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第4話:双子(その4)

徳善皇貴妃は次皇子に煩わしげに手を払い、退出を命じた。


この情景はほとんど毎日繰り返される。煥之は居続けても無駄だと悟っていた。ただ母妃の厭き嫌いを増すだけだと。


素直に寝殿を退出した彼は、手に握りしめた菓子を見つめながら歩いた。この七年間、いったい何を間違えたのか? 母上から厄介者のように忌み嫌われ、一瞥しただけで顔を曇らせるほどに。


足を止めて首を振り、「考える必要はない。太傅が教えてくださった。子たるもの、親の態度で孝行心を量るものではないと。母上に気に入られないなら…もっと精進すればよい」


煥之は自らを慰め、本当に気にしていないかのように振る舞った。


虚弱な体を押して、お菓子を握りしめ、一路を駆け戻った。


馬蹄糕を廊下の軒先に置こうと考えていた。母妃が食べなくても、一目でも多く目に留まればそれで良しと思ったのだ。


息を切らして内庭に辿り着くと、いつも開いていた休憩室の扉は固く閉ざされ、庭には一人の侍女も残されていなかった。


煥之は菓子を残すと、足音を忍ばせて退出しようとした。昼下がりの刻、母妃は昼寝をしているのだろうと考えていた。


しかし数歩も進まぬうちに、休憩室からガラリと茶碗が割れる音が響いた。


続いて母妃の怒声が迸る。「あの下賎めが秘め隠してやがる。この私に取って代わろうと、皇子を産むつもりか?」


「ご安心くださいませ。あの女の安胎湯に猛毒を仕込みました。あの卑しい者、死産しかできませぬ」この媚びた声は、祖父が遣わした薬の心得ある家生の侍女だと煥之は知っていた。母の健康を管理する者だ。


だがこの会話に、煥之は必死に口を押さえた。


黎月白は冷たい声で言った「毎日のように下賎な女どもが王の寝所に忍び込もうとする。わたくしが完璧に防いでいても、まだ抜け穴があるとは…このままではいけませんわ」


当帰がへりくだった様子で忠誠を誓った「当帰、必ずや娘娘のご心労を分担いたします」


黎月白は眉間に皺を寄せた「智之を早急に太子に立てることを推し進めねば。もし新たな皇子が誕生すれば、智之の立場が…風前の灯火となってしまう」


「しかし次皇子を急死させれば嫌疑がかかりましょう。奴婢には半年ほど準備期間を頂きたく」


「時間がかかり過ぎる。本宮は待てぬ。智之も待てまい。あの厄介者の存在で后位を逃した過去がある。二度と智之の太子即位を阻ませはせぬ。たとえ死をもって帝位への一歩となれば、これが産みの恩返しというものだ」


その瞬間、煥之は悟った。母の冷淡さの正体は、濃密な憎悪だったのだ。


突如、視界が濁流に飲まれるように霞み、天地が逆転した。


刹那、死の訪れを覚え、全身を恐怖が貫いた。


だが次に浮かんだのは「これでいい。少なくとも…嫌われることはなくなる」という安堵の念だった。


煥之が衝撃で正気を失い、倒れんとした瞬間、甘二三が屋根から飛び降り、七年間暗がりで見守ってきたこの子を抱きかかえた。


この残酷な真実から子供を守ることはできた。だがかつて目にしたあの背筋が凍る光景が、再び脳裏をよぎった。


だからこそ、彼は決意を変えた。


この子を慈しむ心よりも、命を守りたいという想いの方が強かったからだ。


甘二三の軽功は暗衛随一だった。煥之を抱えて去る際、屋内に気付かれることはなかった。痩せた幼子を寝殿に運び、そっと大床に寝かせた。薄手の布団を丁寧に掛け、不慣れながらも端を押さえた。


暗衛たるもの、子も家族も持たぬ定め。傷心の余り気絶した七歳の子を慰める術など、学ぶ機会などなかった。


不器用に布団で包み込み、ただ人肌の温もりを伝えることしかできなかった。


甘二三が日が暮れるまで見守る中、煥之はゆっくりと目を開いた。


煥之の瞳には生気が失われ、天蓋を虚ろに見つめたまま、微動だにしなかった。


甘二三は瞬時に悟った。この子は生きる意志を喪失していると。「煥之殿下、宮廷の外には美しい場所と人がたくさんいます。私がお連れしましょう」


煥之はゆっくりと眼球を外側へ動かした。吐息が白く濁る。「あ…なた…は? わたし…死んだ…のか?」

「生きているに決まっている!」


煥之よ、砂漠を見てみたいか? 黄砂の海に草木一本なくとも、目の届く限り雄大な眺めだ。ラクダという獣がいてな、馬より大きく人も荷物も乗せられる。夜には星が天蓋いっぱいに転がり、地平線から地平線まで煌めく


この世には蓮の葉で円卓より大きいものがある。人が横たわっても沈まぬ、現地の者どもは睡蓮と呼んでおる


五年前に行き着いた土地では四季皆春だった。色とりどりの花に、様々な茸が生えおってな


茸は煮え損なうと毒に当たる。三寸ほどの小人が跋扈する幻を見たり、はたまた仙人の姿すら現れたりする。医者に駆け込まねば命落とすが、翌年また食らう連中よ。役所では茸の季節になれば「赤い傘に白い柄、食えば棺桶で仲良し」と触れ回るが、それでも食っては倒れ、医者通いを繰り返すのだ


煥之はついに悟った。自分がまだ生きていることを。


この寝床は彼の休憩室にあるあの一張りで、掛けられている錦の布団は宮廷随一の刺繍娘が献上品の雲上錦で仕立てたばかりのものだった。


表面は典雅で気品に満ち、裏地は絹のように滑らか。宮殿内の調度品や装飾の数々は、まさに天下第一の品ぞろいと言えた。


涙が視界を曇らせ、甘二三の姿も霞んで見える中、ただ右の眉尻に刻まれた深い傷痕だけがくっきりと浮かび上がっていた。


甘二三は息を吐くように言った「わかっている。この豪華な調度も、お前が望んだものではないとな。だが親子の縁が浅いのは生まれつきの定め、諦めが肝心だ。それが生き延びる道だ」


彼には人を慰める嘘などつけぬ性分だった。


「伯父さんも…母上の言葉を聞いていたのですね?」


甘二三は傷だらけの少年を騙せなかった。唇を結び、微かに頷いた。


この子が今にも泣き崩れるだろうと覚悟していた。子供とはそういうものだと。


だが煥之は頑なに小さな手で涙を拭い、眼光を研ぎ澄ませて言った「伯父さん、武術を教えてくれますか?」


七年間、甘二三はこの瞬間を待っていたのかもしれない。


子のない身、弟子がいても悪くはない。


甘二三は笑みを浮かべた。「今日からお前は、我が甘二三の弟子だ」


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