表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
0時1分の欠落  作者: リョーシリキガク
午前編 本能

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/24

5時 決戦のゴング

 12月20日、深夜。

 首都のホテル、その静まり返った廊下に、神宮は立っていた。

 背後の扉の向こうには、一ノ瀬が眠っている。事件を理由に警備役の契約まで取り入ったわけだ。殺人犯より、熱狂的ファンのほうが厄介らしいが。とある"答えのない質問ごっこ"もさせられた。


 やがて、軋む音とともにドアが開き、寝ぼけ顔の一ノ瀬が現れた。

 むにゃむにゃと彼女が言うことには、滑走は朝早いから、この時間には起きて、体を目覚めさせておく必要があると。


「警護、ありがと……です」


『警護なんて、君に会うための口実だ』


 その一言で、彼女は寝起きの顔を赤らめた。


「……てきとう言わないで」


 『大マジ』な答えだが。この反応、お姫様とか呼ぶのも効果があるのだろうか。

 思えば一ノ瀬家は名家で、財閥本家にも近い。お嬢様が一度灰を被って、数奇な人生だ。


「あなたは寝なくて大丈夫ですか?」


『大丈夫。心配してくれて、ありがとう』


 淡々とした模範回答。

 人間は、他者の痛みを読み取る能力を持つらしい。しかし君は本当に感じ取れているのだろうか?自分と同じ心を他人ボクが持つかどうか、分からないのに。


 一ノ瀬は少しの沈黙の後、ぽつぽつと言葉を落とした。


「映像が欠けてた。私じゃないって証拠がない」


 その声には、天才の仮面に隠された、ただの少女の恐怖が滲んでいた。


「大事な映像が欠けているなんて……」


 彼女はそこで口を噤んだ。

 その先は決して言ってはならない。廊下に漂うのは「ジー」という虫のような囁きと、監視装置が放つ赤い光である。


 神宮は独り言のようにらした。


「意外にこの国は脆い。馬車に見えて、実際はかぼちゃでできている」


 その言葉に、一ノ瀬の瞳がぱっとこちらを向く。神宮は口元に微笑を浮かべ、囁くように付け加えた。


「大丈夫。今は12時だ。誰にも聞かれてない」


 ――君以外はね。


 微笑に導かれ、一ノ瀬は心の奥を言葉に託した。


「……この国はおかしい。たった1分しか、本音を出せないなんて」


 それは、深夜の空気を震わせる告白だった。

 神宮は「では君の人生に、本当に自由だった時間は、いったい何分あったのか」と応えようとしたが、それは答えではないと推測し、黙っていた。


「負ける気はない。これまでも命を懸けてきた」


  試合に負けたら処刑。その恐怖すら乗り越える、強く美しい心が煌めいていた。


「体が成長したら、今のジャンプができなくなるかもしれない。ずっと恐怖と闘ってきた」


 彼女は自分に言い聞かせるように言った。


「この世界リンクで、自分で自分を一番だと思えなければ、何もかもに意味はない」


 誰が一番かなんて問いは、鏡に聞くものではないのだろう。


 ゴーンとゴングが響いた。



「SPでは惜しくも2位でしたが、最年少優勝への期待がかかります――一ノ瀬選手!」


 アナウンスが響き渡る。照明が落ち、氷面は墓標のように沈黙した。

 数万の視線が一点に集まる。その中心に、一ノ瀬は立っていた。

 背筋をすっと伸ばし、顎をわずかに引く。その姿は、戴冠を受ける女王か、処刑台へ歩む囚人か。


 楽曲は『シンデレラ』。


 第一音と同時に、彼女の身体は氷を裂く刃へと変貌する。

 銀の靴が刻む軌跡は、砕け散るガラスの煌めきのように観衆の眼を射た。


 最初のジャンプ、トリプルアクセル。

 宙に舞い上がった瞬間、世界は凍り、観客の息が止まる。

 そして――静かに氷に降り立つ。音も衝撃もなく、完璧な着氷。


 昨日彼女は語っていた。

 ――「一度きりだから、やり直せないからこそ美しい」

 その美のために、何を犠牲にしてきたのか。彼女は今、何を思っているのか。誰にもわからないし、どうでもいい。

 なぜなら観客は自分にできないことを彼女が演じることが、自分の理想を投影することが全てだ。


 ステップが続く。研ぎ澄まされた刃物の連撃のような滑り。

 レベル4は確実だ、勝利は見えた。

 観客席で神宮は、静かに思う。

 ――問題はその後だ


 一ノ瀬は自分に好意を抱いている。これを上手く利用するには、彼女が自分に投影している理想像を崩してはならない。

 では、自分も彼女を欲しているが、これは?

読心能力者を前にしても、“喰いたく"はならなかった。

 ならば上手く使えないだけで、自分の中にも読心能力は存在するのだろうか?


「……腹が減ったな」

 神宮は心の中で呟いた。


 一ノ瀬は次々と技を成功させ、コレオシーケンスを舞い切る。


 最後のジャンプ。4回転サルコウ。

 これを跳べるのは彼女だけ。

 シンデレラのガラスの靴のように、彼女を唯一にするもの。


 足の踏み切り方は左後ろ内刃(サルコウ)だ、回る、回る、4回転。


 ガラスの靴は、ピタリとはまった。最後のスピンも完璧だ。


 リンクに嵐のような拍手が降り注ぐ。

 彼女は肩で息をしながらも、微笑んで深々と一礼した。


「――完走! 一ノ瀬選手! この高難度構成を滑り切りました!……ッ!?」


 その時、リンクが暗闇に包まれた。


「素晴らしいFP(フリープログラム)だったわ」


 女の声が響く。神宮は暗闇の中、リンク中央の一ノ瀬のそばに降り立ち、進み出てくる2つの影を見た。フィギュアスケーター②と、振付師に変身した"悪魔"だ。


「私、貴方のこと大好きよ。

この悪魔と契約して初めて頼んだのは、貴方に変身してもらうことだった。でも違ったの」


 女はニコリと微笑んだ。暗闇の中では一ノ瀬には相手の表情が見えないのだろう。困惑の声が聞こえる。


「何、言って……」


 女の声が響く。決戦のゴングのように。


「さぁ、エキシビションを始めましょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