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第九四話 解呪

 雷韋(らい)は斬られた掌を上にして、手首を掴んだまま紫雲と共にその場から離れた。痛み半分、心配げな眼差し半分で陸王(りくおう)を見る。


 陸王は横目に雷韋と紫雲(しうん)が離れていくのを確認してから、妖刀の柄の下に手を滑り込ませる。触れただけの感触ではよく分からなかったが、柄を握った途端に酷い悪意が陸王の中に入り込んできた。完全な負の感情だ。人から受ける負の感情であればこれ以上もない馳走だが、妖刀から感じる負の感情は精神を真っ黒に塗り込められそうだった。


 陸王はそれを感じて、人は皆この感覚に精神を塗り固められ、自由意志を奪われるのだろうと思った。今感じる負の感情は、怨嗟だ。他人を呪い殺すような激しい感情の波。


 それでも陸王よりずっと下位の魔族が創ったものだ。

 これまで、人を散々惨たらしく死に追いやったのだろう。

 そのお陰、というのも妙な話だが、人から怨嗟が上がるほど惨い死に方をさせたせいか、刀に怨嗟を吸収させることは出来たようだ。だが、それでも陸王の意思を奪うほどのものではなかった。

 それよりも苦しい。柄を握った手から、身体の芯より精気が吸い上げられていくのがはっきりと分かる。その感覚が苦しいのだ。しかも、精気を吸い取られているために身体から力でも抜けるかと思いきや、全くその逆だった。やけに身体に力が漲る。柄を握る手にも力が入っている。


 身体が強ばるほどに力が漲っていた。


 陸王が立ち上がると、


「陸王?」


 雷韋が痛みを堪えながらも、心配そうに声をかけてくる。

 陸王はその声に振り向くと、


「問題ない。精気を吸い取られている感覚が少しばかり辛いが、意識を奪われるようなことはねぇ。俺に対しては、そこまで強い力を発揮できんらしい」


 そう答えて、妖刀の刀身をじっくりと見た。すると、妖刀に向かって糸のようなものが続いているのに気付いた。呼吸をするように細くなったり太くなったりしている。その糸のようなものがどこに続いているのかと目を追わせれば、それは雷韋に繋がっていた。それも雷韋の掌へと続いているのだ。


 つまりこれは、雷韋の精気を吸っている状態ということだ。


 陸王が自分達の方を向いているのを見て、雷韋が苦痛の中から声を絞り出す。


「どうしたんだ?」

「いや、妖刀がお前の精気を吸っているのに気付いただけだ。大丈夫だ。すぐに壊す」

「俺の精気を……?」


 雷韋が心細げな声を出すが、陸王はもう一度大きく呼吸をしてから言った。


「いいか、やるぞ。雷韋、お前、腕に傷はついたままだな」

「うん。まだ魔気が抜けきってないから、傷を塞ぐことが出来ないんだ」

「ならいい。お前にはもう暫く負担をかけることになるが、これから妖刀に魔気を送り込む」

「分かった。でも、無茶すんなよ」

「誰にものを言っている」


 どこか挑発じみた吐息が漏れた。それから陸王は奥歯を噛み締めて、刀の柄を握る右手に意識を集中させる。右腕に力が集まり、それが手の方まで伝わっていった。自然と瞳が紅(あか)くなる。それを感じながら、陸王は掌から妖刀に魔気を送り始めた。


 途端に妖刀の刀身から魔気が溢れ出す。


「雷韋君! 雷韋君、しっかり」


 紫雲の声に横目で見遣ると、雷韋が目眩を起こしたように大きく蹈鞴(たたら)を踏んでいた。多分、魔気に襲われてだろう。それでも陸王は、妖刀に魔気を送り込むことをやめようとは思わなかった。妖刀の許容量を超えるだけの魔気を送り込まなければならないからだ。そうしないと破壊出来ない。


 妖刀は陸王の発する魔気をどんどん吸い込んでいった。それと同じように、刀身からも魔気を発してる。しかし吐き出す魔気より、吸い込む魔気の方が断然量が多い。送り込めば送り込むだけ、吸い取っていく。魔気を吸い込むにつれて、刀身が燐光のようなものに包まれて怪しく輝きだした。


 その時、かたっと陸王の手の中で勝手に柄が動いたような気がした。すると突然、柄から根のようなものが出現して、それが陸王の手の甲や袖口から腕に潜り込んでくる。陸王は驚きのあまり声が出ずに瞠目して見ていると、どうやら根のようなものは本当に植物が地中から水を吸い上げるように、陸王の腕から魔気を奪っていった。いや、精気まで一緒にだ。


 それを見て、どこまで貪欲なのかと思った。精気も魔気も、両方同時に奪っていこうとするとは。


 陸王は左手で吉宗を引き抜いた。引き抜いた刃で妖刀の柄から現れた根を、一本、二本とほんの少しだけ断ち切る。断ち切った途端、斬られた根が光の粒子に変じていった。腕や手の甲に入り込んでいた部分も崩壊して、その部分から光の粒が流れていく。吉宗の代わりに指で引き千切ろうとしたが、それは適わなかった。しっかりと根が腕の中で張って、完全に肉に食い込んでいる。ただ、そうしても痛みを感じないのは幸か不幸か。


