9.美人の醜態は100年の恋も冷める……冷めない!?
1.
さて『レベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢がヘンドリック王太子に婚約破棄を言い出した』というゴシップは呆気なく片付いてしまい、それどころか『スローアン・ジェラード公爵令息が婚約者のブリジット・ヘルファンド公爵令嬢を庇った』という美談まで一瞬で舞踏会を駆け巡った。
まあ、そもそも舞踏会なんぞブリジットは来たくなかったわけであるが、どうもブリジットの婚約が周囲に受け入れられてしまいそうな雰囲気(いや、れっきとした正式な婚約なんだが……)になってしまっているので、ブリジットはむしゃくしゃした。
やってられるか~っ!
もう帰りたい。
しかし周囲の気遣い溢れる貴族たちは、ブラッドフォード公爵が立ち去るや否やスローアン(とブリジット)を取り囲んで優しい言葉をかけてくれる。
「たいへんでしたわねえ」
「王太子の女好きは有名だから、あんまりブリジット様が心配なさる事じゃありませんよ」
悪役令嬢になりたかったブリジットにとっては、そんな言葉は全然いらない。
しかし、スローアンの方も今日この機会を逃してなるものかと、声をかけてくれた貴族たちに丁寧な対応をしつつブリジットをお披露目するので、ブリジットはなかなか帰る機会を見出せない。
しかも、とっかえひっかえ新しい人が挨拶に現れ、挨拶を交わせばしばらくは足止めを食らうわけで……。
ブリジットは最早笑顔を作ることを完全にやめた(超失礼)。
そして、ブリジットはスローアンがにこやかに談笑する中、「早く終わらないかな」という顔でシャンパンに口を付け時間を潰す、というのを繰り返した。
スローアンはとにかく一人でも多くの人にブリジットの正式な婚約者は自分だと言うことを宣言して回りたかったのだが、ブリジットの無言のプレッシャーにさすがに根負けしてしまった。
挨拶が一区切りついた頃、スローアンはブリジットのご機嫌をそっと伺ってみた。
「ブリジット様。退屈ですか?」
「退屈ですわ。早く帰りたいんですけど」
ブリジットは背の高いスローアンを見上げながら、きっぱりと言った。
「社交にお出にならないブリジット様にとっては滅多にない機会ではありませんか。ブリジット様も挨拶をして……」
「挨拶などいりません」
ブリジットは取り付く島もない。
しかし、そんなブリジットをスローアンはそっと窘めた。
「ほら、ついさっきブラッドフォード公爵につまらない言いがかりをつけられたばかりでしょう。皆さん心配して声をかけてくださっているんですよ」
「ですからっ! 皆さん勘違いしていらっしゃるわ。私が悪者なんですのよ」
ブリジットは叫んだ。
ブリジットの悪役令嬢になりたい願望である。そのまま婚約破棄されたい。
「えっと、どこにも悪者要素はありませんでしたよ」
「最初に王太子様に色目を使ったのは私ですわ」
ブリジットの目は据わっている。
スローアンはびっくりした。
「ブリジット様、色目なんて使えましたっけ?」
「言ったわねっ! 使えますわよ」
ブリジットの目に怒気が帯びる。
「じゃあ、私にも使ってみてくださいよ」
スローアンはため息をついて、少し挑発してみた。
「あら、いいわ」
ブリジットはあっけらかんと答えた。
ブリジットはそっとスローアンの胸元に手を当てた。
急にブリジットが触れてきたので、スローアンはドキッとした。
しかし冷静を装ってそのままブリジットを食い入るように見つめた。
ブリジットはスローアンの胸元に当てた手をしばらく見ていたが、そこからふっと視線を移してスローアンの目を見た。
スローアンは高身長なので自然と上目遣いになる。
もともとブリジットは素材だけはたいへん美人なのだ。
スローアンは(最初から負けは分かっていたが)ブリジットの美しい目にすっかりくらくらしてしまった。
が、ブリジットの目はなんだかとろんとしてきた。
そして、とろんとした目は少し潤んできた。
……つまり、ブリジットはさっきからの連続シャンパンでだいぶ酔ってしまっていたのだった。
「あれ?」
スローアンもブリジットが酔っていることに気づいた。
「ちょっと、ブリジット様、大丈夫ですか?」
心配そうに声をかける。
「わたしはだいじょうぶよっ! ばぁかにしないでくださいまし」
一気に酔いが回ったのだろう、ブリジットは呂律が怪しくなってきていた。
「いやいや、酔っていらっしゃるでしょ……少し休みましょう」
スローアンはそっとブリジットの手を取った。
ブリジットはその手をすごい勢いで振り払った。
「いやっ! はなしてっ」
「ええっ!?」
スローアンが少したじろいだところ、ブリジットの辛辣な言葉が飛んできた。
「だぁれがわたしにさわっていいといった?」
おっと。
スローアンが叱られたと思って手を引っ込めようとしたところ、ブリジットと目が合った。
ブリジットのは口元に不敵な微笑を漂わせていた。
スローアンはぞくっとした。
あれ? 怒っている? 笑っている? どっちだ?
