迫られる覚悟 二
円卓はそれほど大きなものではないが、神殿を作っているのと同じ発光する石で作られている。昼間だからか、ぼうっと光る石はそれほど明るくは見えない。それでも円卓の表面に刻まれた草花の模様は内側からの光のために、やはり生命を持っているように見えた。
その上に、硝子製の茶器が置かれている。
それを目にして紫雲は、自分を呼ぶ前にシリアが用意したものだろうかと思ったが、それを尋ねてみると、用意したのは小妖精だという事だった。
小妖精は、この現世と精霊界の間にある次元に暮らす小さき者だ。小妖精の中には、次元の向こうから、悪戯をしにやってくる者さえいる。現世と次元が近いからだ。だから彼らは行き来をする。小妖精にはそのくらいの力はあるのだ。中には、こうして頼まれごとを請け負ってくれる者達もいる。その代わり、少々の食事や山羊の乳などの飲み物を要求してくるが。
「さぁ、白虎。こちらへかけてください。ここが貴方の席です」
「ひょっとして、神代の頃からですか?」
「えぇ、そうです。白虎が使っている部屋も、もとから貴方のものなのですよ」
シリアは優しく微笑む。
触れた椅子も光る白い石で作られているようだが、動かしてみてもほとんど重さを感じなかった。椅子の座面や背凭れには、草花の透かし彫りが施されている。
「お茶を淹れますね。今日のお茶は、レモングラスにミントとカルダモンを調合したものです。すっきりしますよ」
言いながら、カップの中にお茶を注いでいく。
その横で紫雲は指示された椅子に腰を下ろしたが、四つの席があって、残り三席になる。果たしてシリアはどこに座るのかと見ていると、お茶を淹れ終わったシリアは、どこの席でもなく、円卓のすぐ傍に草や蔦が複雑に絡んだ椅子を作り出して、そこへ腰を下ろした。そして、カップを手にして言うのだ。「神々の座に座ることは出来ませんから」と。その様子にはなんの屈託もない。
逆に紫雲の中には、腐ったような疑問があるだけだ。よりにもよって何故、魔族なのかと。
陸王のことだ。
その事については、今のこの世界で一番武に特化している種族が魔族だからだと龍魔から説明を受けたが、素直に納得は出来ない。それでも、ある一部分については納得している自分がいた。
竜巻に巻き込まれて、陸王が瀕死の重傷を負ったときのことだ。あのとき、陸王は無理矢理卓の脚を胸から引き抜いた。あんなことが出来たのは、陸王が生命力の強い魔族だったからだ。ほかの種族ならば出来なかっただろう。その生命力の強さにだけは、流石に魔族だけのことはあると一目置くものがあった。
だが、そうは言っても魔族は全ての人族の天敵だ。どこをどう押しても、人を喰らう化け物なのだから。それが引っかかってならない。いくら武に特化している種族だからと言う理由があっても、紫雲から見ればただ単に魔族なのだ。どう頑張っても、排除する敵でしかない。その事が昨日から腹の中でずっと燻っている。
それを苦く思いながら息を吐き出すと、全てを見透かすようにシリアは笑んだ。
「黒狼が魔族の身体であることが気になりますか?」
「……何故、そんな事を? そんな事は私は一言も言っていませんが」
それを聞いて、シリアの笑みが深くなった。
「白虎の心を精霊達が教えてくれるから」
紫雲は思わず目を逸らす。それから溜息をついた。降参とばかりに。
「魔族はどうあっても魔族ですから」
紫雲が苦々しく言うと、更にシリアは頷く。
「黒狼は、魔族という殻を被っているにすぎません。それは白虎も同じ。人間族という殻を被っているにすぎないのです」
「殻……。それは龍魔さんからも聞かされましたが。その時、貴女もいたはずです」
そう返すと、シリアは再び頷いた。
「いずれ、黒狼も白虎も殻を脱ぐときがきます。天慧や羅睺の系譜ではなく、獣の眷属として生きていくことになるのです。魂が光竜に回帰しますから」
「神聖魔法や魔代魔法が使えなくなるという話でしたね。それらが使えなくなる時期とはいつですか?」
