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ヴィルヘルミーナ様の夢のお店  作者: 平沢ヌル
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第2話 姉と、公爵と、その側近

「……そういうわけだ」

 俺は嗄れた声で彼に告げる。

「……まあ、ご苦労だった」

 リヒャルト殿下は心なしか低い声でこちらに応じる。相変わらず華奢な青年の風情だったが、幼さはもう感じられない。


 その日のうちに、俺はヴィルヘルミーナとともに、公宮へと足を運んだ。とりあえず、奴の荷物は自宅に置いたまま。とにかく話をつけることが先決だった。今俺がいるのは応接室で、公爵が私的な客人を迎えるために用意された部屋だ。


 彼、公国の君主でもある公爵殿下、リヒャルト様は腕を組んだまま、渋い顔でこっちを見ていた。淡い色の金髪に青い目の華奢な青年だった。御歳二十歳で、俺よりは三歳下、アリーシャよりは四歳下ということになる。

 姉の亭主だから、俺にとっては義兄になるのかもしれない。昔は少年の風情だったこの男を兄と言うのは違和感があったが、もうこの年になってくると年齢はどうでもよくなりかけている。

「俺じゃ手に負えない、分かるだろう。引き取ってくれ」

「まあな。だが」

 そう答えると、リヒャルト殿下は視線を斜め後ろに向ける。


「……なかなか難しいわね。それは」

 この応接室に、続きの部屋の扉から入ってきたのはアリーシャ、俺の姉だ。今やランデフェルト公国の妃と言うことになる。妊娠中らしい大きくなり始めた腹を抱えて、ゆったりしたドレスに身を包んでいた。アリーシャが入ってきた扉の先も応接室で、ヴィルヘルミーナが通されている。アリーシャはヴィルヘルミーナの話を今まで聞いていたらしい。

 今やアリーシャは、身だしなみすら何人がかりかで面倒を見られているのかもしれない。鳥の巣だった赤毛の頭は綺麗に整えられているし、顔中の雀斑も目立たないような化粧が施されている。すっかりどこぞの若奥様気取り、いやこれは言葉が悪いか。貴人の若奥様の風情が板につきつつあった。


「何が難しいんだよ」

 だが俺は相変わらずの口を利く。何故って、この女は結構な曲者なのだ。その理由は、この会話を追いつつ説明していきたい。

「『だって、ランデフェルト家だって実家みたいなものでしょう、わたくしにとっては。実家を頼りにしたら、戦争に勝ったことになりませんもの。わたくしはわたくしの力で、立派に独り立ちできるところを見せつけてやりますわ』だそうよ」

「あの女……」

 俺は顔を覆う。

「……とにかく、うちに置くわけにはいかんだろ。どこか、お嬢様がゆったりお過ごし遊ばされる、手頃な住居を用意してやってくれ」

「……それがねえ」

 アリーシャは思案げに、頬に手を当てる。

「同じような住宅がなかなか見つからないのよね。地価が高騰してもいるし、あの辺りで空いているのは、あなたの家だけなの」

「じゃあ俺が出ていく! 最初行った通り、下宿に住まわせろ!」

 正直これは強がりで、今のこの足で、貧乏下宿で生活できるような気もしなかったのだが。

「あら駄目よ。立場に相応しい振る舞いぐらいは、あなたも心得て頂戴」

「おーおー、お貴族様気取りかよ」

「身分の話じゃないわ。あなたはもう平の技師でもない。工房を率いていく一員としての自覚を持たないと。それなりのお金が渡されているというのはそういうこと」

 なんか腹立たしい態度だったが、アリーシャの言うことは尤もだった。

「……だけどな。得体の知れない男の家に転がり込んだなんて風評が立ったら、あのお嬢さんの将来にどう影を落とすか分からんだろう。頼むから良識で考えてくれ」

 項垂れつつ、俺なりに理を尽くして語ったつもりだったのだが、アリーシャの答えはこうだった。

「あら。あなたが終始紳士として振る舞い、ヴィルヘルミーナ様に失礼のないように心がければ、全く問題ないじゃない。そこは当然、理解しているわよね?」

「!!!!!!!」

 声にならない叫びを俺は上げる。もしかしたら、地団駄を踏んでいたかも知れない。

「クッソクッソ! せめて差額をくれ! 下宿が手狭になった分の!」

「あら、ヴィルヘルミーナ様はあなたのお客様じゃないの。そういうさもしい考え方はどうかと思うわよ?」

「クソどあつかましい女だなお前も」

「そういう品のない言い方はやめてよ。場末の酒場に入り浸りすぎたんじゃないの?」


 そんな俺たちの様子を、リヒャルト殿下はじっと観察していて、それから言う。

「……すまん」

「……いや。あんたも大変だな」

 流石に、公爵相手にこんな砕けた物言いは、許された話じゃなかっただろう、普通ならば。だが惚れて結婚した女が実はこんな、しれっとしながらやたらと押しの強い女で、当てが外れていたとすれば流石にリヒャルト殿下が可哀想だ。元からその気はあったが、アリーシャは最近、やたらと気が強くなりつつある。昔と違っておどおどした暗い表情は見せなくなっていた。

 リヒャルト殿下はしばらく黙って、それから頬を掻きながら告げる。

「私は、家族の団欒や、打ち解けたやりとりなんて経験したことがなかったから。だから、こうしてお前たちの喧嘩を聞いているのも悪くない」

(こりゃ、尻に敷かれてるな)

