宿場町の出会い 五
「兄ちゃん、取り敢えず座んなよ」
「そうですね。では失礼して」
言って、男は外套を脱いだ。
栗茶色の長い髪は背の半ばほどで結わえられていて、身に着けているのは陸王の睨んだとおり胴着だった。腰には鉤爪を携えている。
それは修行僧の形だった。
男が外套を脱いだこともあって、雷韋も彼が修行僧だという事を知る。
「兄ちゃん、修行僧だったのか」
「えぇ、寺院の末席に」
そう言いながら円卓に着く。丁度、陸王の正面、雷韋の左隣だった。
「兄ちゃんさ、なんてぇの? 俺は雷韋。精霊使いだけど、盗賊組織で育ったんだ。んで、こっちの人は玖賀陸王。日ノ本の侍なんだ」
雷韋はにっこりと笑って、裏も表もない子供の笑顔で陸王の分まで自己紹介した。
それに対して、男も柔和に笑む。それはとてもこの男らしい笑みのような気がした。
「私は紫雲と言います。宜しく」
「へぇ、紫雲って言うんだ。じゃあ紫雲はさ、やっぱ魔物とかの調伏とかしてんのか? 修行僧ってそういうことしてんだって聞いたことがある。腰の鉤爪が武器なんだよな? 鉤爪は修行僧の証ってさ」
「えぇ、まぁ、そうです」
物怖じせずに次々問いかける雷韋に、紫雲は少し驚きを見せながらも、どこか楽しげでもあった。
陸王もだが、雷韋は『天主神神義教』が好きではない。勝手に人間族上位を唱えるその教えが嫌いなのだ。人族は須く平等であるというのが獣の眷属の考え方だ。そもそも、世界を支える三柱の神はどの種族が上位、下位などとは決めていない。神代の頃、この世を開闢した原初神・光竜、光を司る光神・天慧、闇を司る闇神・羅睺も含めて、人族は平等であったと伝えられている。確かに神は創造神であって、人族よりは高位にいるが、創り出された存在は平等なのだ。
例え、どの神が創ったとしても、だ。
雷韋は魔術の師からそう教わっていた。
それでも雷韋にとって、目の前に突然現れた修行僧は物珍しい存在だ。少年特有の好奇心が刺激されるのは仕方がなかった。
教会と寺院は両者とも同じく天慧を祀っているが、別系統の組織だった。
教会は天慧を崇め、人が作った戒律によって回っている。それは寺院も同じだが、教会では決して血を流さない。それとは正反対に、寺院では血を流す。人間を護るため、修行僧自らが魔族や魔物を調伏するからだ。その為に旅をすることもよくあることだった。魔族が湧いたなどと聞けば、寺院総出で出向くこともある。そして、死闘を演じるのだ。突然湧くような下等な魔族には、核が存在する。それを破壊されると完全に死に至るが、それを探すのが難しいのだ。寸刻みにして探さなければならない。それも戦いながら。だから逃げられることもある。そして下等な魔族は、動物の形すらしていないことが多い。ほとんど存在しないが、上位以上の人の姿を取る魔族であれば首を刎ねたり、胴を断ったりすることで殺すことが出来るが、人語すら解さない下等な魔族は核を探し出して破壊し、そうして滅するしかない。上位、高位の魔族は人に近いため、核は存在しなかった。
魔族は下等であればあるほど生命力が強く、滅するのは難しい。それでも、現れれば滅ぼさなければならない。修行僧はその為に鉤爪を使うのだ。魔族の身体のどこかに存在する核を探し出すために。大体は身体の中心か、何かに擬態するのであれば、その額にということが多いが。
魔物の方がずっと数が多く、調伏することも多いが、修行僧の本来の敵とするのは魔族なのだ。魔族が現れたと連絡を受け、寺院総出で出向いても、修行僧にも甚大な被害が出る。それでも修行僧になる者は少なくなかった。
「雷韋君は修行僧に興味があるんですか?」
「あるよ。珍しいもん。話には聞いてたけど、こうやって話す日が来るとは思わなかった」
そう聞いて、紫雲は不思議そうな顔になった。
「では、修行僧を見るのは私が初めてですか?」
「そだよ。侍を見たのも陸王が初めてだったし」
「初めて尽くしですね」
「まぁな」
雷韋が再びにっこりと笑ったとき、紫雲はふと陸王の方へ顔を向けた。
「あなたたちは共に旅を? それとも、私のように相席の関係ですか?」
「このガキは俺の対だ」
陸王は『一緒に旅をしている』ではなく、何故か『対なのだ』と言った。
その言い方に、雷韋も不思議そうな顔を向ける。何故、初対面の相手に対だと告げるのかと。通常的に答えるなら、共に旅をしている、でいいのではないかと思ったのだ。
「対、なんですか? 雷韋君は何族か知りませんが、獣の眷属ですよね? 異種族間の対とは珍しいですね」
「うぇ!?」
紫雲の言葉に妙な声を上げたのは雷韋だった。紫雲は雷韋を『異種族』ではなく『獣の眷属』と言った。その事にも違和感を覚えたのだ。
「何かおかしな事を?」
雷韋の顔を見て問うてくる。
「いや、普通、人間族は獣の眷属のことを『異種族』って言うのに、紫雲は言わないんだって思って」
それに苦笑を見せて紫雲は言う。
