第九二話 祓えない呪
「雷韋」
「何?」
「お前の唸り声、あれはなんなんだ」
「んん?」
雷韋はそこで首を傾げたが、すぐに思い当たったのか、陸王の方を向く。
「前に言ったじゃん。あんまり嫌なことがあると喉が勝手に鳴るって」
「意識的に出るもんじゃねぇのか?」
「ん~。そんなの、考えたこともなかったなぁ。それが何?」
陸王は眉根を寄せて、
「無意識に出るならしゃあねぇが、なるべくならやめてくれ」
言いながら雷韋を横目に見遣る。
それを聞いて、雷韋はきょとんとした。
「なんで? なんか不都合なことでもあるのかよ」
「あぁ、ある」
「へ? それって何?」
「生理的に嫌な音なんだ。神経に障ってぞっとする」
「はぇ?」
ぽかんと口を開けて陸王を見遣る。
陸王は陸王で渋面を作っていた。
「当て推量だが、多分あの音は魔族から身を護るために出るもんなんだろう。これまではお前の意思と関係なく出たかも知れんが、おそらく、意識して出せるはずだ」
雷韋はそれを聞いて、目をぱちくりさせている。
「じゃあ陸王はさ、喉鳴るたんびに嫌な思いしてたのか?」
「まぁな。俺だけの問題かとも思ったが、魔族に共通しているらしい。女に擬態していたあの中位も、お前の喉が鳴った途端、お前から距離を取ったからな」
雷韋は驚いたように陸王を見たが、ふと視線を落とす。
「ごめん。嫌な思いさせた」
「無意識じゃしゃあねぇだろう。だが、これからは意識しろ。喉が鳴りそうなら、一言断ってくれ。じゃねぇと、下手をしたらお前の傍にいられなくなる」
「そんなに嫌なのか?」
再び陸王を見上げる。
その陸王は、まだ渋面を作っていた。
「下手すりゃ、反射的に刀を向ける。お前はもう覚えちゃいないかもしれんが、斡旋所の前でお前、男に頬ずりされて唸っただろう」
「あ~、なんかそんなこともあったっけかなぁ」
「あのとき、俺が吉宗の刃を向けたのを覚えているか」
うんうんと雷韋は頷く。
「それでおっさんが慌てて逃げてっちゃっただろ? びっくりするよな、あんなことされたら」
「あのとき俺は、お前に刃を向けたんだ。男にじゃねぇ」
「は?」
雷韋の両目が大きく見開かれた。
紅を差した琥珀の瞳が陸王を凝視する。
「対の俺に刃を向けたのか? それって酷くね?」
「自分でも意識しないまま、あのとき刃を向けた。単に止めたかったんだと思うが」
雷韋が上目遣いにじろりと睨む。
「対の俺に殺意抱いたか?」
「その感覚は近いな。殺すつもりはなかったが、身体が勝手に反応した」
雷韋は上目遣いをやめ、地面に視線を落とした。しょんぼりと。
「そこまで嫌なんだ」
「だが、その唸り声が魔族から身を護るためのものなんだとしたら、それはどうしようもねぇ。それがお前の本能の一部なんだろうからな」
「うん、そうだけど、これからは気をつける。もうちょっと意識してみるよ」
「ま、無理しない程度にな」
言って、陸王は雷韋の頭をぽんぽんと撫で叩いた。
自分でも無理筋なのは分かっているが、本当に神経に障る音だからそれはどうしようもなかった。対極の生物である以上、色々問題も出てくる。互いに譲歩し合っていかないといけないこともあるだろう。
雷韋の唸り声に関してはそれだ。ある程度は雷韋の意識下に置いて貰わないと困る。陸王も魔気を発するのを抑えているのだ。特に鬼族には覿面だが、ほかの人族にとっても魔気は毒になる。長時間浴びせるのはよくない。だから自制しているのだ。
そのあとはまた会話はなくなった。今回は自然となくなったわけではない。雷韋が考え込んでしまったからだ。陸王はその雷韋に対して、すまないと思ったが、敢えて口にはしなかった。雷韋をこれ以上煩わせたくない。そう思ったからだ。陸王がもし、すまない、とでも言おうものなら雷韋は自分を責める。自分のせいで陸王が苦しむと考えるだろうからだ。だから、決して口にしない。
雷韋を責めたいわけでもなんでもないのだから。
そのまま暫し歩いていると、ふと雷韋が立ち止まった。それまで足下を見るようにしていたのを上げる。
「どうした」
陸王が声をかけると、雷韋は聞き耳を立てるように尖った耳を僅かに動かした。それから視線をあちらこちらに向ける。
「雷韋?」
もう一度声をかけると、雷韋は陸王に目を向けてきた。
「陸王、遠くで精霊達が騒いでる」
陸王は片眉を顰め、視線で続きを促した。
「遠すぎてまだはっきりわかんないけど、森の中で何か起こってる」
「どこで騒ぎが起こってる」
「真っ直ぐ向こうだ。このまま真っ直ぐに行けばいいと思う」
雷韋は指をさして、場所を知らせる。
「なら、走るぞ」
「おう!」
言葉を交わして、雷韋が示した方向へすぐに走り出した。