 その様子を見ながら、俺は薄々察しているのだった。


「手配はしておきますよ」

 応接室を出た俺に、声を掛ける者があった。

 名前はエックハルト・エードラー・フォン・ウルリッヒという、公爵の側近の男だった。黒髪を束髪にしていて、貴族然とした端正な風貌の男だ。ひょろりと無駄に背だけ高い俺と違って、その立ち居振る舞い、身のこなしには隙がなく、日頃の鍛錬を窺わせる。またその美貌は音に聞こえていて、数年前までは艶聞が絶えなかったらしい。とはいえもう三十代も半ばになっていて、大理石の彫刻のような完璧な美貌だった数年前よりは、少しやつれが見て取れないこともない。だがその鋭い金色の目はより鋭くなり、大人の男の空気感が強くなっているような気がする。

 エックハルト様の言う手配とは、俺がさっき主張した下宿の差額分の話とのことだった。

「……すみません。お嬢様を歓待するためにも、何かと物入りになりそうでもあるし」

「それはまた別に」

 こういう話をつけるなら、奴らよりはエックハルト様だった。アリーシャはあの通りだし、リヒャルト殿下はもう少し俺に優しいとは言え、原理原則を動かさない部分はある。エックハルト様であれば、情実を理解して臨機応変に便宜を図ってくれるからだ。


「……ええと、それから。お世話になりました。本当に。例の件では」

「何の話ですか?」

「姉の身分の話で。何か、相当な便宜を図っていただいたみたいで」

 何年か前までのアリーシャの武勇伝において、エックハルト様も相当な立ち回りをしていたらしい。またなぜ平民出身の女が公妃になれたかというと、エックハルト様によって印象操作が行われたからとのことだ。なんでも、『救世の乙女』とか何とか、そういうホラ話まで吹聴されたらしい。俺相手には淡々と便宜を図ってくれるエックハルト様だが、そのゴリ押しの手腕は相当なものとのことだった。

 だが、エックハルト様は答えるのだ。

「私は嘘を吐いた覚えはないですね。多分あなたの考えるのとは、それから他の誰が考えることとも違っているでしょうが。私は、あの場で奇跡を見たんだ。あの方がどう仰ろうが、それは私には関係ないことです」

「……はあ」

 微妙に不可解なエックハルト様の言葉に、俺は空気の抜けた返事をする。アリーシャ曰く、エックハルト様は、『一見慇懃だが、辛辣で毒舌』との話だった。恩人に対してそういう口を聞く姉こそどうかと思うが、どうもあの女は、エックハルト様とのいがみ合いが楽しいらしい。だが、アリーシャの言うこの男の人物像は、実態とは少し違っているような気が俺にはしていたのだった。


 そんなこんなで、分かった話と、それから決まった話だ。

 ヴィルヘルミーナは、その『野望』の実現のため、実家のリンスブルック侯爵家と決裂し、戦争状態にあるとのことだ。その実現までは帰らない、絶対に独り立ちしてやると息巻いていて、実家は実家でカンカンとのことだが、同時に解決方法を探ってもいるらしい。

 解決の機会は半年後、ヴォルハイム新大公の即位式とのことだった。

 数年前にヴォルハイム大公は不慮の事故で身罷られていたが、幼年の子息に大公位を継がせるには準備期間が必要だった。この度それが整い、大々的に即位式が行われるとのことだ。当然ランデフェルト公爵家も、それからリンスブルック侯爵家も招待されており、そこにヴィルヘルミーナが出向けば、和解の席を設けることができる。それまでの半年間は自由にやらせてやれば良いと、そういうアリーシャの見立てであるようだ。


 だから、その半年間は俺はせいぜいお行儀よくして、お嬢様のお守りとしての役目を立派に果たせばいいらしい。二階はヴィルヘルミーナに明け渡して、俺は下宿人用の三階に移ることにした。ヴィルヘルミーナは遠慮していたが、あの女にも遠慮という感情はあったらしい。だがまあ、新しくて綺麗になっているとは言え、下宿人の住まいである三階を、彼女のようなお嬢様に当てがうわけにもいかないだろう。今は俺もいいご身分で馬車の送迎がついているので、日々の訓練である階段の上り下りが二倍に増えるだけの話だ。

 もう一点、些細な話だが付け加えておきたい。ヴィルヘルミーナと俺、この家に二人だけで生活するのは流石に色々と問題が大きい。お嬢様の世話をするメイドを二人公宮から派遣して、この家で起居してもらうことにした。こうすることで俺の潔白は証明される。また、ヴィルヘルミーナは家事なんてしたことがないだろう。料理番兼世話係の婆さんだけで賄っている俺の生活とは違って、お嬢様が気分良く生活するには細かな気配りをする存在が不可欠だ。


 だから、問題はない。この半年を耐えることさえ出来れば。

 そう思っていたのだが。


「なんだこれ」

 俺は茫然と呟く。

「あらヨハン! 驚きまして?」

「驚いたっていうか、驚いたわ」

 たった一日後の話だ。俺は生活に関してはお互い干渉しないと(一方的に)約束して、工房の仕事に出たが、気になるのもあって早めに帰ってきた。

 一日で、一階の様子は様変わりしていた。職人たちが家具を運び込んでいるし、カーテンを付け替えているし、照明の取り付けまで行っている。

「何を、やってんだ」

 俺は、この数日間で一番、嗄れた声になっていたような気がする。

「お店ですわ! ここにわたくしのお店の第一号を開きますの! 各国のご婦人たちの憧れとなるような、素敵なドレスのお店を作り上げてみせますわ!」

 意気揚々とヴィルヘルミーナは宣言する。俺は絶叫した。

「助けてくれ!!!」

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