8.やったね、王太子の婚約破棄に巻き込まれて断罪され……あれ?
1.
「おい、レベッカっ!」
ブラッドフォード公爵はズカズカズカ……とレベッカの方に歩いて行った。
レベッカはびくっとなる。
しかし、ここでへこたれては婚約破棄などできない、と父親にきつい目を向けた。
ブラッドフォード公爵は、娘がこんなに反抗的な目をしたのを見たことがなかったので、一瞬尻込みした。
しかし周囲の目もあり、自分を奮い立たせるとレベッカに強く言った。
「婚約破棄などと冗談でも言うものではない!」
「冗談なんかじゃないわ、お父様。私はもう、王太子様の浮気には懲り懲りなんですのよ!」
「浮気って……」
ブラッドフォード公爵はちらっと傍に立つブリジットを見、そして絶句した。
「この女か!?」
なんだ、この美しい娘は!?
ブラッドフォード公爵は深い危機感を感じた。
確かにこの美しさでは王太子が心を奪われても仕方がない。
レベッカが婚約破棄されて、この女と結婚などと言い出しては……。
ブラッドフォード公爵はそこまで考えて、不安の芽は早めに摘んでおくしかなかろうと、ずいっとブリジットの方に一歩踏み出した。
「おい娘! 王太子殿下に言い寄ろうといったってそうはいかんぞ!」
え~? えええ~???
ブリジットは急に矛先が自分の方に向いたので驚いた。
周囲の貴族たちがまたしてもざわざわした。
「スローアン様の婚約者が王太子様を誘惑したんですって……!」
「え、その婚約者って確か……?」
「ヴィクター・ロイスデン様と浮気しているという……」
「え? さらに王太子様まで!?」
「それで、王太子様がその気になったみたい」
「あ~それでレベッカ様が王太子様にお怒りになったのね」
「気持ちわかるわ」
「このまま婚約破棄してしまうのかしら?」
「頑張って、ブラッドフォード公爵様!」
周囲の反応をうっすら聞いて、ブリジットはハッとした。
ブリジットは内心「おお~」っと思った。
これって、目指してた『悪役令嬢』じゃない?
王太子殿下の婚約破棄の原因になるなんて、私もなかなかじゃないの。
これ、このままブラッドフォード公爵に責められて断罪されたら、晴れて『悪役令嬢』の烙印が。
『追放』は嫌だけど、なんとかお父様の力で『自宅謹慎』を勝ち取るとして……、ふふふ、スローアン様との婚約破棄も決定ね!
スローアン様も私との婚約から解放して差し上げるわ!
ブリジットはほくそ笑んだ。
先日、あれだけ見事に「婚約破棄しません」と宣言されておきながら、それには政略結婚的な深い事情があるはずだと心底思い込んでいるブリジットは、いまだに『スローアン様も婚約破棄を望んでいる』と信じ切っているのだった。
しかし、本当のところは結構違う。
ブラッドフォード公爵の気迫に危うさを感じたスローアンは、すっとブラッドフォード公爵とブリジットとの間に体を挟み込み、ブリジットをその背で庇った。
「ブラッドフォード公爵、誤解です。ブリジットは何も王太子様を誘惑などしておりませんよ。ブリジットは私の婚約者です。それを王太子様もご存知です。ね? 王太子様?」
スローアンは厭味を交えながら、ちらっと王太子を見た。
王太子の方も、ブラッドフォード公爵が出てきたうえに、スローアンにこうまで言われてしまうと「あ、ああ……。」と素直にこくんっと頷いた。
が、ブラッドフォード公爵の方は、スローアンの言葉に余計に目を見開いた。それから苦々しい顔をした。
