暴露~奪われ 一
沢をもっと大きくしたような渓谷を、陸王と雷韋は水の流れに逆らう形で川上に向けて歩いていた。
水の流れは速く、所々で深くなっているのか、その部分は濃い碧をしている。浅い場所では綺麗な蒼に見える部分もあった。
渓谷の周りは木々で鬱蒼と茂っており、陽の光は差し込んでくるが、それでも薄暗さは否めない。
場所柄か、濃い水と湿った木々の匂いが辺り一帯に充満している。
そんな場所を陸王を先頭に、二人は縦に並んで歩いていた。
「雷韋、足滑らせて水の中に落ちるんじゃねぇぞ。流れが速いからな、この流れだと助けられる自信がねぇ。気をつけろ」
「あんたこそ、落ちて水に攫われたりすんなよな。俺だって、あんたを助けられる自信なんてないんだから」
陸王の背後から、雷韋のぶすくれた声が返ってきた。それを聞いて、陸王は鼻で笑う。
「心配いらねぇよ。俺はお前と違って間抜けじゃねぇからな」
「なんだよ、それ!」
奇声を発して雷韋は憤った。
「あー、煩ぇな。奇声出すのやめろ。だからサルガキって言われんだぞ」
「うっさい!」
そこまで二人は前方を向いたままの会話を繰り広げていたが、ふと陸王が肩越しに雷韋を見遣る。雷韋がじたばたと身体全体で騒いでいたからだ。
「だから危ねぇっつてるだろう。暴れるな」
「うっさい、うっさい!」
両手を振り上げて雷韋は抗議した。
「お前、いい加減にしろよ。本当に水の中に落ちて死んじまったらどうする」
雷韋はそこで、ふんと鼻を鳴らした。
「水の中に落ちたって平気だよ~。水の中でも精霊魔法を使えば呼吸が出来るんだから」
「あぁ?」
わけが分からぬと言う風に陸王は眉根を寄せ、歩む足を止めた。
水の精霊魔法の中には、水中に混ざっている空気を集めることで呼吸することが出来る魔術があるのだ。しかも雷韋は、その術を言霊封じで持っている。それを陸王に聞かせると、彼は嘆息した。
「だが、呼吸が出来ても、どこまで流されるか分からんだろう。俺に追う手間をかけさせるな。今は一刻も早く魔族をぶっ殺して、妖刀を破壊せにゃならん」
それを聞いて、雷韋は急に大人しくなった。
「川を辿って行ってるけど、この先に魔族がいるとでも思ってるのか? 手がかりなんてなんにもないのに」
「魔族は人じゃないとは言え、それでも生き物だ。水から離れて生きてはいけんだろう」
「じゃあ、ほんとにこの先に?」
陸王は頷きを返した。
「俺達は奴らの逃げた方に歩いてきた。その先に川の流れがあったんだ。可能性は高い」
「待ち伏せされてるとしたら、俺達どうなっちゃうのさ」
些か心配そうな声音で問うてくる。
「どうもこうもねぇ。ぶっ殺すまでだ。それに、魔族と呼べるものの絶対数は少ない。下等すぎて魔物と間違えられる魔族ならいくらでもいるが、そんなのは修行僧じゃなくとも、殺そうと思えば殺せる。魔族の中でも比較的多くいる下位の魔族とは違って、下等すぎるのには逆に核がないんだ。だから、火をかけることで殺すことも出来る。下位魔族でも火をかけりゃ、お前の力なら殺すことは出来るんじゃねぇか」
「そうなのか? でも、やっぱ魔族はどんなんでも怖いよ」
「お前は怖がりすぎだ。だがまぁ、種族的にそいつはどうしようもねぇ事かも知れんが。万が一、魔族が傍に来れば俺には感知出来る。魔族は核の生体波動のほかに魔代語の魔力波動を出している。そいつが俺には分かるし、修行僧にも分かるはずだ。魔代語と神聖語は相反するし、もとは同じものだからな。そのせいで神聖語を使える修行僧には、魔族の正体がすぐに知れる。そうは言っても、下の下の魔族でも瞳は紅いか。それで見分けることも出来るな、魔物と魔族の違いは」
「でも、陸王のことは紫雲、気付かなかったぞ」
「俺は人と変わらん高位の魔族だからな。正体を悟らせることはねぇ」
その言葉に、雷韋は少し考えてから言った。
「あんたは強すぎるって事か?」
それを聞いて、陸王は笑うような吐息を吐いた。
