第4話 仕切り直しと、舞踏会
「私が浅慮だったわ。二人には、申し訳ないことをしました。ごめんなさい」
そう言って頭を下げるアリーシャ。
開店の日改め投石事件の翌日だ。俺たちは再び、公宮の応接室に招かれていた。隣では、珍しくもヴィルヘルミーナがもじもじしている。
「なあ、アリーシャ。割れないガラスを作る方法なんてのはあるのか?」
俺はアリーシャに向けて口を開く。
「強化ガラスの作成には確か、イオン置換だけど。でも私もちゃんと覚えてないし……それに、投石にまで耐えうるかはわからないわね。硬化樹脂なんて、そんなものは遥かに調達が難しいし。それに、原因はガラスの強度だけじゃない」
「どういう意味だ?」
「ガラスが割れた、その損失を補填できないこと。この時代の人には、ガラスは高価すぎるってこと。だから、戦略を変えましょう。プランBです」
アリーシャの提案はこうだ。
店の正面玄関前のテラスを、ちょっとした庭のように改造する。そこに椅子やテーブルを置いて、お茶やお菓子の提供もする。室内には外の光が入るようにして、客はそこで寛ぎつつ、展示されたドレスを眺めることもできる。
「客層は当初よりも、少し劣るかもしれません。展示するドレスは高級なもので良いのですけど、それよりも手頃なドレスも、販売用の品として用意しておくのです。このお店を、ちょっとしたサロンとして活用するようにできれば、言うことはないですね」
「素晴らしい提案ですわ。……でも」
今日はヴィルヘルミーナが、妙にしおらしげだ。
「あんな風に、開店にはケチがついてしまったし。素敵なお店って、皆様に思っていただけますかしら?」
「大丈夫です! そこは保証いたします、ヴィルヘルミーナ様であれば。それにもう一つ、計画があります。……エックハルト!」
そう言ってアリーシャは、続きの扉に向かって声を掛ける。
「はい」
入ってきたのは、公爵の側近、エックハルト様だ。
すっかり公宮の女主人の振る舞いが板についた様子のアリーシャに、しかしながら俺は妙に腹立たしさを覚える。
「おい、アリーシャ」
「何よ。ちょっと。私、人妻なんですけど?」
アリーシャの両頬を摘んで引っ張る俺に、アリーシャはなんだかよくわからないことを言ってくる。
「お前、いつからそんなに偉くなったんだ。エックハルト様だろうが」
今は卑しからぬ身分という扱いを受けている俺たちだが、中身なんて多寡が知れているはずだ。何も知らない他人相手にはともかく、全ての内情を知っていて、そのために危ない橋まで渡ったらしいエックハルト様相手に女主人然とした態度を取るのは、どうも腹立たしいというか、申し訳ない気がしてならない。
「いや……まあ。どうでもいい、と言いますか」
「ほらね、エックハルトも気にしてないでしょ?」
そんな俺の気がかりも、エックハルト様はあくまで淡々としていて、アリーシャはなぜか胸を張る。
「本題に入っていいですか? ランデフェルト公爵肝煎りで、舞踏会が近々開催されます。ヴィルヘルミーナ様の新事業のお披露目には、またとない機会かと存じます」
そんな感じで、舞踏会の開催される運びに、ヴィルヘルミーナはすっかり機嫌を直したようだった。エックハルト様相手に、具体的な手筈について説明を受け、またいそいそと計画を相談している。それを見守りつつ、アリーシャは満足げだった。
だが俺には、他に気にかかっていることがあった。
「おい、アリーシャ」
「何よ」
「一つ、聞かせて欲しい。割れないガラスなんて、本当に作れるのか?」
さっき、ぽろっとそんなことについて彼女は漏らしていた。アリーシャには出処不明の奇妙な知識があって、それを元に公爵に助言をすることで今の地位に上り詰めた。
最初は俺は訝しんでいただけだった。眉唾だとすら思っていたかもしれ魔に。だが今や、アリーシャの知識が本物であることが明らかになっていた。学問的な内容だけではなくて、ヴィルヘルミーナに入れ知恵した数々の言葉も、その範疇に入るかもしれない。
