10時 記録
神宮は、白くひび割れた床に背を預け、上官の話を聞いていた。
襲撃してきた薔薇の団は漣を信奉し、革命を狙うテロ組織らしい。
強力な能力者であった漣の遺伝子から、悪魔を強化する研究もしており、飢饉の村にいた異様に優しい悪魔もその一つだと。
監視装置の記録保管室、つまり映像を記憶している能力者に接近されたが、全員撃滅したそうだ。
「お前がダメージを受けるとは……痛むなら医務室に……」
戦闘を終えた後の空気には、火薬と焦土の名残が漂っている。
「痛くない。心の方が痛い」
神宮はそれだけ答えた。
「あの女も医務室に運んだ。あの女を……お前、漣のことが好きなんじゃ……いや、最近は男でも女でもいいってのもあるのか」
「漣くんは恋愛として好きなわけじゃないです。殺しますよ」
上官は懐から煙草を取り出し、火を灯そうとして指を止めた。
「……なぁ神宮。お前、悪魔なんだろ」
沈黙が落ちた。
夜の残骸のような光が、割れたモニターに反射している。
「気づかれたからには……俺の記憶も消すか?」
冗談のような口調だったが、その声にはかすかな震えがあった。
人の記憶など、能力で容易く消せる。神宮にとっては、選ぶだけのことだ。
「漣の処刑には、俺も賛成した。あれだけ強力な能力者は恐ろしかった」
彼は最強の能力者として、自ら死を選んだ。能力者への差別を和らげるために。
「彼を殺したのは俺だ……復讐、したいか?」
「別に」
そんなことをしても彼は戻ってこない。彼を殺した者たち、この世界への怒りというのは、不思議と全くなかった。
上官はタバコに火をつけ、ふっと一息吐いた。
「よかったよ。俺も死にたくはない。これだけ手ぇ汚してきてもな、死ぬのは怖い。生物の本能はよくできてる」
ではなぜ彼は……そう言いたかったのだろうか、神宮はその言葉の真意を考えなかった。もう善悪も敵味方も、どうでもよかった。
薔薇の団との戦争に協力する気もない。命令に従う理由もない。無理に従わせようとするなら全て滅ぼせばいい。
――ただ、この欠落は永遠に埋まらないのだと、知ってしまったのだ。
*
白い医務室に入ると、機械の低い駆動音が響いていた。
ベッドの上で一ノ瀬が意識を取り戻していた。脚にはまだ包帯が巻かれ、血の滲んだガーゼが淡く赤く染まっている。
彼女はモニターを見ていた。本部に保管された――漣の最期の映像だった。
「綺麗な人ね」
かすれた声で一ノ瀬がつぶやく。
「……神宮さん。あなたに触れていれば、画面越しでも心が読めるみたい。
さっき監視カメラ越しに、悪魔の心がはっきりと見えた。あなたほど強力な能力者を媒介にすれば見れるのかも」
そう言って一ノ瀬は手を差し出した。神宮は彼女の手にそっと触れた。互いの皮膚の温度が、確かに生きていることを伝えていた。
二人が見つめるのは処刑の映像。白衣をまとい、柔らかな笑みを浮かべる漣は、まるで神話の贄のように美しかった。
「漣くんは、何を思っているの?」
神宮が尋ねると、一ノ瀬はそっと目を伏せて言った。
「……彼は満足している」
「彼の願いは愛されることだった。崇拝や恐怖ではなく、対等に自分を見る、そんな愛。そしてそれは神宮さんが彼を愛することで叶ったから、彼は自分の人生に後悔はない」
画面の中で、漣がそう呟いたような気がした。
「自分を忘れてほしいと思った。でも、本当にできなかった。なぜなら……」
「……知ってたよ」
自分が読心術だけ使えないように、漣は記憶操作だけ使えなかった。互いが互いの“欠落”を補うように。
「嘘なんてついてなかった。君は最期まで完璧だった」
頬を伝う液体に、神宮は触れた。これが心でなくて、何だというのか。
モニターはなおも再生を続けた。
最期の瞬間、彼は自分に読心術を使った。僕の心が見えたはずだ。彼に対してなら、揺れ動く何かがあるのだから。
しかし、漣の処刑の直前。
――その「1分」だけ、映像が欠落していた。
一ノ瀬が、唇を震わせた。
「……12時1分……?」
―― 0時1分の欠落――




