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始末 八

 雷韋らいは妖刀から受けたじゅを大地に吸い取らせてはいたが、同時に魔気に冒された身体そのものも癒やしていたのだ。黒くなって流れていた血が、今では真っ赤に変わっている。傷口から流れ出す血液の勢いも変わった。傷口が塞がって全てが終わったのは、それから僅かばかりあとのことだった。


「雷韋、魔気も消したのか」


 陸王りくおうが尋ねると、雷韋は立ち上がりながら答えた。


「折角解呪してんだから、魔気だって追い出さなきゃだろ? 魔気は俺にとっては毒みたいなもんだしさ。傷口も掌だけじゃなくて、腕まで全部綺麗に治ってる」


 言って、子供の笑みで笑ってみせる。それからすぐに真剣な顔になって、陸王の穴だらけの右腕を手に取った。


「次は、ほら、陸王の番だ。腕ちゃんと見せろ」


 雷韋は陸王の手の甲を見て、そこから更に袖を捲っていった。当然、腕も穴だらけだ。「あぁ、酷い」と痛ましげな小さな言葉が零れる。


 陸王としては痛みも何もないのだから放っておけばいいと考えていたが、雷韋は意外なほどに真剣に腕を色々な角度から眺め回している。そうして未だに陸王が持っている鍔をしまわせると、腕に片手を翳して植物の精霊魔法エレメントアを発動した。すぐに淡い緑の光が宿る。すると、手の甲や腕に開いていた穴を塞ぐように肉の芽が芽生えてきて、穴が見る間に小さくなっていく。穴が完全に塞がったのは、瞬きを三度ほどした頃だった。


「はい、塞がった。別に毒とかもなかったみたいだから、大丈夫だ」


 そう言う様は、まるで褒めて欲しいかのような言い草だった。陸王はそんな雷韋に嘆息して、


「ありがとよ」


 礼だけを淡々と告げるだけに留めた。


「でもさぁ、本当に壊しちまってよかったのか? 鍔が残されたって言っても、あの剣、死んだ幼馴染みのもんだったんだろ?」

「呪われちまったんだ。どうしようもねぇだろう。あいつも許してくれるはずだ」

「そっかぁ。あんたがそれでいいならいいんだけどさ」


 そこで、ところでさぁ、と雷韋は隣に立つ紫雲しうんを見上げた。


「紫雲はこれからどうする? 妖刀はなんとか破壊出来たけど、あんたの言ってたことは全部本当のことなんだと俺は思う。紫雲だって白虎だから助けられたんだ。話をされたのもそのせいだ。ずっと昔から俺達は仲間なんだよ。だから一緒に来ないか? これから先だって魔族が出ると思うし、そんときに紫雲がいてくれたら凄く助かる。陸王と二人きりじゃ、俺はきっと足を引っ張るだけだ。実際、魔族の後ろには誰かがいそうなんだ。この際、仲間は多い方がいいよ」


 紫雲は言う雷韋に首を振ってみせる。


「一度は諦めから信じました。ですが、冷静になってみれば、やはり自分はどうなのかと疑問が湧きます。確かに、助けられたのは白虎であるからかも知れませんが、自分自身、今は納得が出来ないんです。妖刀が破壊される様も無事確認出来ましたし、私はこのまま寺院へ戻ろうと思います」