足の速さ的に、先行は雷韋だ。陸王はそのあとを追う。だが、陸王は走っているうちに、徐々に息苦しさを感じ始めていた。走り疲れたわけではない。総毛立つような感覚。これは神聖魔法の影響だ。と言うことは、この先にいるのは紫雲か? いや、間違いなく紫雲が神聖魔法を使っているということだろう。その影響が陸王に現れたのだ。
神聖魔法は範囲魔法だが、余程強い言葉を使っているのだろう。そうでなければ、詠唱が聞こえもしないうちから異常を感じたりしない。
「陸王、分かった! 強い力同士が反発し合ってるんだ。それに精霊達が巻き込まれてる」
雷韋のその言葉に、紫雲が妖刀を破壊しようとしていることに気付いた。まだ妖刀は破壊されていないのだ。半ば、あいつは今まで一体何をやっていたんだと言う思いと、反面、自分で妖刀を壊せるという希望も見出していた。
どうなるにせよ、今は急がなくては。そう考えて、雷韋と共に駆け続けた。
それでも徐々に詠唱の効果が強くなり、陸王は途中から吐き気を堪えるのが大変だった。立ち止まって戻せていたら身体的には楽になれただろうが、それを万が一、紫雲に知られでもしたら腹が煮える。だから、身体の不調と戦いながら走り続けた。
そのまま走り続けて、
「紫雲だ!」
雷韋が森の中に紫雲の姿を見つけて、大声を出す。
その紫雲の様子は、両手両膝を地面について俯いている状態だった。肩が激しく上下していることからも、彼が随分と疲弊していることが知れる。
「おーい、紫雲!」
雷韋が大声で紫雲の名を呼ぶと、紫雲は汗だくの顔を上げて、そのまま無理矢理といった風情で立ち上がった。胴着の袖で喉輪の汗を拭いながら、けれど雷韋を見るその顔は安堵したものだった。
「雷韋君……、無事でよかった」
陸王の耳にもその声が届く。
雷韋は早速立ち上がった紫雲に向かって駆ける足を止めずに目の前まで行くと、その両腕を掴んだ。
「陸王が助けに来てくれたから助かったんだ。そんで、魔剣はもう壊したのか? なんか強い力同士がぶつかり合ってたみたいだけど、それって神聖魔法と魔剣の力だろ?」
雷韋の問いに、紫雲は顔を曇らせる。
「妖刀はまだ解呪出来ていません。どんな言葉を使っても、妖刀の呪が解けないんです。ほら、ご覧の通りですよ」
と、紫雲は草むらの中に沈んでいる妖刀に視線をやった。
そこには相変わらずの姿で妖刀が取り残されている。そこへ陸王もやってきて、妖刀を見つめると眉根を寄せた。
「随分と力のある詠唱をしていたようだな。遠くにいても感じたぞ」
陸王が言うと、紫雲は少し意地悪げな笑みを見せた。
「それはそれは。貴方にとっては随分と辛かったことでしょう。強力な言葉を繋ぎ合わせていましたからね」
「その割にゃ、妖刀が解呪されなくて残念だったな」
嫌味を嫌味で以て返す。
陸王と紫雲の間にいる雷韋は、二人の顔を交互に見遣って顔を強ばらせていた。
「えぇ、解呪出来ないのは残念でしたが、詠唱の効果で貴方の青白い顔が見られてよかったですよ。随分と具合が悪そうじゃありませんか」
紫雲の指摘通り、陸王の体調は最悪だ。まだ喉の奥に吐き気が残っている。が、それはないことのようにして陸王は返す。
「別になんて事ぁねぇ。それよりも、面白いものを見ちまってな。少々、驚いている」
「面白いもの?」
紫雲が訝しげに鸚鵡返すと、それには雷韋が答えた。魔族の巣くっていた洞の前での出来事だ。
「もしかしたら、紫雲にも見えたかも知んない。俺達は四獣なんだろ? 守護四天帝。存在が光竜に近いから見えたんじゃないかってさ」
「そのアシュラーゼという子がそう言ったんですね?」
その言葉に、雷韋はこくりと頷く。
「四獣だから見えた、ですか」
紫雲は思案する様子を見せる。どこか戸惑っている風にも感じられた。
「紫雲の話に混ぜてみても辻褄が合うだろ」
「そうですね。どこにも矛盾は見られない。四獣は確かに光竜側の神ですから」
二人の会話を聞いていた陸王だったが、その時、ふと気付いた。紫雲の言葉尻に自信がないことにだ。だから思わず言葉が出た。
「この話を持ってきたのは手前ぇだぞ。今更、自信がありませんじゃ通る話も通らねぇ」
「どういう意味です?」
紫雲は睨み付けるように陸王を見た。
「どうにもお前の言葉尻に自信がないような気がしてな。妖刀を解呪出来ないことで自信をなくしたか?」
言われて、紫雲は無言で陸王を睨み続ける。陸王もそれを正面から見据えた。が、紫雲は、つと視線を逸らす。
「そうですね。貴方達のように、次々証拠が出てくるわけではありませんから」
些か力をなくした声で言い遣った。
それを聞いて慌てたのは雷韋だ。