その言葉に、シリアは僅かに考え込んだ。今言ってしまってもいいものかと顔に出ている。
結局返った言葉は不明瞭なままだった。
「……そのうちに分かります。今のままでは、神として地上に立つことさえも出来ませんから」
それを聞き、紫雲からは「そうですか」とどこか納得のいかない声音が漏れた。
「ですが、そう遠からずだと思います。青蛇が合流すれば、その時に。時期はおそらく、青蛇が決めますから」
「そうですか。では、教えてください。私が自分を白虎だと信じても、あの二人がそれぞれに信じなければ、私が信じても意味がないことなのではないでしょうか」
「そうですね。黒狼と赤獅、どちらが信じなくとも四獣はそこで滅びます。それでも、それはあの二人が決めること。白虎が自分を何者か信じるという事とは全く話が違います。あの二人のせいにして、自分の責任から逃げてはいけません。誰が何を信じるのか、それは個々人の考え一つです。受け入れるのも、拒否するのも自由」
紫雲はそれを黙って聞き、一拍置いてから答えた。
「どう選ぶのも自由というならば選びましょう。私は自分が白虎という神であることは受け入れられません。何を見せられたにせよ、私は人間族です。そして修行僧です。もし私が白虎であることを信じたならば、それは天慧に対する裏切りに等しい。私は天慧に創られた種族です」
それを聞いて、シリアは小さく笑った。何が問題なのか、と言う風に。
「白虎、何故貴方が白虎であることを信じると、天慧への裏切りになるのですか? 天慧に創られた種族だからですか? ただそれだけ?」
「私はこれまで、天慧に身も心も捧げてきました。全てを捧げて、天慧に仕えてきたのです。ここで天慧への信仰を捨てれば、今までの自分を否定し、捨てるのと同じです」
シリアはカップに口をつけて、喉を潤してからそれへの疑問を投げかける。
「天慧が貴方に何かしてくれましたか? あるいは、何かをしろと言いましたか?」
「え?」
思わぬ疑問を投げかけられて、紫雲は咄嗟に言葉を口に出来なかった。その代わりとでも言うかのようにシリアが口を開く。
「天慧に仕えたと言っても、あの神を信仰したと言っても、それで何かをして貰ったわけではないでしょう。何かをしろと命じられたわけでもない。天慧は光と昼を司るだけの存在です。けれど、光竜はこの世界を創り上げ、今も人々の魂を懐に吸収し、排出している。獣の眷属、天慧と羅睺の眷属に関わりなく、人族の魂は光竜が司っているのです。どの人族であろうと、人が死ねば光竜のもとへ還り、生まれるときも光竜の懐から送り出される。対を作るのも光竜です。そして、人が増えすぎないように災害や疫病を起こすのも光竜。人間族の業である『戦争』を見て見ぬ振りをしているのも、人間族が増えすぎないようにと放置しているのです」
紫雲はそれを聞いて、不快そうな色を顔に表した。
「まるで、全てが光竜の掌の上でのことのようですね。この世界を開闢したのは確かに光竜でしょうが、何もかもあの神が掌握しているというのはおかしな話です。それに人間族が天慧を祀り、信仰するのは人間族の意思です。天慧から強制されたわけではない。ましてや見返りなど」
「確かに、信仰というのは個々人の気持ちから生まれてくるもの。誰かに強制されているわけでもないでしょう。ですが、それが人間族の刷り込みだとしたらどうします? 人の世になって、信仰が生まれました。それは地上から天慧が姿を消したが為に、人間族が天慧を慕う心から生まれたのです。創造主ですものね。愛しているでしょうし、愛して欲しいでしょう。それは当然の成り行きかも知れません。ですが、人間族だけです。強い信仰心を持つのは。獣の眷属は光竜を慕っても、信仰という形を取りません。そこまで幼くはないからです」
「人間族を幼いというのですか」
紫雲は思わず、険を含んだ物言いになる。
その一言が『人間族上位』という差別的な意味を含んでいることに、当人は気付いていないが。