だが、アリーシャの答えはこうだった。
「このお店に間に合わせることは、今は考えなくてもいい。ゆっくり取り組めばいいこと」
「にしてもな。便宜を図りすぎじゃないか?」
「どういうこと?」
「ヴィルヘルミーナにだ。流石に、国家の財産に穴を開けるほどのことじゃない気がするが」
アリーシャは答える。
「ヴィルヘルミーナ様のため、だけってわけじゃないわ。分かる、ヨハン?」
「分かるかと言われても、分からんと言う他はないが?」
「人間の文明が発展していくためには、誰かが思いっきり頑張って、その頑張りに他の人が引っ張られていく必要があるわけ。ガラスのこともそうだし、それから、このお店のシステムもだけど、ヴィルヘルミーナ様の頑張りに、私たちが乗っからせてもらっているの。この方式が上手くいけば、他でも活用することができて、産業振興に役立つわ。そういうこと」
果たして、舞踏会の日だ。
それまでの準備期間、ヴィルヘルミーナたちは何かと立ち働いていたらしいが、俺には大してやることはなかった。そもそもそんな舞踏会自体、俺には関係ないんじゃないかと思ったが、出席はしなければならないらしい。
そのアリーシャだが、階上に設えた席に腰掛け、舞踏会の様子を控えめに見守っている。妊娠中ということもあり、今日は階下に降りていくことはしないようだ。その傍にはリヒャルト公爵が佇んでいて、お互い視線を交わし、こちらには聞こえてこない二人の会話をしている様子だった。
俺はアリーシャとの会話を思い返す。公妃という立場になって、姉はだんだん深慮遠謀を働かせる人間になったようだった。立場が人を変えるということなのかもしれないが、公爵からの愛情を受けて人間が変わったということなのかもしれない。
とにかく、今日の主役はヴィルヘルミーナだ。例のドレス、それも豪奢で、奇抜で、しかも優美なとびきりの衣装を身に纏い、何人もの殿方からの踊りの誘いに応じている。その中にはエックハルト様もいたような気が、俺にはしている。エックハルト様は、ヴィルヘルミーナみたいな貴族の女を引き立てる役に進んで立ち、その役割を完璧にこなしているが、内心はどうなのか俺には窺い知ることはできない。
俺はといえば、階上の隅で舞踏会の様子を見守っているだけだ。一応参加の手筈にはなったものの、特に舞踏会の参加者に数えられているような気もせず、どういう立ち位置なのか判然としない。とりあえず、召使に数えられてはいないようで、その点は助かったのだが。
しかし、参加もしない舞踏会をただ眺めているほど退屈なことはない。思わず欠伸が漏れてくる。
「踊りませんの?」
声を掛けられる。ヴィルヘルミーナだ。
俺は無言で、自分の片足を指し示すだけに留める。
「……あ」
小さな声を上げて、ヴィルヘルミーナは後ろめたそうな顔をする。
すっかり朴念仁の評価が定着した俺だが、別にダンスが苦手というわけじゃなかった、アリーシャと違って。まあ、義足になってしまってはもうそんな評価も意味はないわけだが、だからってそんなに気に病んでいるわけじゃない。俺には俺のできることしかできないし、俺にとって大事なのはもっと別のことだ。どうも俺は、年齢と共に偏屈になっていくらしかった。
「こんなところで油を売っている場合じゃないだろう。せいぜい愛想を振りまいてこい」
「……分かってますわよ!」
そう叫んで、また階下へとヴィルヘルミーナは降りていく。
「お前が掛け値なしの野蛮人ってことは、俺は分かっている。だが、そうでない振る舞いができるし、それを最大限活用して、これからも生きていくんだろう。だから、お前の力を発揮してこい。それが一番発揮できる場所で」
そう低い声で呟いた俺の言葉がヴィルヘルミーナに聞こえたのかどうか、彼女は足を止めることなく、また舞踏場へと踏み出していった。




