W4からきた男
その夜、空を横切る火球が目撃され人々はしばし天体ショーに浮かれていた。だがそれに幌橋はえもいわれぬ胸騒ぎを覚えた。
しかしてその予感は的中し、幌橋は招かれざる客と対峙することになった。
その男はチャイムのかわりに事務所のドアを体でノックした。ドアを開けた幌橋に、久多良木は「よう、久しぶりだな」と左手をあげた。火災現場のスタントマンと見まがうような薄汚れたぼろぼろの服だった。縮れた髪からは煤けた臭いがした。そして不慣れな挨拶をした理由は右手が焼け炭になっていたからだと分かった。
シャワーを浴びて借りた服に着替えた久多良木は地球に来た理由を語った。
「W4からの脱走者がこの星に逃げ込んだ。手を貸してくれ」
W4は鉱物資源の採掘を服役者に課す監獄衛星である。今回の脱走者は運搬船を乗っ取り脱走を図ったのだ。久多良木も現場に急行したのだったが、脱走者らは通りがかった宇宙船を襲い、乗客を人質にしてまんまと逃げおおせたのだという。
脱走者の中でも厄介なのは義炎亮という男だと久多良木は幌橋に告げる。義炎亮は他人に化ける擬態能力を持っており、その記憶や知識を奪い取ることができる。そのせいで久多良木はあと一歩のところで義炎亮に煮え湯を飲まされていた。その挙げ句がこのザマだ、と自嘲った。
「視野狭窄になっているからだ。能力を過信するなとも言ったはずだ。焼きが回ったな」
「そう滅入る声でグチグチ言うな。まあ、油断したには違いないが……あの野郎」
久多良木はそう言って口をつぐむと左手で右腕をさすった。この男でも落ち込むのかと幌橋は意外に感じた。
「義炎亮は以前からずっとこの星に目を付けていたようだ。まあ、犯罪者はSOSなど屁とも思ってない連中だ。お前もこのままでは太刀打ちできないぞ。能力開放を使え」
久多良木が手こずるなら確かにそうかもしれない。だが幌橋には迷いがあった。能力開放の間は無防備になる危険を伴うのだ。何よりまた一歩遠ざかってしまうことが悲しかった。
「その心配も分からなくもないがな。まあ、能力開放の間は俺に任せろ。そのくらいの護衛はやってみせる」
夕暮を待ち幌橋は久多良木を伴って車で小一時間の禿山にやって来た。頂上にある環状列石は原型を留めていないが、岩船はまだ使えることは確認してある。
幌橋はネクタイを外しシャツの首元を広げ、埋められた石版の上に立ち、5歩ほど離れた久多良木に目線をやった。いよいよかと久多良木も気を張る。
「ところでひとつ訊きたいんだが」
「何だ?」
「その腕はいつ治すんだ?」
幌橋の問いに久多良木が一瞬呆けた。そして近づこうとする久多良木の喉を槍と化したネクタイが鋭く貫いた。
「か、は……なん、で……」
「久多良木ならそんな怪我は1時間もあれば勝手に治る。お前が義炎亮なんだろう? 久多良木を奪えなかったからこちらに狙いを替えたのか? だが私もそんなに善良くはないぞ」
夜になって幌橋が事務所に戻ると、久多良木がソファに座っていた。鍵は掛けていったはずだが、と思ったが窓が割られていた。
窓のこともだが久多良木は酒を飲んでいた。幌橋が隠しておいたシーバスリーガルだった。その傍若無人さに、改めてこの男が本物の久多良木なのだと思い知らされた。
久多良木は何の前置きもなく「終わったか?」と幌橋に訊いてきた。ああ、と返事をしながらもはじめからこの男の手の上で踊らされていたことを察してつい腹が立った。
「お前も【宇宙の虎】なんてやってないでいい加減に戻って来い。【ナインライブズ】も人手不足だ」
久多良木のぼやきには答えず幌橋は酒をキッチンに片付けた。
「心配事なら俺が片付けてやろうか。まあ、そのほうがお互い……っと、冗談だ、馬鹿」
幌橋の放った殺気を久多良木はへらへらと嗤って躱した。
久多良木が帰ったあと、幌橋もグラスに酒を注いだ。瓶の傾きがほぼ水平になっていた。舌打ちしてグラスを口に運ぼうとしたとき、不意にメールの着信音が鳴った。アンナから週末の予定を訊かれ、面会日だったことを思い出した。何が面倒事なものかと幌橋の頬が少し緩んだ。