21時 飢え
「食べたい」
囁きのように、神宮は呟いた。
――あぁ、一ノ瀬。
君のその、美しい心が欲しい。
喉がざらりと鳴り、口の中が疼く。
その心が手に入るのなら――この街も、この国も、全人類を犠牲にして構わない。
先ほどの瞬間、一瞬だけ。
一ノ瀬の瞳の奥に、神宮は漣の面影を見た。
理想であり、神であり、そして最後まで心をくれなかった男。
(……そうか。漣くんってのは)
神宮は炎に染まる冬宮の広場へ降り立った。
後に“赤の極夜”と呼ばれるこの一夜は、戦争であった。
薔薇の団は、漣の遺伝子から生み出された模造品の悪魔たちを放ったと記録されている。国中の超能力者と、友好的な悪魔が協力し敵を撃つ、英雄的な大戦。
悪魔が、超能力者が、非能力者が、手を取り合って、強大な敵に立ち向かう。それは理想の縮図だった。能力の有無も、人も悪魔も超えて、皆が分かり合える。なのに僕と君は分かり合えない。
広場の銅像に腰かけるようにして、一体の巨躯が姿を現した。膨張した肉体、黒煙を噴き上げる六枚の翼、灼熱の瞳。
「アアアアアアアアアア!!」
悪魔は咆哮し、その両手から放たれた火柱が、冬宮ごと神宮を包もうとする。
神宮は左腕を掲げた。
レーザー起動、出力30%。
瞬間、彼の腕から白い線が放たれた。
光の刃。それは空気さえも裂く密度と温度を持ち――悪魔の炎と、正面から衝突した。
ゴオオォォッ!!
赤と白、灼熱と純白。空気が真空に近づいた一瞬、爆風が広場の銅像を吹き飛ばし、神宮の外套を裂いた。
さらに光速で放たれたレーザーが、悪魔の翼を一枚切断する。
「アアアアッ!」
悪魔が苦痛に咆哮する。
神宮はさらに踏み込んだ。
左手を、迷いなく悪魔の胸部へと突き立てる。
悪魔は断末魔をあげて、崩れ落ちた。
その模造体は、どれだけ力を手にしても、漣にはなれない。他者を傷つけて届く理想など、最初から地に堕ちていた。
神宮はその亡骸に指を差し込む。血と記憶の奔流が、彼の脳髄に流れ込む。
――彼はそれを、喰らった。
力が満ちる。
その行為は、渇望の充足ではなく決別だった。
僕は悪魔だ、と。
無数の鎖が蛇のように伸び、神宮を襲う。現れた悪魔の巨躯は鋼鉄に覆われ、全身が甲冑のように硬化していた。
神宮はわずかに身を沈め、手刀で空を裂いた。 次の瞬間、鎖の束が彼の周囲で断ち切られ、火花となって散る。
「ギギギィィィィ!!」
空からは翼の生えた悪魔が、氷の礫を叩き落とす。神宮はそれをサイコキネシスで弾き飛ばし、鋼鉄の悪魔の頭蓋を粉砕した。
数十体に及ぶ模造体。神宮はそれらを正確に、冷酷に、そして美しく狩っていった。それが彼の仕事だ。
喰らい、強くなり、より完全に――
神宮は跳躍し、飛行する悪魔の翼を掴んで踵落としを叩き込む。
「ぐぎぁああああぁぁ!!!」
血と氷片が宙を舞い、悲鳴が夜空に消えた。眼下には美しい街が広がっていた。
漣が理想足り得たのは、他人の幸せのために自分を犠牲にできたからだ。
だから完全になろうと、欠けを埋めようと他者から奪うほど、それは遠のく夢なのだ。
自分には決して辿り着けない。
世界はこの空白を埋められない。
それでも――
神宮は上空で静かに呟いた。
「この世界は美しい」
彼が愛した世界だから。




