2時 命の洗濯
12月19日
連邦首都レイグラード、国家保安省本部
財閥当主の命を受け、超能力者と非能力者の架け橋として、連邦の国家保安省、超能力捜査官に赴任。
12月18日、レイグラード郊外にて幻影の悪魔を討伐。悪魔の欠けた能力を求める性質を利用した。対象は読心によって死者の幻を見せる能力を保持。
ここから「死者が心の中に存在するならば、読心能力者を用いて自分の心を読ませ、漣の再現が可能」との仮説を立案した。
漣の遺言は代わりを探せであるが、他の誰にも何も感じないため、彼を再現する方針に切り替える。
*
「……報告書に個人的な話は書くな。それから、財閥当主様、偉大なる当主様とお呼びしろ」
報告相手の上官は、手袋をはめた指で机をとんとんと軽く叩いた。
小柄で、丸まった背中をした初老の男。目尻には油断のない皺が深く刻まれ、まるで老いた狸のようだ。
恐怖の象徴である黒の制服を身にまとい、机の上には女性と子供の写真が飾られている。脳内のデータによれば、二人は既に銃殺されていた。密告したのは、この上官自身。
国家の犬ならぬ狸である。
「はい」
神宮は無言で頷いた。
「MYEARのチェック…も問題なしか」
神宮は壁の財閥当主“様”の大きな肖像画を一瞥し、白く無骨な端末に手をかざした。
心の監視装置。国民の精神を記録し、映像とともに保管する国家の猫。心は読めないが、強い反逆の兆候は感知できるらしい。最近は能力の解析が進み、読心能力に近い能力が使われているとのことだ。
「……相変わらず、完全な無反応だな」
装置は純白のまま沈黙していた。
西側の思想汚染なし。反逆の兆候もなし……
上官は書類にメモを走らせた。
神宮は静かに口を開く。
「読心能力者を探しています。目撃情報は?」
上官は書類の束を手繰り寄せ、数枚を神宮の前に差し出した。彼の手袋が目に入る。
「穀倉地帯で飢饉と反乱の兆候がある。粛清だ。汚れを落としてこい。あぁ、公開処刑をするから首謀者は生かして連れ帰るようにな」
神宮はわずかに眉をひそめた。
「僕は、読心能力者を探したいのですが」
上官はそこでようやく目線を上げ、口元だけで笑った。
「最近能力者狩りが流行ってるだろう?この反乱の裏でも反能力者の集団が動いている。薔薇の団――やつらが何か情報を握っているかもしれん」
*
誰もいない薄暗い地下。膨大な映像データの中に、数多の叫びがこびりついていた。
「俺にはあるよ。命に変えても、守らなければならないものが」
ある男の瞳は氷のように冷たく、ある男の瞳は、獣のようにギラついていた。
「全てをこの国に捧げる覚悟! この意味がわかるか? 自分の命だけではない、家族もろともだ……この巨大な国家を背負うとは、自ら悪魔になることだ!」
「一体いつから、私は手袋を外せなくなった?」
*
「穀物の生産は順調ですよ、輸出も問題ありません」
駅のホームで駅員が陽気に繰り返す。
瞬間移動で来れば列車もいらないが、切符が残らないから宿泊の出張費が出ないのだ。そんな滑稽な規則に従いながら、神宮は駅を出た。
「保安省の職員が……何のご用で?」
「国庫から輸出用の小麦が大量に盗まれたそうで。その犯人探しを」
「…!いや、警備に不備はありませんでした。まるで魔法…きっと超能力者が盗んだんです!」
国の倉庫で、地下部分にあった小麦が盗まれ、代わりに身元不明の死体が倉庫内で見つかった。
薔薇の団は反超能力の団体だと聞いた。犯人が能力者なら薔薇の団とは無関係に、別にいることになるが、真面目に犯人探しをする必要はない。薔薇の団をさっさと捕らえて情報を吐かせれば仕舞いだ。
駅員の口調とは裏腹に、村の空気は死んでいた。
飢餓輸出――。
道端には、袋をかぶせられた死体が山のように積まれている。疫病で息絶えた者たちだ。雪がその顔を覆い隠すことだけが、この地に残された唯一の慈悲だった。
痩せこけた子どもが、道の脇にしゃがみ込んでいる。黒ずんだ氷を削っては舐め、土の中から掘り起こした腐った根菜を手繰り寄せる。
神宮は歩きながら、能力で村中の“声”を拾った。
「偉大なる当主様……」
