心スイッチ
科学者であるエヌ氏の元に、友人のエル氏が電話を掛けてきた。
「やあエル君久しぶり。たしか最後に会ったのは君の結婚式だから、もう半年も前になるのか。どうだい、あの美人の奥さんとの結婚生活は」
冗談を交えてエヌ氏は言うが、エル氏の声は暗かった。
「いや、それがどうも上手くいっていないんだ。付き合っていた頃は気にならなかったんだが、妻はかなり気分が変わりやすくてね。ちょっとでも気に障ることをすると、途端に機嫌が悪くなって、もういまでは妻を怒らせないようにビクビクしながら生活しているよ」
そう言ってエル氏はため息をつく。
「そいつは気の毒に。パートナーに対する不満ってのは結婚にはつき物だと言うが、しかし半年でそれは少し酷いな。でもあの奥さんがねぇ・・・」
「機嫌が良いときは、本当に良い妻なんだが・・・エヌ君、なにか知恵を借りられないだろうか」
「まあ友人の君の頼みだ、断るわけにも行くまい。丁度、最近開発した装置がある。心スイッチという名前で、人間の気持ちを固定することが出来る機械なんだ。奥さんにこれを取り付けてあげるから、こんど一緒にここに来ると良い」
「本当かい。ありがとうエヌ君。なら来週にでも、妻と一緒にそちらに行くよ」
次の週、エル氏が夫人を連れて研究所にやってきた。夫人は初め、夫の友人に会うとのことでニコニコとしていたが、しかし研究所の薬品を混ぜ合わせた匂いと、汚れた白衣で出迎えたエヌ氏を見てからは、眉間にしわを寄せ黙りこくった。どうやら話通りの気分屋らしい。
エヌ氏とエル氏は色々と嘘八百を並べ夫人を手術室に連れて行くと、さっさと装置を取り付けた。エヌ氏が無線装置で気分を良好にセットすると、途端に夫人の機嫌は良くなった。成功のようだ。エル氏はエヌ氏に感謝すると、夫人と手を取り合って帰って行った。
しかし半年ほど経つと、エル氏はまた夫人と一緒に研究所にやってきた。夫人の顔は、機械を取り付けた時と同じように不機嫌その物であった。
「一体どうしたんだいエル君。何か問題でもあったのかい」
「ああ、君に心スイッチを付けて貰ってから妻はいつでもニコニコしていたのだが、一ヶ月前当たりから、また元に戻ってしまってね。しかも、機嫌の変わりようが前よりも酷いのだ。ちょっと診て貰えないだろうか」
「ああ良いだろう」
調べてみると、装置が故障していることが判った。どうやら、内部のコンピューターが壊れてしまい、気分が勝手にセットされるようになっているらしい。
「すまない、僕の設計ミスだ。直ぐにでも改良型を作って交換するよ」
エヌ氏は原因を説明し、謝った。
「いやエヌ君。正直装置を付けてからの妻は、何をやってもニコニコするばかりで、まるでアンドロイドと生活をしているような味気ない気分だったんだ。やはり、僕の勝手な都合で妻の心を固定してはいけないと思う。コンピューターが壊れているなら丁度良い、今の装置をそのまま付けて置いてくれないか」
エル氏はそう言うと、今にも泣きそうな顔の夫人を連れて帰っていった。
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