「そんな!」


 雷韋が酷く残念そうに大声を上げると、紫雲は少年に笑いかけた。


「私は今のままでいいように思うんです。修行(モンク)僧として、これから先も人々を護っていく。それだけでもとても大事な役割で、とても大切なことですから」


 そう言って紫雲は笑っているが、雷韋はおろおろと視線だけで陸王に助けを求めた。陸王もその視線に気付いて、仕方なさげに小さく吐息をつくと言った。


「『井の中の蛙、大海を知らず』でいいのか」

「それはどういう意味です?」


 紫雲は怪訝に眉を寄せる。日ノ本のことわざだから、意味が通じなかったのだろう。


「端的に言えば、自分の世界が狭い井戸の中だけであることを知らず、広大な海を知らない蛙の話だ。世界は広い。お前は小さな教会組織の中にいるだけでいいのか」

「貴方は私が嫌いでしょう? 何故そんな事を言うんですか」


 それを聞いて、陸王は忌々しげに顔を歪めた。


「あぁ、俺はお前が嫌いだ。修行僧は敵だからな。だが、お前の話には矛盾がないし、辻褄も合っている。それに、あの女がお前を助けて入れ知恵をしたことも気にかかる。お前が全く関係ないなら、何故あいつはお前を助けたんだ」


「『あの女』とは、龍魔さんのことですか?」


「そうだ。お前が部外者なら、俺と雷韋の前に堂々と姿を現しているはずだからな。いくら俺があの女を嫌っていようが、全くの部外者を介したりはしねぇ。そんな面倒を起こすような女じゃねぇからな」


「では、貴方はあの話を信じると?」


「さて、それはどうだかな。そいつはこれから、自分の目と体験で見極めていくことにする。今回、魔族も現れた。天使族のガキは羅睺らごうが堕ちたとも言っていた。俺が誰の血を引いていようがいまいが、何かあるのなら、何かが起こる。俺のせいで雷韋が巻き込まれるなら、雷韋を護ってやらなけりゃならんしな。これから様々を注意深く観察するさ」


「そうですか。龍魔さんは私に貴方を護って欲しいと言っていましたが、私が貴方を護る必要はありませんよね。何しろ、貴方は私よりも強い。あの話が本当なら、神と天使族の間に生まれた存在です。魔神ならぬ『魔人』と言うべきですね。少なくとも、ただの魔族とは違う」


 陸王はその言葉に、つまらなげに鼻を鳴らした。


「魔人だろうが魔族だろうが、そんなもん知るか。どっちにしろ、天慧てんけいに呪われた種であることに変わりはねぇんだからな」


 そこに雷韋が嘴を挟んできた。


「紫雲、やっぱ、俺達と一緒に行こうぜ。陸王もこれから自分の目で確かめるって言ってる。紫雲もそうしろよ。魔剣のことは終わったしさ、亞人あとって言ったっけ、大司教。魔剣のこと頼んできたんだよな? その人には壊したって書簡でも送ればいいだろ? 陸王が壊したって書いたらきっと怪しむからさ、そこは適当に書いてさ。いいだろ?」


 なぁ、と紫雲の外套(がいとう)を引っ張るが、陸王はその雷韋に声をかけた。


「放っておけ。好きにさせておけばいい。俺はぐずぐず思案する奴が嫌いでな。別にいようといまいと変わらん。行くぞ」


 その言葉の中に陸王は、ぐずぐずと考える自分を見ているようで嫌だとは、口には出さなかった。自分でも嫌なのだ。いつまでも、ぐだぐだ考える自分が。陸王は紫雲の中にそんな部分を見つけて、苛立った。だから言う言葉もきつくなる。


「紫雲、お前の生はお前の人生なんだ。好きにしろ。別に来いとも言わねぇ。手前ぇの価値観を壊すのが怖ぇんなら延々そうしてろ」


 最後に吐き捨てるように言って、陸王は渓谷のあった方向へ歩いて行った。


「あ、陸王!」


 反射的に雷韋は陸王を追おうとしたが、後ろ髪を引かれるように紫雲を見た。


「紫雲……」


 声をかけられて、紫雲は困ったような笑みを浮かべる。


「行きなさい、雷韋君。置いて行かれてしまいますよ」

「でも」

「私は私の人生を生きます。よくよく考えて。だから君はもう行きなさい」


 雷韋は何かを言いかけたが、結局それは口にせず、最後は持て余した心を振り切るようにして陸王のあとを追って駆け出した。


 雷韋の姿が森の中に消えるまで紫雲はその場に立ち尽くし、小さな影が消えてから吐息を零した。

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