「西側を打ち倒せ……」
誰もが作り笑いを浮かべ、台本通りに言葉をなぞっている。“心の監視”のもとでは、本音など発露のしようもない。
「連邦評議会で、当主様は“自然は真空を嫌う”と仰った。空白を埋めるよう、能力者を知ろうと歩み寄るべきだと……」
テレビからは演説が響き、雷鳴のような拍手が流れている。
だが、国民が能力者へ向ける視線は、この国の冬よりも冷ややかだ。
この冷たさが、君を溶かしてしまったというの。
その心の声は、どんな監視システムにも届かなかった。
*
ゴーン――
重々しい鐘の音が、夜の村を震わせる。
12時を告げるその音は、冷え切った窓ガラスさえ微かに震わせた。
ゴーン、ゴーン―
神宮は静かに、宿の部屋で耳を澄ます。
――日付がずれる、0時1分。
強力な監視システムもこの1分だけは、同期のために沈黙する。12時の鐘で魔法が解け落ちてようやく、国民は自分を出せるのだ。
「助けて……」
闇の中から、掠れた声が浮かぶ。
「この国は間違ってる……」
「能力者を重用するなんて!」
「薔薇の団がいなきゃ、とっくに餓死者が……」
「石鹸もない……このままじゃ疫病で……」
普段は決して表に出ない本音が囁かれる。
家々の奥で、隠されていた心の声が、0時1分の空白に滲み出す。だが監視装置がなかったところで、この言葉が本心なのか。それは誰にもわからない。
神宮は静かに立ち上がり、能力を切った。
そして丘の上で、誰かがつぶやいた。
「漣先輩……もし1分本心を出せるなら、周りが望む自分を演じなくていいとしたら」
彼女は微笑む男の写真を見ていた。
「貴方は何を語りますか?」
*
ドンドン――。
重く冷たい鉄扉を叩く音が、眠る住民の鼓膜を切り裂くように貫く。
家族全員の血の気が引いた。毎晩の粛清。我が家だけは大丈夫――そんな淡い幻想は、泡のように消えた。
「荷物をまとめて待ってなさい……愛してるよ」
父親は寝巻のまま、決意をにじませて玄関へ向かった。扉の向こうに立つ黒い影――国家保安省。絶対の権力と死を告げる黒衣だった。
「ど、どうされました。こんな夜更けに……」
声は震え、肩が小刻みに揺れている。
「話を聞きに来た。あなたが呟いた“薔薇の団”について」
「……知りません。何も、聞いたことは……」
男は反射的に否定し、顔を強張らせた。
そのとき、神宮が静かに懐へ手を伸ばす。男は恐怖から身を引いたが――
神宮の掌には、ふわりと湯気を立てるパンが現れていた。
「食べる?」
「……っ! 能力者!?」
創造能力――。能力者の中でも希少で、無から何かを生み出すことは燃費の悪さゆえ、不可能に近かった。
だが神宮は、それを平然と、呼吸のように使ってみせる。
男の喉が、ごくりと鳴った。
そして、空腹が恐怖を呑み込み、男は無言でパンを受け取る。
「……村に来て、俺たちを飢えから救ってくれた男が……その……いい人でした」
「いい人?」
「パンをくれて……」
神宮は静かに首を傾げる。
「なら僕もいい人か?」
「……」
「知りたいのは、そいつの居場所だけだ」
男は迷いながらも、首を横に振った。
飢えた本能が理性を揺るがすなか、まだ最後の一線を守っている。
俺はお前らとは違う。人間なのだと目が訴えている。滑稽だ。こいつと僕、そこにどれほどの違いがあると言うのだろう。
神宮は無言でテーブルを指差し、次の瞬間、カゴいっぱいのパンを無造作に創り出した。
部屋中に、香ばしい匂いが広がる。
だが、男は唇を噛み締め、なおも首を横に振る。
神宮の笑みが、すっと消える。無言のまま男の額に指を当てると、男の背を冷たい汗がつたう。
――サイコメトリー。
過去の記憶を読み取る異能。神宮の脳内に、パンを渡す誰か、仮面をつけた大柄な男の映像が流れ込む。
しかし面倒なことになった。
"まさかパンを連れ帰って公開処刑するわけにもいかない"
神宮はもう片方の手を宙にかざし、念写によって紙の上に、パンを配る男の姿を浮かび上がらせる。
「隠しても無駄だ。命は惜しいだろう?」
紙を見せられた男の顔に、さらに脂が滲む。