「スローアン殿。そなたの婚約者ということは、こちらの女性はヘルファンド公爵の娘さんかね?」
「そうですよ」
スローアンは、なぜブラッドフォード公爵にそんな顔をされなければならないのかと、少々訝しんだ。
ブラッドフォード公爵の方は黙ってしまった。
―――これがヘルファンド公爵の娘。
あのキャスリーン・ウィルボーン嬢の縁者か……。
それから、またしても危機意識がむくむくと湧いてくるのを感じた。
この女、どこに隠れていた……。
厄介な存在がまだいたとはな……。
「お父様?」
父親が黙り込んでしまったので、不審に思ってレベッカが小声で話しかけた。
ブラッドフォード公爵はハッとした。
バツの悪そうな顔をする。
そうして
「聞いていたか、レベッカ。こちらの令嬢は婚約者がいる。王太子様の相手には決してなるまいよ。おまえも婚約破棄などくだらないことは言いものではないぞ」
と娘にきつく言うと、くるっと踵を返した。
「お、お父様、私は本気で考えて……!」
とレベッカは言い返そうとしたが、父親は振り返る気配も見せずに速足で会場を後にしようとするので、慌てて父親の後を追った。
周囲の貴族たちは少し拍子抜けした。
「もっと修羅場が見れるかと思ったのに」
「ブラッドフォード公爵ったら、婚約者がいるならってことで、さっさと矛先を納めてしまわれたわねえ?」
「しかし、あの強引で偉そうなブラッドフォード公爵がどうも調子悪そうだったね?」
「それで、あのブリジット嬢は悪い娘なんですの?」
「どうかしら。だってご覧なさい、あのスローアン様の緊迫したお顔を。相当婚約者様を心配しておいでよ」
スローアンの方は、まだ肩に力が入っていたらしい。
ブラッドフォード公爵の姿が見えなくなって、ようやくほっと溜息をついた。
「王太子様。こんな心臓に悪い状況、もうやめてくださいよ」
王太子の方はというと、まさかレベッカにあんなことを言われるとは思ってもみなかったので、自分が調子に乗り過ぎていたことを反省していた。
まあこの王子、ただのお調子者王子なだけだったのである。
「すまなかったな、スローアン。それからブリジット嬢も」
王太子は素直に謝った。
あれ?
ブリジットは首を傾げた。
この断罪劇で私は晴れて『悪役令嬢』、婚約破棄まっしぐら……のはずだったのに!
なんか、謝られてる~っ!
「王太子様。いえいえ、私が王太子様を誘惑したのがいけませんでしたのよっ。私が一番悪いんですのよっ」
ブリジットは必死に王太子に縋りついた。
王太子は目を見開いた。
「……レベッカや私を庇ってくれるのかい? 誘惑したのは私なのに……。君はなんて心の優しい女性なんだろう。自分が悪役を買ってくれようとまで……」
それから王太子は尊敬のまなざしをブリジットに向けた。
ええ? ちっが~う!
ブリジットは大きく首を振った。
ここはさ、「おまえのせいだ、この性悪女め」でしょ!?
お願い、私を『悪役令嬢』にして~っ!
よほどブリジットが切羽詰まった顔をしていたのだろう。
王太子は完全に何かを誤解していて、ふっと微笑むとそっと優しくブリジットの頭を撫でた。
それから、スローアンの目にハッと気づいて手を引っ込め、苦笑いした。
「すまん、スローアン。もうブリジット嬢には触れないと約束しよう。レベッカがブリジット嬢を気に入っている理由が良く分かった。大事にしてやってくれ」
まあ、お調子者王子も根は素直なのである。
スローアンはゆっくりと頷いた。
こら~っ! ちっが~うっ!
ブリジットは地団太を踏んだ。
2.