このブリジットはどういう?
しかし、ブリジットの方はただの酔っ払いである。
「うぃ~っ」
と千鳥足になりながら、急にぱっと明るい笑顔になった。
スローアンがドキッとしたところ、
「ぅおおっとっとっと……」
とブリジットはくるりと一回転してスローアンに背を向けると、ふらふらとどこかに歩き出そうとした。
「ちょっと、どこへ……」
慌ててスローアンがブリジットの腕をとろうとする。
すると、酔っ払いブリジットは振り向きざまにニヤリとして、
「わたしにさぁわると やけどするわよ」
と何だかわけのわからないセリフを吐いて、するりとその手をすり抜けてしまった。
スローアンは驚いた。
え~っと、なにこれ、酒癖?
しかし、このブリットを止めないことには、絶対何か良からぬ問題が起きる。
そのとき急にブリジットが大声で歌い出した。
〽すすめ~ す~す~め~
みずいろのパンツは~ せんたくかごのなかへ~♪
「!」
何の歌だ!?
あ、いや違う! ここは酔っ払いが歌を歌っていい場所ではない。
スローアンはこめかみを押さえた。
「ちょっとブリジット様。ここは舞踏会ですよ」
スローアンは今度こそブリジットを捕まえると耳もとで叫んだ。
〽ぶと~かい~ ぶ~ ぶぶ~
ぶたがいっぱい~♪
ブリジットはけたけた笑いながらまだ歌い続ける。
だめだこりゃっ!
スローアンはブリジットを抱えながら、人目が少なく夜風に当たれるバルコニーの方へブリジットを連れて行こうとした。
「あら、こぶたしゃん。かわいくてよ」
ブリジットが急に何か言いだしたのでスローアンがぎょっとして振り向くと、社交界デビューしたばかりと思われる10歳そこそこの可愛らしい令嬢に、ブリジットが話しかけていたところだった。
そのチビ令嬢は「子豚」と言われて泣きそうになった。
「ごめんねっ 君のことじゃないよ」
スローアンは大汗をかいて、慌てて謝る。
その令嬢の母親と思われる貴婦人が怖い視線をこちらに向けたかと思うと、相手がスローアンだったので驚いた。
何これ? どういう状況? といった顔だ。
「すみません、すみません」
スローアンはただひたすら謝った。
その貴婦人は何かを察し「あなたもたいへんね」といった顔をして苦笑した。
うお~い、同情されとるっ!
さすがにスローアンも恥ずかしくなった。
スローアンはブリジットをバルコニーに引き摺って行くと、外は心地よい風が吹いていた。
「ブリジット様、だいじょうぶですか?」
スローアンが心配そうにのぞき込む。
「てすりきもちいい~」
ブリジットは、うふふと奇妙な声を出して、手すりにもたれかかった。
スローアンは少しほっとした。
しにしても驚いた。
ブリジット様がお酒でこんな奇行に出るとは。
スローアンは手すりに突っ伏したまま動かなくなったブリジットの髪をそっと撫でる。
すると小さな寝息が聞こえてきたので、またしてもスローアンはぎょっとした
ちょっと! ここで寝るか!?
スローアンはブリジットを起こそうと、とりあえずブリジットの体を抱えようとした。
「ブリジット様。起きてください」
しかしブリジットは起きる気配がない。
仕方なくスローアンはブリジットの頬でもつねってみようと体をずらし仰向けにしてみた。
「むにゃむにゃ、おか~さん、まだ起こさないで」
スローアンは苦笑した。
が、その目に、ブリジットのピンクのぷるぷるの唇が飛び込んできた。
まったく。
なんて令嬢だろう。
変わり者じゃあすまないぞ。
しかし、この可憐な唇はなんだろうね?
スローアンはすっとブリジットの唇に自分の指を這わせてみた。
この私になんという想いをさせるのだろう。
舞踏会で酔っぱらった令嬢を引き摺って歩くなんて初めてだ。
この苦労にキスの一つでももらってもバチは当たるまい?
そうして、スローアンがブリジットに覆いかぶさろうとしたとき……。
2.