生存本能――男は選択を迫られていた。
「……丘の上に、反超能力者の団体がいる。そいつらが昔は小麦を徴収して飢饉になってたが、最近になって突然パンを配り出した」
腹の音が、ひとつ鳴った。
*
丘の上の廃屋。
壁一面には赤文字の叫びが乱雑に刻まれていた。
『超能力者に死を』
『自然は真空を嫌う』
『超能力者は異物、排除せよ』
その隙間に、なぜかスケート大会のチケットが一枚、挟まれている。
「……」
自分と違うものを拒絶する。それもまた、人間の本能なのだろう。
神宮は透視で内部を覗いた。
着膨れた男が一人、椅子に腰かけている。仮面は外されていた。いや、一人ではない。一匹と呼ぶべきか。
神宮はドアを乱暴に蹴り破り、淡々と声をかける。
「おい、悪魔。お前の能力は? 物体を入れ替えるだけか?」
物体の入れ替えるにもエネルギーが要る。だから丘の上から質量を持ったもの同士を交換するわけだ。
「わざわざ死体を入れ替えたのは、お前の能力が位置を交換するものではなく、その場所にあるまま、作り替える能力だからか?」
場所はそのまま、AをBに、BをAに。そうして交換されたと同じ状態を作っている。しかしそれならあのパンは実質……
その推測に男、いや悪魔は目を見開いた。白目のない、赤黒い眼がぎらついた。
反応から察するに、能力はひとつだけ。複数の力を持つ者など、ごくわずかだ。
神宮はさらに問いを重ねた。
「まぁ能力はどうでもいい。元の住人、薔薇の団の男は生きているのか?」
悪魔は沈黙した。その答えは、No。
神宮は無表情のまま歩み寄る。
悪魔は、神宮の意図を悟ったのだろう。自らを“薔薇の団”として仕立て上げ、公開処刑のノルマを果たそうとしているのだ。
「……話がある!」
悪魔は叫び、震える手でこめかみに鋭い爪を押し当てた。
血の滲む気配とともに、荒い息が洩れる。
「情報をやる! 拷問の手間を省く代わり、この村を救ってくれ! 食料はどうにかなるかもしれんが、薬がない。特に石鹸だ……!」
爪をさらに深く押し込みながら、悪魔は神宮を睨み返した。
「石鹸があれば……!なぁ?子供が、肌が溶ける病気にかかってる!」
悪魔からは自死への覚悟が読み取れた。
「…」
お前にはあるのか?命に変えても、守らなければならないものが
彼の手は震えていた。死への恐怖を確実に持ちながらも、他者を選んだ。
生命は時として本能を凌駕するのだと。
「わかった」
神宮は静かに応じた。
彼の目が、神宮の顔をじっと見据える。嘘か本当か――だが、信じるしか選択肢はなかった。
「安心しろ。僕は契約を守る」
*
村人たちは次々と真っ白な石鹸を受け取り、誰ともなく安堵の吐息をもらした。
神宮は踵を返し、悪魔のもとへ歩み寄る。悪魔を後ろ手に縛り上げ、二人は列車へと乗り込んだ。
首都の本部に着けば、待っているのは粛清だ。それでも悪魔は、窓越しに救われた村へと、優しい目を向けていた。
この悪魔の心を、もし“監視装置”にかざしたなら――自分の純白より、美しい何かが浮かぶのだろうか。
「契約だ、話せ。読心能力者を知らないか? 元の住民である薔薇の団の男から、得られた情報があるだろう」
悪魔は口を開いた。
「……薔薇の団の能力者狩りについて、心が読める振付師がどうとか。チケットが挟まれていた」
あのフィギュアスケートのチケットか。
列車の発車ベルが遠くで鳴り響く中、彼がふいに低い声で尋ねた。
「……こんな量の石鹸、どうやって手に入れた?」
彼は窓越しに、線路の外の死体を見た。村には死体だけは豊富だ――
「石鹸は動物性の油脂からできてる……」
神宮はしばし黙って、窓の外の雪景色に目をやる。
「僕の創造能力なら“変化”じゃなく、“無”から生み出せる。お前が考えているようなことはない」
そう言いながら、神宮はふと自分の掌を見下ろした。
――しかし、何が違うというのだろう。
死体から作られた石鹸が血塗られていないと言いたいのではない。
救いを生み出したこの手も、決して落とせないほど汚れているのだから。
列車が村から遠ざかる。
倉庫にあった死体は、消えていた。