父親に直談判しようと後を追ってきたレベッカだったが、廊下の曲がり角でロイスデン侯爵が父を待ち構えているのを見つけて、思わず脇に反れ姿を隠した。
ロイスデン侯爵はブラッドフォード公爵の姿を認めると急ぎ駆けてきた。
「大変な騒ぎでございましたな」
「うるさいっ。儂が何か言う前にお前がしゃべるな、たわけものっ」
「は、はあ」
頭ごなしに怒鳴りつけられたロイスデン侯爵はしゅんとした。
しかし、ブラッドフォード公爵は、まだ興奮おさまらぬ様子でロイスデン侯爵を睨みつけた。
「おまえ! 知っているぞ。おまえの息子とあの女の噂話をな」
「あ……。は、はあ……。まあ、みんな知っていますしね」
ロイスデン侯爵は逃げも隠れもしませんよ、といったように首を竦めて見せた。
「相手の女がスローアン・ジェラードでなければ、ヴィクターの話だって『誰それ?』で済んだかもしれませんがね。」
「そんなことを言ってるんじゃないっ!」
「は、はあ……」
またブラッドフォード公爵の雷が落ちたので、ロイスデン侯爵は縮こまった。
しかしブラッドフォード公爵の口調はどんどん強くなる。
「ヴィクターの相手があんな美人だったとは知らなかったぞ」
「はあ?」
何を言い出すんだ?とロイスデン侯爵は思った。
「レベッカの脅威になっては困るのだ。あの女はヴィクターと好き合っているのだろう? きちんとあの女の心を繋ぎとめておくようヴィクターに言っておけ」
「は、はあ!?」
ロイスデンは驚いた。
「それじゃあまるで……。」
「ああ。いつぞやのようにな」
ブラッドフォード公爵はさらっと言った。
ロイスデン侯爵の顔色がさっと変わった。
「そんなっ! だってヴィクターにはソフィア様をいただけるというお話だったじゃありませんか!」
「その話はなしだ」
「なし!? 何ですって!」
ロイスデン侯爵は金切り声を挙げた。
しかしブラッドフォード公爵は耳ざわりだと言うように一瞬顔を顰めた。
「噂が大きすぎる。他の女と愛し合っているヤツにうちの可愛い娘はやれんよ」
「話が違うじゃないですか! だってキャスリーン・ウィルボーン嬢のときは、ソフィア様をくれるというからお手伝い申し上げたんです……!」
ロイスデン侯爵は必死に訴えかけた。
「ふん。ブリジットとかいう女と噂になるおまえの息子が悪い」
「そんなっ! 私はキャスリーン嬢の一件で、息子を一人社会的に失っているのですよ!!!」
「まあ、そのうち違う形でお前には報いてやろう……。」
あんまりロイスデン侯爵がうるさいので、ブラッドフォード公爵はこの場を逃げるために、適当に誤魔化しの言葉を口にした。
「とにかく、ヴィクターに言っておけ。何が何でもブリジットとかいう『恋人』を放すなと」
「ちょっとブラッドフォード公爵様! だって相手の女は婚約者持ちなのです。そのスローアン・ジェラードだって婚約を破棄しないと吹聴してまわっています。うちのヴィクターには立つ瀬がありません!」
ロイスデン侯爵は大粒の汗をこぼしながら身を乗り出して説明している。
が、ブラッドフォード公爵は、
「そうだったな。婚約者持ち。うん。スローアンとヴィクターの二枚重ねであれば、まあ安心だ」
と一人呟いた。
「ちょっと公爵様!? 聞いていますか!」
ロイスデン侯爵は悲鳴に近い声を上げた。
「うるさい! とにかく、レベッカが無事に王太子妃になることがおまえら親子の使命だ。それが叶わなければ出世はないからな!」
ブラッドフォード公爵はじろっとロイスデン侯爵を一睨みすると、もうロイスデン侯爵には目もくれず、また大股で歩き出した。
ロイスデンは「話が違う、すでに払った犠牲への報いは」と声を大にして言いたかったが、これ以上公爵を怒らせては余計に話がこじれると、黙って引き下がるしかなかった。
このようすを物陰ですっかり聞いてしまったレベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢は、体がわなわなと震えてくるのを感じた。
レベッカはまだ頭が混乱していた。
しかし少しは理解できたことがある。
陰謀。
全て、父の陰謀。
キャスリーン・ウィルボーン公爵令嬢のことも。
……そうして、今度はブリジット・ヘルファンド公爵令嬢が危ない。
レベッカはふらふらと歩き出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
たいへん嬉しいです!!
主人公、なかなか悪役令嬢になれませんね……。
次回は少し甘めの展開の予定(が、甘くはなり切らない笑 だってブリジットだもの)
更新が遅くなっていて、大変申し訳ありません。
あと数話で完結分まで書き終わりますので、書き終わってから投稿していきたいと思います。
すみませんがどうぞよろしくお願いいたします。





