第六六話 壊れた絆
十日経って、夜、陸王はやっと目を醒ました。おそらくは、最後まで力を押し込めようとした結果、陸王は力を使い果たしていたのだろう。それで十日も眠っていたのだ。また、陸王の力を封印したことも関係しているかも知れない。
目を開けた時、傍には龍魔がいた。いつ目が冷めるか分からない陸王の寝顔を、傍でずっと見ていたのだ。
「やっとお目覚めだね。気分はどうだい?」
優しく声をかけてやる。
陸王はゆっくり起き上がって、
「たつ……」
そこまで言った時、苦しげに咳き込んだ。十日も眠っていたのだ。口も喉もからからだろう。潤いがなくては話せなくて当然だった。
「これをお飲み」
龍魔は、水差しからグラスに水を注いで渡してやった。
陸王は最初に一口だけ口に含んだ。それを何かの塊でも飲み込むかのように、ごくりと音を立てて飲み下す。そのあとは一気に水を呷った。やはり、随分と喉が渇いていたようだ。
龍魔は陸王の様子を見遣って、お代わりが欲しいと言い出す前にグラスに水を注いでやる。
その一杯も、ほとんど一息で飲み干してしまった。けれど、三杯目になると随分落ち着いてきたようだった。ゆっくりと、味わうように飲み干していく。
「まだいるかい?」
龍魔が尋ねると、陸王はもういいとばかりに首を振った。それに頷きを返して、陸王の手からグラスを受け取る。
「落ち着いただろう?」
「うん」
返事と共に頷いてみせる。頷いて、陸王は辺りを見回した。光竜殿の壁や床からは白い光が溢れているから、ここが青蛇殿ではないと察したのだろう。
「ここ、どこ?」
「光竜殿だよ。光竜に最も深く、強く繋がっている場所だ」
それに対して、ふぅん、と鼻を鳴らす。陸王は半端な返事を返しながらも、きょろきょろと広い部屋を見回していた。
そんな陸王の様子を窺ってみて、十日前のことはまだ思い出せていないのだろうと龍魔は思った。それなのにこれを聞くのは酷だと分かってはいたが、確かめねばならない。
「陸王、お前は十日も眠っていたんだ。十日前、何が起こったか覚えているかい?」
それを聞いても、陸王はきょとんとしている。けれど龍魔は重ねて尋ねた。
「十日前、いや、そんな日数なんてどうでもいいか。今目を醒ます前に、妾とお前はお母さんの石塔に行っただろう? 覚えているかい?」
龍魔の質問に少し考えて、うんと返してくる。
「そのあと、神殿に戻ったね。そこで妾とお前が別れたことは覚えているかい? 妾は執務室に行かなければならなかったから、お前とは途中で別れたんだが、それは?」
龍魔は飽くまでもゆっくり、優しく問いかける。思い出せば、陸王が恐慌状態に陥りかねない出来事だからだ。だから龍魔は、あまり刺激を与えないよう、落ち着いた声を作って尋ねた。
陸王は問われるままに、記憶をひっくり返しているようだった。視線を下げ、何度も瞬きをしている。だが、やがて陸王の顔が青ざめていった。思い出してきたのだろう。何があったかを。
陸王の息遣いが荒くなり、龍魔に縋り付くような視線を寄越してきた。
龍魔は陸王の肩に手を置き、
「大丈夫だ。怖くない。もう終わったんだよ」
宥めるように、ぽんぽんと肩を掌で叩き続けてやる。肩を叩きながら、龍魔は腰を椅子から寝台へと移した。それと同時に、肩を叩くのを途中でやめて、陸王の肩を抱くようにしてから、また宥めるように肩口の腕を叩き始めた。
「お前、酷い目に遭ったね。でも、何も気にすることはない。終わったんだ。全て、終わった」
言い含めるように言い遣る。
その言葉が聞こえているにもかかわらず、陸王は小さく震えだした。震えて、そのまま龍魔に縋り付いてくる。
縋り付いてくる陸王を龍魔は抱きしめてやった。女の両腕でもすっぽり収まってしまう大きさに、龍魔は痛ましさを感じた。こんな小さな存在なのに、龍魔は結果として裏切らなければならない。どれだけ陸王は傷つくだろうかと思うと切なくなる。龍魔も苦しかった。それでも突き放さなければならない。
無条件に縋り付いてくるこの小さな子供を。
「龍魔」
震える声で、陸王は小さく龍魔を呼ぶ。
「どうしたんだい?」
「巫女のお姉さん、どうなっちゃったの? お姉さん、僕を見たらすごく怒って、怒鳴られたら、怖くなって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、お姉さんがもっと怒ると頭も身体も全部ぐちゃぐちゃになって、なんにも分かんなくなった」
必死に陸王は言い募った。
陸王に言うべきか言わざるべきかを龍魔は考えたが、思い出させたのは自分だ。それ以上に、陸王は知っておくべきだとも思った。
