15時 社会契約説
僕は初めて、何かを壊したいと思った。
目の前の、この薔薇の団の男は、何をほざいているのだろう。
「僕はちゃんと生きてる。漣くんとの約束を守れてる」
確かに僕には、感情も、主体性も、やりたいこともない。
彼との契約に従っているだけだ。――それでも、僕は機械ではない。僕は生きている。
「彼が生きろと言ったから、僕は生きるんだ。彼が幸せになれと、やりたいことを見つけろと言ったから! 僕は自分なりに探してる!」
自分が声を荒げていることに気づき、僕は嬉しいと感じた。
この怒りも憎しみも、すべては君を愛しているからこそ生まれたものだとわかったから。僕は君のためなら、人並みに怒れる。驚くほど饒舌になれる。
「お前たち薔薇の団は目を逸らしてるだけじゃないか。彼を理想の偶像に仕立て上げて。人間として苦しんでいたかもしれないのに」
男は息も絶え絶えになりながら、それでも問いを投げかけてきた。
「……彼の処刑を知った時。僕は全てを壊してでも、一緒に生きようと言った。だから彼も、心の奥では生きたかったと思っていてほしい」
あの0時1分に、何があって“欲しい”のか。
それは真実とは別に存在する。しかし、答えが何であっても僕は向き合いたい。
「人がパンのみで生きるのではないように、僕は問い続けてる」
それが愛であれ、本能であれ。
君との約束を守りたいと願う、この気持ちだけは本物だ。
「知りたいことを知ろうとする。自分が正しいと思ったことが本当に正しいのか確かめる。
――それが、生きるってことだろ?」
*
床に落ちた血の雫が、白いタイルの上に黒く染みを広げていた。
神宮は手袋を外し、汚れ一つない掌のまま部屋を出た。
薔薇の団の計画は壮大なものだった。向こうが読心能力者の話も知っていたのも、あの村の飢饉から情報を集めたらしい。
廊下の奥、仄暗い監視室。上官は黙ってスクリーンを凝視していた。
一ノ瀬と入れ替わる際に上官を気絶させたが、バレていないようだ。神宮はしばし観察を続けたが、挙動は普段と変わらなかった。
透視の力を働かせると、机に伏せられた書類の見出しが浮かび上がる。「仮想敵設定集」と記されていた。
「お前が知りたいことは、わかったか?」
神宮は血の付いた手袋をゴミ箱に捨て、淡々と告げる。
「ええ。国が薔薇の団と繋がっていることも」
上官は否も肯もなく、そのまま立ち上がり、歩き出す。神宮も並んだ。
「警備の穴や襲撃の成功も逃走も。一つをのぞいて、“契約”されていた通りです。薔薇の団のトップと上が繋がっている。でなければ辻褄が合わない」
中将はため息をついた。
「そう、契約だ。今や“国家”はいらない。これからは、財閥によるグローバルな統治、“超能力”を軸に据えた新秩序を――」
神宮は皮肉に目を細める。
「悪魔を倒すヒーローとして能力者を英雄化し、国民感情を操る。僕は薔薇の団を倒してその象徴になると」
かつて“西側”を憎悪の対象にしたように、今度は最強の悪魔を演出する。我々は敵を作らなければならなかった。
中将は神宮を見て、一瞬だけ口をつぐむ。
「その通りだ。だが薔薇の団のトップはもう制御できん。完全記憶能力者のデータを抜き取ったのは、計画にはなかった」
組織のガタつきは明白だ。このままでは国家そのものが崩壊する。だから一度壊す必要があると。
「奴は記憶を操れるが、完全記憶能力者ではない。コピーした大量のデータは、脳内ではなく、別の情報媒体に入れているはずだ。薔薇の団はそのコピーデータで何かをするつもりだろう」
拷問と記憶から見えたのは、黒いUSBだった。あれが"ガラスの靴"というわけか。
神宮は問いを重ねる。
「国民感情を利用し、国家という枠組み自体を消して、新たな“契約”で世界を作り直す。それが上層部の目的。
だが薔薇の団の目的は、国家崩壊後の混沌そのもの。革命までは利害が一致するが、その後は敵になる」
「万人の万人に対する闘争。そこで能力者が新しい秩序を作る、という筋書きだ」
上官は神宮を見つめる。
「我々には“両取り”が求められている。
薔薇の団の革命は成功させ、腐った国家を潰す。しかし、その先の主導権は奴らには渡さない。それが君の任務だ」
上官は歩みを止めた。
「神宮、我々と契約しよう。
これで超能力への差別も薄れるだろう。それは穏健な方法では叶わない。
何かを変えられるのは“暴力”だけだ」
神宮はしばし黙し、やがて静かに言った。
「ですが、漣がそれを望むでしょうか。
薔薇の団のトップ、漣の後輩は彼を信奉しているはずです」
上官の答えは、意外なものだった。
「漣って誰だ?」