「女性を酔わせて何をしようとしているんだ!」
と割っている声がした。
スローアンはビクッとなって顔を上げた。
そこにいたのはヴィクター・ロイスデン侯爵令息だった。
スローアンはこんな現場を見られた相手が知り合い(?)で少しほっとしたが、しかし同時に露骨にむっとした顔をした。
「なんだ、君か。邪魔しないでくれよ」
その言葉にヴィクターが目を剥く。
「邪魔ですって? 私からしたらあなたの方がよっぱど邪魔です。私とブリジット様は想いを確認し合った仲なのに、なぜあなたは婚約を破棄しないのですか。横恋慕もいいとこだ。さらには力ずくで手に入れようと、ブリジット様を酔わせて」
いや、酔わせたのは私じゃない……いや、そんな状況にしたのは私か?
とスローアンは思ったが、まあとにかく、ヴィクターが子犬のようにキャンキャン吠えるのに構ってやる義理はないと思い直した。
「ヴィクター殿。私とブリジット嬢の婚約は正式なものだから、君の入り込む余地はないよ。あきらめてくれないかな」
「肝の小さい男ですね」
ヴィクターは吐き捨てた。
「ブリジット様の心は他の男のものなのに。それでもまだ彼女にしがみつくなど」
スローアンは一瞬怯んだ。
ブリジットに愛されていない確信はあったから。
しかし、スローアンの脳裏に従弟のロジャーの言葉が甦る。
『ひきこもりのブリジット嬢が、ヴィクター・ロイスデンとどうやって恋愛するんだい?』
スローアンは奮い立った。
「確かにブリジット嬢は私との婚約は望んでいないようだ。だからといって、ブリジット嬢は君を愛しちゃいないよ」
「彼女は確実にその口で私への想いを伝えてくれたのですよ」
「う~ん。それは色々な目撃者がいるから否定はしないけど。でもその言葉は彼女の嘘かもよ」
「嘘? 何を言い出すんです。あなたがそういうことになさりたいだけでしょう?」
ヴィクターがあくまで目をらんらんと光らせ睨んでくるので、スローアンはため息をついた。
「一応、確認するけど……」
「なんですか」
「さっきのブリジット嬢の醜態……え~っと、ちょっと変わった様子は見ていたかい?」
スローアンはヴィクターに確認したかったのだ。
さっきのブリジットの奇行を見てもまだ彼女を愛せるのか?
しかし、ヴィクターの方は動じず、さも当たり前かのように答えた。
「ええ! だから介抱して差し上げねばと駆けつけてきたのです!」
うおお~いっ! 同志かよっ!
水色のパンツの歌を聞いてもなお!? なかなかの強者だ。
スローアンは心の中で苦笑した。
「それはすまなかった、ヴィクター殿。少々、君を誤解していたようだ」
スローアンはそこは素直に謝った。
「しかし、かといってブリジット嬢は私の婚約者なのでね。お譲りする訳にはいかないんですよ」
しかしヴィクターも引き下がらない。
「あなたなら引く手あまたでしょうに。わざわざ変わり者のブリジット様なんかを選ばなくても。こないだも巨乳美女を口説いていたと聞きましたよ」
スローアンは、それはこないだブリジットの差し金で送り込まれてきたクリスタル・ネルソン男爵令嬢のことかと思いながら、
「いやいや、そういうヴィクター殿こそ。ブリジット様よりよっぽど慎み深い令嬢がおられるでしょう。ソフィア・ブラッドフォード公爵令嬢との縁談の噂を聞きましたよ。さぞあなたの御父上のロイスデン侯爵は喜んでいらっしゃるでしょう」
と厭味を言った。
ヴィクターは嫌そうな顔をする
「それはただの噂です」
「こちらもね、ただの噂です」
スローアンも被せた。
二人は一歩も引かずに睨み合っていた。
そのとき二人は、周囲のざわつきに気付いた。
同時にばっと振り返る。
たくさんの貴族たちが、決して近づいてい来ないが、ちらちらこちらを見てはスローアンとヴィクターの会話に聞き耳を立てていた。
ブリジットとスローアンとヴィクター!
噂の三人が勢ぞろいしたこの状況。
「三角関係の真相はどうなの? これからどうなるの?」とみな興味津々なのである。
スローアンとヴィクターはバツの悪い顔をした。
そしてお互い目配せし合うと、何も言わずにヴィクターはその場を立ち去って行った。
何という以心伝心。
ほどなくヴィクターは舞踏会主催者の王妃様の許しを得て別室を用意してもらうと、侍従を引き連れて戻って来た。
そうしてブリジットは、自身は爆睡をかましているまま、大勢の手で別室に運ばれ、目が覚めるまで看護を受けることになったのだった。
ここまでお読みくださいましてありがとうございます!
とっても嬉しいです。
しばらく投稿できずに申し訳ありませんでした。
また連載を再開させていただきます!
甘い展開と予告させていただきましたが、これは『甘い』に入りますでしょうか?(汗)
次回、王太子様がブリジットに急接近してきます。
レベッカ嬢の婚約破棄騒動でのブリジットのふるまいに、何か思うところがあったようです。