「上位も高位も、魔代語の魔力を抑え込めるってだけだ。簡単に正体知られて狩られちゃ堪らんからな」
雷韋は陸王の言葉に、うんうんと数度頷いた。それで納得したのか、今度は違うことを尋ねてきた。
「魔族の絶対数が少ないって言うけどさ、実際はどのくらいなんだ?」
「さてな。俺もそこまで知ってるわけじゃねぇ。だが人族に比べたら、かなり少ないだろうな。だからって、脅威にならないってわけじゃねぇが。核を持たないものは数が多いからな」
「じゃあ、この先で魔族が出るとしたら、どのくらい出るんだろう」
「下等なのがいくらかと、中位のあの二匹だけだろう。簡単に殺せないからと言っても、そう案じることもねぇ」
「そう、かも知れないけど、俺は魔族のあの紅い目が怖い。出会したら、射竦められないでちゃんと戦えるかな?」
「目を合わせなけりゃいい」
陸王は事もなげに言ったが、雷韋はそうはいかないようだった。
「見ない方がいいのは分かるけど、やっぱり見ちゃうんだよな。そんで、動けなくなる」
「間抜けの極みか。なんだって嫌なものを見ようとする」
「だって、見なきゃ戦えないし、魔術をかけることだって出来ないんだ」
「それで紅い目を見て怖じ気づくってか。それで魔族にやられてんじゃ、俺の生命がいくつあっても足りねぇな」
陸王の小馬鹿にした言いように、雷韋は途端にしゅんとする。
「そんな顔してたって、何も出ねぇぞ」
「そりゃそうだけど、でも、なんかごめん。俺、魔族を相手にしたら何も出来なそう」
そこで陸王は長嘆息した。
「戦いになったら、最初から戦力としては期待してねぇ。それより魔族を相手にして、硬直したまま殺されたりはしないでくれ。何かあっても、俺から離れるな。そうすりゃ、助けてやれる」
「ごめん。俺、役に立てなくて」
「種族的なことだ。どうにもならんだろう。端から戦力として当てにはしないが、足だけは引っ張ってくれるな」
「うん」
雷韋は元気なく、俯き加減で頷いた。
「と言うことで、行くぞ」
陸王が顔を前に戻して歩き出したとき、雷韋がそれを引き留めた。
「陸王!」
陸王の名を呼ぶ声には、必死さが混じっていた。が、陸王はもう一度肩越しに振り返るだけだ。視線だけで雷韋を促す。促された方の雷韋は、少し言いにくそうに何度か口を開いたり閉じたりしていたが、やがて思い切ったように声に出して問うてきた。
「俺、臭くない?」
「あ?」
突然なんのことかと、陸王は怪訝な声を出す。
「いや、だから、血の匂いが臭くないかなって」
それを聞いて、陸王は思わず笑息を零した。何をくだらないことを、とでも言うかのように。
「外だから大丈夫だ」
「ほんとか? 血の匂いに酔ったりしてない?」
「してねぇよ」
どこか面倒臭げに答える。
陸王は、宿で雷韋の血に酔って体調を崩したことを話していたのだ。正体が知れてしまった以上、隠し立てをする必要もないし、それ以上に、雷韋だけにとどまらず陸王にとっても不都合なことが多かろうと思ったからだ。種族として相反しているのだからどうしようもない。
今も雷韋は腕から血を流していた。いつ魔族が現れて、魔気を撒き散らしてもいいようにと。
腕は外套で隠れているものの、魔族は匂いに敏感だ。匂いの中でも、血の匂いが一番鼻につく。それも特別な被食者の鬼族の血なら尚更だ。だから雷韋は気にしているのだ。
雷韋が血を流していることに対して陸王も、これは魔族を刺激するため雷韋に傷をつけることは拙いとの頭はあったが、それでも雷韋が倒れてしまうよりはずっとましな状況なのだ。もし雷韋が倒れてしまうようなことがあれば、これから対峙する魔族とまともに戦えなくなる。そちらの方がずっと拙い。
例え魔族が雷韋の血に興奮して、襲いかかってくるようなことがあったとしてもだ。
雷韋だとて、身体が動けば逃げ回ることくらいは出来るだろう。
そう考えて、陸王は「もう行くぞ」と声をかけると、今度こそ歩き出した。雷韋も黙ってそのあとに追従する。