「そうだね。お前には知る権利も、知る義務もある。今はお前の中で眠っている力のことだしね」
そこまで言ってから、大きく二度深呼吸した。その息を吐き出すように、龍魔は語った。
「陸王、驚くんじゃないよ。これも大切なことだ。心してよくお聞き。お前に悪意を向けた巫女は死んだよ。お前の力が暴走して、殺してしまったんだ」
陸王は『殺してしまった』と言う部分を聞いた瞬間、びくりと身体を跳ねさせて、続けて、驚いたように息を吸い込んだ。
少しの間、陸王も龍魔も無言だった。それでも龍魔は、陸王を強く抱きしめると口を開いた。
「陸王、お前は高位の魔族と同じだ。人族の絶対の敵である魔族とそっくりなんだよ」
「絶対の敵って、何? まぞくって悪い人?」
陸王から返った声は涙に濡れていた。無言でいた間に、その小さな胸を痛めながら静かに涙を零していたのだろう。
「そう、悪い者達を魔族という。魔族は人族を喰らうから、人族の絶対の敵と言われているんだよ。お前の中にも魔族と似たような力がある。でも、今はその力を抑え込んである。光竜に力を貸して貰ったから、ちょっとやそっとじゃ解かれない封印だ」
「まぞくは人を食べるの? 僕もそうなるの? 僕、ひょっとして、お姉さんを食べちゃったの?」
幼子は顔を上げて、不安そうに問いかけてくる。
「いいや、お前はそんなことはしない。どうにもならない力の暴走があって、誤って殺してしまったんだよ。そのために青蛇殿の巫女達は皆、怒っている。お前を放逐しろと。つまり、完全に追放してしまえという意味だ。お前を一人で外の世界に追い出せってね」
「青蛇殿から追い出される? 帰れないの?」
陸王はどこか呆然としたように口にした。
それに対しては、龍魔は静かに頷いて返すしかなかった。
「もう、青蛇殿には帰れないの? 僕がお姉さんを殺したから、みんな怒ってる? 謝っても駄目?」
涙声のままに、徐々に早口になって言う。黒い瞳からも、次から次へと涙が溢れ出す。
「泣くんじゃない、陸王。泣いても誰も助けてくれないんだ。これからは妾でさえ、お前を助けることが出来ないんだからね」
言いながら、龍魔は自分の衣の袖で涙を拭いてやる。それでもあとからあとから溢れてきた。
龍魔は根気よく涙を拭っていやっていたが、陸王はいつの間にか泣きすぎて、目も鼻も頬も赤くなっていた。
「ねぇ、龍魔」
「なんだい?」
「龍魔とは一緒にいられるんでしょう?」
目を泣き腫らし、涙でしゃくり上げながら問う。問うその目は酷く真摯だった。
「そうだね、いずれはまた会えるようになる。だが、一緒にはいられない。沢山の時間が経って、お前が大人になるまでは」
「僕が大人になるまで会えないの? でも龍魔は、ずっと青蛇殿にいてもいいって言ったよ。大人になるまで青蛇殿にいていいって。嘘だったの?」
「状況が変わってしまったんだよ。本来なら、お前は青蛇殿で暮らして、それから神殿を出るはずだった。そのために沢山、勉強もさせるつもりでいたよ。でもね、青蛇殿の巫女達がどうしてもお前を許せないと言っているんだ。
こればかりは妾にもどうにも出来ない。どうにもあの子達からお前を庇いきれないんだ。だから、妾もお前とは一緒にはいられない。妾がお前の傍にいることも巫女達は許してくれないんだ。同時に、妾も巫女を失うわけにはいかない。これから沢山の仕事が待っているからね。辛いが、今暫くはお前とは離れなければならないんだよ」
そう言った途端、陸王は龍魔を両手で突き飛ばした。
「ずっと青蛇殿にいてもいいって言ったのに! みんなが敵になっても、僕の味方だって言ったのに! 龍魔の嘘つき!」
言う瞳は酷く傷ついている。同時に、龍魔を拒絶するものだった。この時、陸王は幼心にも裏切られたと思ったに違いない。龍魔でさえ胸が抉られるように辛いのだ。それなのに、信じきっていた者に裏切られることは、もっと酷く心を傷つけただろう。
陸王にとって龍魔は、青蛇殿の中で唯一の味方だったのだから。
陸王は寝台に伏せて、大声で泣き出してしまった。
こんな陸王は龍魔にとっても初めてだ。これまでは聞き分けもよく、大人しくしている子だったのに。それが感情を乱し、感情を持て余して号泣しているのだ。
だがそれだけに、龍魔には陸王にかける言葉が思い浮かばない。一体なんと言葉をかけていいやら分からなかった。どうしたって、龍魔が陸王の信頼を裏切った形になるのだから。
それは動かない事実だ。
結局そこで、陸王と龍魔の信頼の糸は切れてしまった。