「異種族というのは蔑称ですからね。言葉は正しく使わなければ。目の前に別の種族がいる場合は特に」
「んじゃ、俺がいなかったら『異種族』って言ってたのか?」
「いいえ、言いませんけどね。目の前にいようがいまいが、ちゃんと『獣の眷属』と言いますよ」
「へぇ、坊主なのに変わってんだぁ。それとも修行僧ってそういうもんなのか?」
「それは人によるでしょうね」
人好きのしそうな笑顔で答える。雷韋はその答えに、う~んと唸ったが、それでも、
「紫雲は優しくていい人間だな」
と思ったままを言った。
それを聞いて不思議そうな顔をしたのは紫雲の方だった。
「何故、そう思うんです? まだ少し話した程度でしかないのに」
「なんてぇか、声が優しいんだよな。聞き心地がいい。それに、獣の眷属を異種族って言わなかった。それだけでなんとなく分かるよ」
「根拠はそれだけですか?」
不思議そうな顔から、困惑したような表情になる。
「俺にはそれだけで充分。あんたはいい人だと思う。陸王も獣の眷属って言う。やっぱり、いい人だよ」
何故か雷韋は、自信満々で言い切った。
紫雲はそれに対して、
「私はそんなにいい人間ではないと思いますけどね」
と苦笑して言う。
だが、言うその瞳は陸王から見ても優しげだった。これは慈愛の目だと思う。けれどそれとは正反対に、陸王はこの優しげな面差しと声音の裏に、どれだけの残虐性が秘められているのかを考えていた。普通の人族にとっては無害どころか有用性のある存在だ。しかし、陸王に対してだけは絶対に違う。
敵対する相手だ。どうあっても必然的に。だからだろう。こうして目の前にいられるだけでも嫌悪を覚える。
ただ、だからと言っても害意を覚えるわけではない。嫌なだけだ。関わっても碌でもないことにしかならないだろうから。
陸王は鋭く息を吐き出して、まだ紫雲と仲よさげに話している雷韋の頭をすぱんと引っ叩いた。
「いった! 何すんだよ!」
「俺は部屋に戻る」
ぶっきら棒に言いながら立ち上がり、卓に凭せてあった吉宗を手に取る。
「え? 飯は?」
「お前があとから持ってこい」
「ちょっと、なんだよ、それ!」
雷韋の文句を背中に浴びながら、陸王は食堂を出て行ってしまった。
紫雲はいきなりのことに驚いたように言う。
「乱暴な方ですね」
「も~。そうなんだよ。びっくりするからいきなり殴るなって言ったばっかなのにさ、すぐ殴んだ」
頭をさすりながらぶつぶつ言う雷韋に、
「それとも嫉妬させてしまいましたかね」
少し不安げに伝えた。
その言葉に驚いたのは雷韋だった。
「嫉妬? 焼き餅か?」
「彼とは対なのでしょう? 君が私とばかり話していて面白くなかったのかも知れません。私にはまだ対が見つかっていないのではっきりとは分からないのですが、対には独占欲のようなものもあると聞いたことがありますから」
「まっさかだろ? あの陸王が!?」
「いえ、私は彼のことをよく知りませんから、はっきりしたことは言えないのですが。対の感覚というのは恋愛感情に似ているとも聞いたことがあります」
「うわっ。気持ち悪ぃこと言うなよな。そんなの欠片も感じねぇよ」
鳥肌が立ったのか、雷韋は両腕を抱くようにして腕をさする。
「なんというか、執着のようなものは感じないんですか? 対とは絶対の相手でしょう?」
「ないよ。ない、ない! 傍にいりゃ、安心は出来るけどさ。俺は陰だし、陸王は陽だからな」
「そういうものなんですか」
紫雲はよく分からないというように、顎に片手を持ってきた。それから陸王の消えた方へと視線を向ける。その横で、
「あ~! 気持ち悪っ!」
心底嫌がるように、天井へ向けて雷韋は大声を上げた。
その様子を見て、紫雲はこれまた不思議そうな顔をする。
「獣の眷属は男女の別なく恋愛感情を抱くのが普通なのでしょう?」
「そうらしいけど、俺は人間族の中で育ったんだ。そういう感覚は人間と同じだよ」
「人間族のなかで?」
「俺の一族は全滅しちゃったんだ。誰かが皆殺しにした。その中で生き残ってた赤ん坊の俺を盗賊組織の首領が拾って育ててくれたんだ。俺が生まれたのはセネイ島って島だったんだけど、魔術を覚えるのに大陸に渡ってきて師匠についてからも聞かされた。鬼族はもう大陸にもいないって」
「鬼族? 聞いたことのない種族ですね」
「大陸でも絶滅しちゃったからだろ?」
「なら、陸王さんが対じゃなかったら、雷韋君は死んでしまうところだったんですね」
その言葉を聞いて、雷韋ははっとした顔になった。
「そっか。普通は同族に対がいるんだ。そっか……俺は陸王のために生かされたのかも知んないな。それに魔術を習うのに大陸に渡ってきてなかったら……」
半ば考え込みながら、雷韋は耳の後ろを掻く。
「陰と陽が惹かれ合うのは魂の条理とは言いますが、奇跡的ですね」
紫雲の言葉に、雷韋は「うん」と深く頷いてみせた。
そこで急に雷韋は、世界が遠くなったように感じられた。食堂内で人々の打ち騒ぐ声も、遠い場所の出来事のようだった。