9時 神殿図
保安省本部、白く乾いた室内。中央には監視装置の端末が、無機質な照明に照らされている。
「この装置に触れて」
装置には読心能力を模倣したシステムが使われ、超能力をより鋭敏に高める機能がある。これで、心の声を完全に読み取れるはずだ。
神宮は端末の側へ進み、静かに自分の手を装置に置いた。一ノ瀬も、戸惑いながら手を重ねる。神宮の掌の下に、彼女の指先の温度が触れる。
映像出力モニターが唸り、心電図の波形が浮かび上がった。
しばらくの沈黙のあと、一ノ瀬が微かに顔を伏せて言った。
「……何も、見えないわ」
まるで深海に沈むような言葉だった。
波のひとつすら生まれない。神宮の心の中には、本当に何もない。
「そう……」
神宮はわずかに目を伏せた。
装置のモニターには、乱れすらない直線のような記録が、延々と続いている。
「でも見えないだけで、無いってわけじゃ……あなたが私を助けてくれたのは事実で……」
神宮は答えない。
漣が死んだ、あの0時。
それがすべての始まりで、すべての終わりだった。
「彼の処刑を目撃した者で、生きているのは僕だけだ」
漣の同僚や、学校の後輩も既に死亡している。過去は取り返せない。今や彼の心を読む方法は無かった。
「いつも後手後手だ」
様々な能力が使えても、うまくできない。やはり自分は、漣のようにはなれない。
「……小さい頃の私ね。16歳になったら、誰かと結婚したかったの。そのために優勝をって思ってた」
その時、一ノ瀬がポツポツと話し始めた。
「いや、金メダルで水族館デート、16歳でキスだったかな。とにかく、凄く好きだったのに覚えてないの。
今は漣さんが全てでも、色んな人に出会うよ。でもそれは彼を忘れるわけじゃなくて、積み重なるの。だって過去は絶対消えないんだから」
一ノ瀬の声はほとんど聞こえなかった。
「『生まれ変わっても探しに行く。お前を守るよ』って言われたり。私は今……」
そのとき、非常ベルが鳴り響いた。
壁のランプが赤く点滅し、警報が建物の隅々に響き渡る。
突如として、外から振動と爆音が響く。
「な、なに……? テロ?」
モニターが切り替わり、監視カメラの映像に映ったのは、大量の悪魔。
それが映像越しにこちらを見たとき、一ノ瀬はとっさに神宮の手を掴んだ。
その瞬間――モニターに写る影の中に、誰かの笑顔が見えた。
柔らかくて、温かくて、どこか懐かしい。記憶の断片が、一ノ瀬の心を揺らした。
「……!」
そして、爆風が吹き抜けた。
吹き飛ぶ一ノ瀬を、神宮は何もせず見ていた。
施設の天井が崩れ、白い煙とともに火の粉が舞う。
一ノ瀬は血を流して倒れていた。
「……助けて」
掠れた声。神宮に向かって、手を伸ばしていた。
だが
(……何も感じないなぁ)
”読心能力”はもう必要ないからだ。
神宮は思う。
やっぱり自分は壊れている。
(あの時一緒に死ぬべきだった)
そう立ち尽くしながら、彼は爆風に飲み込まれた。傷口から黒い霧がわずかに上がった。
*
『……生きて』
声がした。
崩れかけた脚に、力が宿る。
君は最後にそう言った。
心は読めないが、少なくとも声に出した最期の言葉は『生きて』だった。
『自分を忘れて幸せになって』と。
君のいない世界で、幸せになれるわけがないのに。君が僕の世界なのに。
もう一度あの幸せを食べたい。
ただ、そばにいて欲しかった。それだけだった。
何を犠牲にしても君を守るべきだった。そう気づいても、過去には戻れない。
それでも僕は立ち上がり、悪魔の影に指を向ける。指先に赤い光が灯って伸びていく。影は崩れ、音もなく消えた。
「わかった」
君が全てをくれた代わりに、僕は君のいない0時1分を生きる。
それが僕たちの契約。
悪魔は契約を守るものだから。