 吉宗は今、神気を発していた。陸王が吉宗にも妖刀にも、同時に魔気を送り込んでいると言うのに。


 二振りの刀は確かに対極なのだろう。同じように魔気を吸い込んで、両刀が魔気と神気を吐き出している。そのうち、共鳴の音を発し始めた。


 ただ、その音は陸王にしか感じることは出来なかっただろうが。


 共鳴を起こしているところから、妖刀破壊のために吉宗の力も使おうと思った。


 取り敢えずは、妖刀の柄から伸びている根を全て切り払う。だが、その間にも陸王が妖刀に魔気を送り込んでいると、次々と根は伸びてくる。それを見て、如何ともしがたいと思った。だから今は、根の始末を後に回すことに決めた。


 しかし、そこで気付いたことがあった。中位の魔族は魔気を発したものの、妖刀そのものには魔気を送り込んではいなかった。魔気を送り込めば妖刀は力を増す。実際、陸王の中に衝動が生まれていた。破壊衝動だ。抑え込めるが、中位の魔族程度なら人と同じように取り憑かれたかも知れない。

 魔族は妖刀が魔気を吸い取って強くなっていく一方で、妖刀から根が生えて自分まで精気と魔気を吸い取られるのを知っていたのだ。おそらく、木偶《でく》の方が実験台になったに違いない。その結果を見て、妖刀に魔気を送り込むことをしなかったのだ。


 もしこれが、上位や高位の魔族が創り、扱っていたと思うとぞっとする。中位よりずっと妖刀の力を上手く使えただろうからだ。今の陸王が無事にあることも覚束ない状況だったろう。


 陸王は腹立たしい思いに囚われた。源一郎の一番大切なものをこんな妖物(ようぶつ)に変えてしまった魔族が憎い。既に殺してしまったあとだが、今更腹が煮えた。けれどその考え自体も陸王は抑え込んだ。今感じた腹立たしさも恨めしさも、全ては妖刀の力だとすぐに気付いたからだ。破壊衝動と共に湧いた怒りだ。それに流されてやる謂れはない。だから逆に、どんどん魔気を送り込んだ。


 妖刀の刀身がますます輝きを増した。それに合わせるように陸王は妖刀に吉宗を沿わせると、途端に妖刀の切っ先が甲高い音を立てて欠けた。そこから広がるように刀身に罅(ひび)が入って、割れた欠片は次々光の粒になって散っていく。


 魔気を貪欲に吸い込みすぎたせいで、許容量を超えたのだ。それと共に、吉宗の神気に当たったことも崩壊の原因の一つだろう。


 その罅は、柄にまでも広がっていった。


 妖刀全体が光の粒子になって散っていく。細かな欠片は、空気の中に溶けていった。


 あとに光の名残を残して。


 こうなってしまっては、もう魔気を発することも魔気を吸い込むことも出来なくなっただろう。ただ風の中に流れていくだけだ。根の部分は腕に食い込んだものは残ったが、案の定、指では引っ張り出せなかったので吉宗の刃を当ててみると、根は次々と光の粒子になって全てが消えていった。


 光の粒子が名残をなくしていく中、陸王が足下から拾い上げたものがあった。


 八卦《はっか》の透かし彫りを施された鍔だ。何故かこれだけは砕けず、光の粒子にならなかった。


 鍔を手に感覚を研ぎ数ませてみたが、そこからは怪しい気配は微塵も感じられない。それを手にしたまま、終わったのだろうかと感じていた。


 この八卦の鍔は正真正銘、形見になったのかと頭のどこかで思った。


 気分を入れ換えるようにして、陸王は大きく息を吸い込み、吐き出した。


 鍔を握った手の甲や腕からは出血していないものの、穴だらけになってしまっている。それを眺めてから、陸王は吉宗を鞘の中に収めた。同時に、紅く変じた瞳も常の黒に戻る。


 終わってみれば、あっけないものだと思った。

 雷韋の解呪にも紫雲の解呪にも動じなかったどころか反発までしてきたというのに、許容量以上の魔気を吸い込み、対となる吉宗の神気に当たって勝手に崩壊したのだ。


 それはおそらく、人の怨嗟が妖刀を妖刀たらしめていたからだ。魔族が魔代語(ロカ)で呪ったわけではない。だから、神聖語(リタ)では妖刀を解呪することが出来なかったのだ。


 それに妖刀は、大地の精霊力で呪(じゅ)を吸い上げられる際、危機を感じて攻撃に出た。方法を考えれば攻撃を封じることが出来たのかもしれないが、雷韋にあれ以上、危険な真似をさせることは陸王自身が許せなかった。その結果、陸王が選んだ方法が有効策として残ったのだ。精気と魔気を両方吸われたが、それは陸王にとっては些末な問題でしかなかった。


 全てが終わって、陸王はほんの僅かな目眩を感じたが、雷韋と紫雲の方へ振り向く。


 雷韋はその細い身体を紫雲に預けて、未だに手首を掴んだまま怪我の手当もしていない。呪はかかったままで、酷く痛むだろうに。出血で血が足りないせいか、顔は蝋のように白くなっている。陸王が放った濃い魔気のせいで、生成される血液よりも排出される血液の方が多かったのだろう。雷韋の足下には、真っ黒な血溜まりが出来ていた。


「なぁ、陸王。終わったのか?」

「終わったんじゃねぇのか。鍔を残して、刀身も柄もなくなったからな」


 雷韋と紫雲の元へ歩きながら言う。


「鍔? 鍔は残ったのか?」

「あぁ。この通りだ」


 陸王は言うと、雷韋と紫雲のもとまで行って、手にした八卦を施された鍔を見せてやった。

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