。うちのチャンネルを引用して、場所を特定して来ようとしている動画です。一応言っておきますが、好奇心だけでの来訪の受け入れはしていないです。騒がしくなって近隣に迷惑をかけたくないし、アポも取ってもらっていないし。私有地への無断立ち入りは困ります」
少し間を置いた。
「まあ、ただ……来られるかどうかは、わかりませんけど」
コメントが流れた。
『せやな』
『正直すぎる』
『最後の一言が全部』
『ネコチャン案件』
ネコチャンが縁側から入ってきた。
諒の隣に座って、カメラの方を見た。
金色の目が、まっすぐレンズを見ていた。
コメント欄が静かになった。
『ネコチャンが出てきた』
『来てみろ、って顔してる』
『ドヤ顔?』
諒はネコチャンを見た。
「ネコチャン、あんまりひどいことは」
尻尾が一本、パタン。
「……まあ、任せます」
後編の動画が上がったのは、それから四日後だった。
タイトルは「辿り着けない場所に突撃したら本当にヤバいことになった【後編】」に変わっていた。
サムネイルの怪奇探偵ナイトメアの顔色が、前編より明らかに悪かった。
視聴者に教えてもらって、諒は確認した。
動画は五十分あった。
最初の十分は、車でナビに従って山道を走る場面だった。
『ここを右だよな』
『あれ、また同じ交差点に出た』
『おかしい、絶対ここを通ったはずなのに』
同じ分岐を三回通っていた。四回目は別の方向に出た。地図で見ると明らかに遠ざかる方向だった。
二十分あたりで、カメラマンが「なんか車酔いしてきた」と言い始めた。
車を止めた場面で、画面が少し乱れた。
三十分あたりで、ナビが完全に沈黙した。電源は入っているが、画面が真っ白になった。
スマートフォンのマップに切り替えようとしたら、アプリが落ちた。
再起動したら、なぜか全部のアプリが落ちていた。
四十分あたりで、一行は山道の途中に止まっていた。
『戻ろう』
『もう少し行けば』
『いや、戻った方がいい。なんか、目がおかしい』
『え、どういう』
『光が変なふうに見える。なんか、多すぎる気がして』
全員が車から降りて、深呼吸していた。
カメラが揺れた。
カメラマンが「何かいる」と言った。
『どこ』
『あそこの木の、上』
カメラが木を向いた。
暗い木立だった。
何もなかった。
でも。
一瞬、光が見えた気がした。
金色の点が、二つ。
いや、シルエットで、複数。
次のカットでは、車が来た道を戻っていた。誰も何も言っていなかった。
しばらくして怪奇探偵ナイトメアがカメラに向かって言った。
「今日は撤退します。なんか、来てはいけない場所というのが、体でわかりました。このチャンネルの場所、確かに存在していると思います。でも俺たちが行っていい場所ではないと判断しました」
一拍置いて続けた。
「坂口さん、その、無断で取り上げてすみませんでした。撤収します」
動画はそこで終わっていた。
諒はその夜のライブで動画の感想を話した。
「見ました。来られなかったみたいですね。謝罪もしてもらったので、特に何もないです」
コメント欄が流れた。
『金色の光が映ってたよ』
『ネコチャンじゃないか』
『シルエットだけど、複数いなかった?』
『ガチホラーだった』
『古参からしたら、シルエットすらかわいいけどな』
『ホラーどころか、たのもしいが勝つだろ、むしろ』
『ゴマが昨夜いなかったのと関係ある?』
『そういえばゴマちゃんも金色おめめだっけ』
「ゴマ……確かに昨夜いなかったですね。他にも何匹か」
諒は庭を見た。
ゴマが定位置にいた。今日はいた。
「ゴマ、お疲れ様でした」
ゴマがこちらを見た。
あくびをした。
コメントが流れた。
『仕事した顔してる』
『眷属のお仕事、お疲れさまです』
『よっ!若頭!!』
『ヤーさんと一緒にすんなし』
『まあでも、流石の風格ではある』
ライブを終えてから、諒は縁側に一人で座った。
ネコチャンが隣にいた。
春の夜は静かだった。遠くで何かが鳴いていた。
「あなたが選んでくれてるなら、まあ大丈夫か」
ネコチャンがこちらを向いた。
金色の目が、諒を見た。
まばたきを一度した。
そして諒は気づいた。
尻尾が——。
「……増えてます?」
暗がりの中で、確認しようとした。三本だと思っていた。でも今は。
「ちょっと待って」
スマートフォンのライトをそっと当てた。
四本、あった。
「…増えてる」
ネコチャンは山の方を向いたまま、動かなかった。
「増えてますよ、ネコチャン」
尻尾が一本、パタン。
「……それはわかってる、か」
諒はしばらくそのまま、ネコチャンの尻尾を見ていた。
三本から四本。
たった一本だったが、その一本がなんだか大きく見えた。
「また増えるといいですね。…いいのかな?」
返事はなかった。
でも四本の尻尾が、夜の空気の中でゆっくり、揺れた。
増えました。




