19時 舞踏会
12月22日、19時。
神宮と一ノ瀬は、後輩を探すため保安省本部へと向かっていた。
本来ならもっと早く着いていたはずだった。遅れたのは、一ノ瀬の人格が理由である。
「……やめて! 虐殺なんて違う!」
泣きつく一ノ瀬を横目に、神宮は思案した。
一ノ瀬に人格があると計画に支障が出るなら、洗脳するべきか。だが心を操作した場合、読心術が変わらず使えるだろうか。
これ以上遅らすようなら洗脳しよう、神宮はそう決めた。額を指で触れば一瞬だ。
建物は侵入と処刑の跡をさらけ出し、廊下にはまだ煤と瓦礫が散っていた。銃声も悲鳴も、もう聞こえない。ただ、静寂だけが残っていた。
その廊下の奥。ふらつきながら歩く一人の少女が現れた。
髪は乱れ、瞳は焦点を結んでいなかった。フロア全体に違和感が漂っていた。
「……なんでこんなところに子供が?」
神宮は、すぐにそれが誰かを理解した。
「完全記憶能力者だ。心の監視装置のデータを溜め込んでいる」
革命の混乱で逃げ出したのだろう。データをコピーした今となっては、薔薇の団にとっても、国にとっても価値のない存在だ。
「近づかないほうがいい、もう悪魔になるところだ」
「……え?」
近づこうとした一ノ瀬が、驚愕の表情を浮かべる。ミーアは、ただ、ゆっくりと神宮に向けて歩み寄る。
その歩みとともに、周囲の空気が、静かに歪む。
――悪魔化。
体から黒い霧が吹き出し、再び構成されていく。真っ白だった肌は褐色に、瞳は赤くぎらついていた。
一ノ瀬は膝から崩れ落ちた。研究者たちの心を見た時から、薄々気づいてはいたのだろう。それを受け入れられなかっただけで。
「……! あ、あの子、どうにかしてあげて! 人に戻せないの!?」
神宮は踵を返した。この本部に後輩はいない。彼にとって、ここにいる意味はなかった。
「無理だ。一度悪魔になれば、人には戻れない」
「……ひどい! 能力を利用されて閉じ込められて、要らなくなったら捨てられて!」
「他にも、酷い目に遭ってる人はいる。誰かを特別扱いするのが正しいとは限らない」
神宮は淡々と言い、しゃがみ込む一ノ瀬を引っ張ろうとする。だが一ノ瀬は動かない。
「君は自分の境遇と重ねて可哀想に思うだけ?」
読心術の装置としてしか見られていないことに気づき、利用価値がなくなれば捨てられることが怖い。だから同じ境遇のミーアを助けたがる。
「自分が失ったものを、他人の中に求めていないと言い切れる? それなら僕とどう違うの?」
その言葉に、一ノ瀬は黙った。
しかし、目は逸らさなかった。
「……正しいとかじゃない。
知らなかった頃には、もう戻れない。
ただ、目の前の人を救いたいと思うのが、人間の本能なの」
その声は震えていたが、まっすぐだった。
「貴方と私が違うなんて思ってない。貴方もあの子を助けたいと思うでしょ……?」
神宮はミーアの能力を観察した。
悪魔化による能力の反転。
彼女の完全記憶能力は、物体を引き寄せる、アポートへと変わっていた。
全ての記録を押し込められた者は、欲しい物体を引き寄せることを望んだのだろう。
悪魔化によって能力は反転し、悪魔は欠けを求める。その欠けとは、皮肉にも元の能力だ。
「いいや、僕には読心術以外の全能力が揃ってるから。あの悪魔を欲しいとは思わない」
一ノ瀬は、目を見開いた。
「……あなたは……悪魔なの……?」
神宮は答えた。嘘をつかない約束だから。
「……そうだ」
一ノ瀬は、静かに神宮の腕を掴んだ。
「……知ってること、全部話して」
神宮は目を伏せたまま、応じた。
「薔薇の団の計画は、全国規模の精神破壊だ」
一ノ瀬の目が揺れる。
「0時1分。心の監視システムが一斉に同期するタイミングで、全国民の精神に、あの完全記憶能力者が記録してきた情報を逆流させる」
神宮は淡々と語る。
「どうでもいいでしょ? 早く行こう」
その言葉に、一ノ瀬は力を込めて首を振った。
「ミーアを助けて。薔薇の団を止めて。
あなたはあなたにしかできないことを、私は自分にできることをやる」
「何するつもり?」
「私は暴動を止める。民衆を、少しでも」
神宮の目は氷のように冷たかった。
「……」
神宮はすっと一ノ瀬の額に手を伸ばした。
「……契約、したでしょ?」
一ノ瀬の言葉に神宮の指がピクリと止まった。
「もう一度、滑らせてほしいって。あの夜に……」
彼女はガラスの靴のアクセサリーを握った。契約した夜、渡したものだ。
「川で滑れば、皆んなの気が少しでも逸れるかもしれない……故郷なの」
神宮は、彼女の瞳を静かに見つめる。
「12時だ。12時の鐘が鳴るまでに帰って来て」
神宮は一ノ瀬が握ったガラスの靴に触れた。舞踏会で滑れる靴に変えて。
蝶をドレスに変えて。深海魚をランプに変えて。




