第三一話 荒療治
紫雲が鋸を求めている傍で、陸王は胸を貫いている脚を掴んだ。
それを見て慌てたのは紫雲を含む、周りの男達だった。
「陸王さん、動いてはいけません!」
「あんた、何する気だ」
「やめろ、肋骨まで折れるぞ」
「肋骨が折れたら肺に刺さる。じっとしてろ」
皆が口々に言うが、陸王は紫雲になど助けられたくないのだ。
鋸で脚を短くすれば、肋骨にも肺にも無理をかけず、そのあとは無理矢理にでも自力で起き上がれるだろう。手を貸して貰えるなら、尚、助かる。
だが、陸王はそれを拒絶した。肺をこれ以上まで傷つけようが、肋骨が更に折れようが何をしようが、全て自力で始末を付ける。傷口を塞ぐのも、自力でどうとでもなるのだから。
だから、脚を両手で掴んで、無理矢理力をかけた。途端、激痛が走る。これまでも痛み自体はあったが、それとは比較にならないくらいの激しい痛みだ。
「陸王さん、やめなさい! 死にますよ!」
紫雲が力を込める手を押さえるが、それでも陸王は力を込めた。肋骨に圧迫を感じ、あまりの痛みに視界がぼやけてくる。あまりの痛みに鳥肌まで立つ。力を込めれば込めるほど、気管を這い上がってくる血液は増した。
吐血しながら脚を折ろうとする壮絶な姿に、周りの男達は言葉をなくして、僅かに後退っていた。
と、急に卓の脚が斜めに傾いだ。その直前、鈍い音がしたのを皆が聞いてた。
肋骨が折れたのだ。
胸からも口からも、ほぼ同時に血が吹き上がる。
男達の中には、その場から逃げ出す者も現れた。
当たり前だ。こんな異常な状況を目の当たりにして、逃げ出すなと言う方が無理な話だ。
それくらい、陸王のやっていることは常軌を逸していたのだ。
ここまで来れば最早、陸王の上半身は血塗れだった。顔面のほとんども血で汚れきっている。陸王一人の出血のせいで、周囲は生臭くなっていた。
陸王は斜めに傾いだ脚を、今度はゆっくりと引き抜く動きに変えていく。肋骨だけでなく、脚そのものも根元から折れたのだ。その感触は陸王にはつぶさに伝わっていた。己の身体に起こることなのだから当然だ。けれど胸の痛みが酷すぎて、身体全体どこもかしこも痛みに襲われていた。
陸王は大きく息をつき、呼気を吐き出すときに一緒に血も吐き出したが、胸から脚を引き抜くことに成功した。一瞬、全身から力を抜き、しかし次の瞬間には既に動き出していた。
右手を右胸に押し当てる。
回復の術を行使するためだ。
その一連の流れを見ていた紫雲が、「神よ」と小さく祈りの言葉を口にしていたが、それがなんだというのかと陸王は思った。神々は地上から退いて久しい。神に祈ったところで、何もしてやくれない。
それどころか陸王は魔族だ。堕天して魔族に転化したわけではないが、天慧の呪いは身に受けているのだ。魔族として母の胎内に宿った瞬間から。
そんな存在に、天慧が何をしてくれると? 己が呪った種族だ。見殺しにしても、助けてはくれまい。
陸王は咳き込みながら、回復の術を行使し続けた。術を行使すれば、自分がどれほど酷い怪我を負っているのか分かる。力技で脚を引き抜いたため、右の肋骨はぼろぼろになっていた。肺もずたずたに穴が空いて、塞ぐのに時間がかかりそうだ。しかも、それだけではない。左足、脛の部分の骨が折れて、肉を突き破っているのまで分かってしまった。脛の骨折を治すにも、相当な胆力がいりそうだ。
うんざりする。
そこで紫雲が話しかけてきた。
「陸王さん、貴方をここから運び出します。教会に移って、手当を受けてください。助かるかどうかは、貴方の体力次第でしょう」
心配するが故の厳しい顔つきになっていた。だが、陸王は小さく笑い飛ばした。
「誰が。それに今、回復の術をかけてる。このまま放っておいても直に治る」
「回復の術が使えるんですか?」
紫雲は驚きの表情で問うてきた。
「でなけりゃ、あんな真似はしねぇよ」
さっきから息も切れ切れだったが、出血は少しずつ治まってきていた。吐き出す血の量も減っている。
それを確かめるように見て、紫雲は男達に陸王の下半身を覆っている瓦礫を退ける作業に移らせた。
それに伴って、下半身が軽くなっていくのを感じていたが、誰かの息を飲む音が聞こえてきた。骨折している部分が露出したのだろう。
「こりゃ酷ぇ」と誰かが呟いた。
「陸王さん、足も骨折していますよ。胸に負けず劣らずの酷い怪我です」
「んな事ぁ、回復の術をかけたときから気付いてる。自分で治せる。放っておけ」
「しかし、この怪我も……」
「俺に構うな。お前らはほかに生き埋めになってる奴らでも捜してろ」
その中に、雷韋もいるかも知れないのだ。怪我が治ったら、すぐに雷韋を捜さなければと思う。
突然、左足に激痛が走った。誰かが足を持ち上げたのだ。
「何してやがる」
陸王は苦痛の中で、腹から声を出した。
「貴方の足を固定しているんですよ」
言う声は紫雲のものだった。何をしているのか痛みのためにはっきりと知れなかったが、面白くない気分になる。
「そんなもの放っておけ。余計なことをするな」
「足がこんなになっているのに黙って見ていられるわけがないでしょう」
厳しい声が陸王に届くが、それが余計腹立たしくなった。固定していると言われるとおり、骨折した足に添え木でも当てているのだろう。胸と足の痛みが全身に響いて、確かなことは言えないが。それでも手当をするというなら、それしか思い浮かばない。
少しの間、足下に紫雲の存在を感じていたが、いつしか陸王は全く別のことを考え始めていた。その間に、紫雲も男達も去って行ったようだった。気配が辺りにばらばらになる。
何故こんな瓦礫の山に自分はいるのだろうか。部屋での最後の記憶は、風が巻いていると言った雷韋が驚愕した瞬間のものだ。そのあとのことは一切分からない。と言うよりも、一瞬にして滅茶苦茶になったのだ。そのとき一体、宿に何があったというのか。雷韋は何を見て驚いたのか。
陸王は胸の傷を治しながら、そんなことをつらつら考えた。考えているうちにも、折れた肋骨が正常な位置に戻ろうと肉の中で動き、鼓動に合わせて痛みを訴える。紫雲が見ている前では表情を崩さなかったが、いなくなった今では苦痛に顔を歪めていた。はっきり言って苦しいし、辛い。それでも傷は塞がっていくし、骨の位置も正常に戻った。胸の怪我は、あと幾許かで完全に塞がる。もう少しの辛抱だと思った。
雷韋。どこに埋まっている?
