迫られる覚悟 五
「人ですから、個々人としてはそれなりにしがらみはあるでしょう。実際に、黒狼には羅睺というしがらみがあります。ですが、それは黒狼が生まれ持った使命なのです。第一、羅睺の問題は黒狼だけでなく、四獣それぞれに関わりがあります。一方で、白虎から見れば、黒狼も赤獅もしがらみなどないに等しい二人です。ですから、あの二人とこれから共に行けばいいでしょう」
「それで解決すると?」
「わたくしはそう思います。白虎が黒狼に対して複雑な気持ちを持っているのは承知で、わたくしはこう進言します。共に行けばよいと。それが一番の近道だから」
「そうでしょうか」
紫雲はどこか諦めたように、そう口にした。口にはしたが、それでもまだ諦め切れなかった。心が決まりきらないのだ。陸王の種族を考えれば、それは仕方ないことだ。これまでの紫雲が生きてきた経緯を考えればそれは当然だった。なのにシリアは、その考えを綺麗さっぱり忘れろと言っている。紫雲にとって、とても難しいことでもある。それでも無理筋をとおせと言われた。頭の中が滅茶苦茶になる。これまでの考えを根底から覆さなくてはならないからだ。価値観の全てを叩き壊さなければならないと言うことに、紫雲は困惑し、混乱する。
価値観を壊すと言うことは、簡単ではない。それはこれまでの自分を全否定することと同義だからだ。だから簡単ではない。
しかも、陸王の存在も紫雲の考えも、どちらも間違いではないのだ。けれど、両立しない。間違ってはいないのに、方向性が違うためにどちらも立つし、どちらも立たない。正反対であるために、紫雲には素直に理解することが出来なかった。
いや、理解出来ないのではなく、理解したくないのだ。
正直に言えば、理解することは業腹だ。
あの陸王をと思えば尚更だった。
何しろ、陸王とは出合い頭からして最悪だったからだ。相席をさせて貰ってすぐに陸王は席を立った。あれは陸王の独占欲を大きく揺るがすものだったろうし、修行僧と顔を突き合わせて食事をすることにも抵抗を覚えたのだろう。だから、紫雲も陸王が宿舎にやって来たときに、これ見よがしに挑発した。頭ごなしに雷韋に関わるなと言われる筋合いはない。確かに雷韋は陸王の対かも知れないが、それをとって会うことすら阻まれるのは理解に苦しむ。
対を持たない紫雲には、対を持つ者の気持ちが分からない。それを陸王に言われもした。けれど、分からないものは分からないのだ。
いや、そもそも僧侶として教会で寝起きをしていた頃は、対が番になるところを何度も見ている。対の男女が夫婦になり、天慧の御前で生涯を誓う姿を数多く見てきた。番になることは理解出来ても、対の重要性というものがまるで分からないのだ。それがどんな気持ちを湧き上がらせるか。
「対を持つ者の気持ちが分からない。それでもいいのでしょうか」
俯きがちに紫雲は言った。そんな彼に対し、シリアは静かに頷いてみせる。
「いずれ、青蛇が目を醒まします。理解するのは、その時でよいとわたくしは思いますよ。決して、遅くはありません。第一、対を持たぬ者に、対を持つ者の気持ちを分かれと言っても詮ないことです。それはどんなに想像しても追いつかない気持ち。理解出来なくて当然なのですから。黒狼と赤獅の姿を見て、勉強させて貰えばいいのではないでしょうか。青蛇に出会ったら自分がどう変わるのか、朧にでも分かるのでは?」
「それはとても難しいことですね」
眉根を寄せ、紫雲は目を瞑る。
「難しいからこその勉強です。きっと白虎にとって、有意義な結果をもたらすことになると思いますよ」
「『有意義な結果』、ですか」
目を瞑ったまま言うと、紫雲は口元を自嘲に歪めた。そして続ける。
「私は彼らと出会って日が浅いです。雷韋君を殺したいとは思いませんが、あの子をそれほど信用しているわけでもない。それでも信じろと?」
「時期が悪かったのは確かです。ですが貴方達は出会い、そして魔族が動き始めました。龍魔殿は真相を伝えるのは今しかないと考えたのです。本来ならば、もう少し時間が経ってからの方がよかったのですが、魔族が動き出してはそうも言っていられません。黒狼の正体が貴方達に知られてしまう。それを考えれば、今しかなかったのです、本当に。それをどうか察してください」
「そう言った言葉が重なるたびに、混乱していきます。何を信じて、誰を信用すればいいのか分からなくなる。同時に、何を疑って、誰に注意すればいいのかも分からなくなります」
「白虎」
案じるようなその声に、重い溜息をついて紫雲は瞼を開ける。