早く捜し出しに動きたい。
ひと思いに治ってくれない傷口に苛つきながら、陸王は快癒するのを待った。
あと少し、もう少しと心を落ち着かせるように心で呟きながら。
やがて、陸王は起き上がった。胸の傷が完全に治ったのだ。ならば、次は足だ。そう思い、ふと前方を見る。
愕然とした。
町の建物が崩壊して、瓦礫の道を延々と作っていたからだ。崩壊したのは宿だけだと思っていただけに、驚きは生半可なものではなかった。
それはまるで、小型の竜巻にでも巻き込まれて崩壊した様子さながらだった。破壊されている幅の直径は六、七メートルほどだ。
陸王は雷韋の夢を思い出した。
森の中は森の中だが、開けているのだと。
もし竜巻の終わりが森なのだとしたら、その様子は正しい。竜巻で木々が巻き上げられて、その場所が開けているのだろうから。夢の内容が正しければ、そこには魔族がいるはずだ。雷韋は夢で魔族を見ている。
今、雷韋は陸王の全く手の届かない場所にいるのだ。
「何故?」「どうして?」などは考えない。
魔族が人を喰らうために、町を襲って人々を攫ったのだ。その中に雷韋もいる。
魔族にとっての最高の被食者が。
足など治している場合ではない。そう思って陸王は立ち上がろうとしたが、当然、立ち上がれるわけがなかった。思った通り左足には添え木がしてあったが、骨が肉を裂いて突き出しているのだから。
陸王は、焦燥と苛立ちに任せて添え木を乱暴に外し、突出している脛の骨を一気に肉の中へと突っ込んだ。確たる覚悟もなしに力に任せた行動は、陸王に苦鳴を上げさせた。
それを耳にして、近くで指揮を執っていた紫雲がすぐに駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!」
「なんでもねぇ。放っておけ!」
脂汗を掻き肩で息をしながら乱暴に言って、片手で紫雲を追い払う。
「足……、まさか貴方」
「なんでもねぇと言っている」
あまりの痛みのために苦しげな声音になるが、陸王は構わなかった。すぐに回復の術をかける。だが、根源魔法の回復の術は、精霊魔法の回復とは違って遅い。精霊魔法なら、術者の力量で精霊を操るために素早く治癒させることも出来る。
雷韋がいればこんな怪我どうとでもなったが、いないからこそ、陸王は根源魔法の回復の術の遅さに苛立っているのだ。
自分でも、興奮のために瞳孔が広がっているのが分かる。瞳の色こそ変わらないが、視界がやけに広く感じられた。
陸王は胸の内で、早く治癒してくれと願った。足が治らなければ、竜巻の向かった先へは行けない。まともに立つことすらできないのは痛い。
せめて雷韋と同じように陸王も攫われていたならまだしも、雷韋だけが攫われた。雷韋はそれを予知夢として見ていたのだ。陸王の血みどろの姿というのも、今の状態に当てはまっている。
宿の中にいれば安全だと思っていたが、こんな竜巻を起こされたのではどうしようもない。おそらくは根源魔法によるものだろう。
魔族だけが使える魔代魔法ならば、その気配で陸王にはすぐに分かったはずだ。おそらく神聖魔法を使う紫雲にも、魔代語の余波が感じ取れたはず。魔代語は神聖語を逆から発音する言語だからだ。
だが、雷韋は気付いたのだろう。魔族だとは考えなかったかも知れないが、あのときの驚きの顔は竜巻の発生を目撃しての顔だったのだ。ほとんど前触れもなく竜巻が発生すれば、誰だって驚く。雷韋はあのとき、風が巻いて天候が悪くなるかも知れないとだけ考えていたのだから。
しかし、町の人々を狙った竜巻が起こった。
陸王は奥歯を噛み締めた。
不甲斐ない自分に腹が立つ。
そんな陸王の傍で、紫雲は片膝をついた。
「酷い怪我です。治りますか?」
「胸の傷も塞いだ。足も治る」
「無理はせず、怪我が治ったら安全な場所へ行ってください。竜巻は局地的なものでしたから、いえ、それでも被害は小さくはありませんが、どこかで休んでいてください。無理はいけない」
陸王はそれにうんともすんとも答えなかった。ただただ、瓦礫で出来た道を見つめるのみ。それを辿れば、必ず雷韋のもとまで辿り着けるのだから。




