7.王太子が口説いてきた……
1.
さて、次の週の月曜日。今日は月曜定例の王妃様主催の舞踏会である。
なんと、ブリジット・ヘルファンド公爵令嬢はこの舞踏会に足を踏み入れた!
というのは、婚約者のスローアン・ジェラード公爵令息が半ば強引に『来週の月曜の舞踏会は、私と一緒に出席していただきます』と誘ってきたからである。
そもそも舞踏会なんて大っ嫌い。
さらには、社交界一の貴公子と名高いスローアンの婚約者で、自業自得とは言えヴィクター・ロイスデン侯爵令息と浮気(仮)のスキャンダルが噂されている我が身。
ブリジットはにべもなく、急なのでドレスが間に合いませんとか体調がすぐれませんとか言ってお断り申し上げようと思った。
しかしスローアンにすっかり丸め込まれている母が先手を打ってブリジットの言い訳を全て却下したため、もはやブリジットは断りようがなかった。
「じゃあいいや。当日行かないだけよ」
とブリジットは高を括っていたのだが、スローアンの方も驚くほどマメで、連日、一日1~2回も、舞踏会についての念押しの使者を送って来る。
しかもドレスまでスローアンが送って来た。
これがまた上等なレースを使った趣味の良いデザインのもので、ブリジットの泉の女神のような容姿に良く似合っていた。(ただし、ブリジットは見た目と中身が伴っていないので、キャラクターに似合っているかと言われたら甚だ疑問ではある。)
お抱えのお針子の前でドレスのフィットさせられていたブリジットは、ドレスのサイズ感がぴったりでほとんど直すところのなかったのに、ちょっと引いた。
誰がスリーサイズをばらしたのか?
まさかスローアンが私の見た目で推測したわけではあるまい?
まあそれでも。
ブリジットの方だって筋金入りの引きこもり!
どんなに露骨なスローアンの圧しだって、空気を読まずにドタキャンする気満々だった。
しかし、スローアンは最後の念押しのように、ブリジットにこう言ってきた。
「クリスタル・ネルソン男爵令嬢から、茶番のウラ事情は聞きましたよ」
ブリジットはさすがにギクリとした。
何、クリスタル嬢、失敗したの?
しかも、全部しゃべっちゃったわけ?
あの、裏切者!
……まあ、一番悪いのはブリジットであるわけだが。
ブリジットはそれでも黙ってしらばっくれようかと思っていたが、スローアンの言うところの『ウラ事情は聞きましたよ』が気になって仕方がない。
クリスタルはどこまでしゃべったのか……。
しぶしぶブリジットはスローアンに会うことにしたのだった。
―――さて当日、当のスローアンは澄ました顔で、ブリジットをエスコートしていた。
ブリジットを婚約者としてお披露目する意図が明確に見て取れる。
外堀を埋める気満々だ。
さらには、スローアンがクリスタルに絡まれていた現場を見たキャプショー伯爵が、嬉々として変な噂を流していたので、それを払拭する意味合いもあった。
だから、スローアンはわざと人目につくようなパフォーマンスをあちこちでして見せた。
これは大変効果的だった。
ほぼすべての招待客はスローアンとブリジットのペアに好奇の目を向けた。
「見て! スローアン・ジェラード様よ。お隣の女性は誰? すっごい美人だわ」
「そういえば、スローアン様は例の『浮気』婚約者とは別れましたの?」
「聞いたんですけど、あれが婚約者のブリジット・ヘルファンド嬢らしいですわ」
「んまあ! あれがブリジット・ヘルファンド嬢!? こんなに美しい方だったなんて。スローアン様の横に立っていても少しも遜色ないわ」
「なるほどね……。スローアン様を差し置いて別の男性と恋仲にと聞いたから、どれほどのものかと思っていたけど。まあ、これだけ美しかったら、ね」
「でも、その婚約者がスローアン様と一緒に出ておられるということは、ですわよ!?」
「そうね……婚約は解消なさらないようね」
「でも、スローアン様も別の巨乳の女性を口説いていたと噂よ」
「まああああ~! どうなっているの!?」
「でも、こうして公の場に堂々と二人で現れるということは……」
「噂は嘘だったのかしら?」
舞踏会の会場はひそひそ声でざわつき、ブリジットのちょっした情報が瞬く間に拡散されていった。
スローアンの目論見は成功だったし、さらにスローアンは少し得意でもあった。
挨拶する人する人が、皆、ブリジットを見て、足を止め、目を見張るからだ。
「おい、スローアン。こんなに美しい人をどこで見つけたのかい?」
「独り占めかい? なんて身分だろうね」
スローアンと仲の良い友達はみな、スローアンに羨望の眼差しを向ける。
しかしブリジットは愛想など浮かべる気配は微塵もない。
それどころか、うんざりした顔を隠そうともしなかった。
ブリジットは挨拶するときだけ、口元に笑みを浮かべて優雅に膝を折ったが、それ以外の時は、地獄の野原を歩いているかのように、むすっとした顔をしていた。
その顔を見ると、得意だったスローアンは少し心配になるのだった。
婚約を嫌がっているブリジット嬢。
今日はその理由を聞きたいと思っていた。
先日、ブリジットに派遣された誘惑女クリスタル・ネルソン嬢は「ブリジット様はスローアン様の顔がイヤ」と言っていた。
それは本当だろうか。
2.
すると、きゃっと甲高い声がした。
スローアンとブリジットが振り向くと、そこには王太子の婚約者、レベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢がいた。
「ブリジット様! またお会いできて嬉しいわ! 今日はスローアン様と一緒ね」
ブリジットは少し顔を緩ませて、挨拶した。
「これはレベッカ様。あの日以来でございますね」
「そんなよそよそしい顔をなさらないで」
なぜかすっかりブリジットを気に入っているレベッカはむっとした顔をした。
するとその時、急にレベッカの背後にいた人がすっと前に出てきた。
「やあスローアン! これが君の婚約者かい? 見てみたいと思っていたんだよ!」
ヘンドリック王太子だった。
彼はブリジットを見て目を細めた。
「いや~なんて美しい令嬢だろうね! さすがスローアン……。しかし、こんな令嬢がいると知っていれば、君になんか渡さなかったのにな~」
「それはどういう意味ですか?」
スローアンはにこやかな笑顔とは裏腹の少し棘のある声で返す。
王太子はニヤリと笑った。
「君と争ってでも手に入れただろうということさ」
「ご冗談を。ヘンドリック王太子様にはこちらのレベッカ様がおられますでしょう」
スローアンは王太子の悪い病気がまた始まったとうんざりした顔になった。
「ふんっ! レベッカなんか、こちらのブリジット嬢と比べたら、ジャガイモのようだ」
王太子はレベッカの目の前でひどく辛辣なことを言い放つ。
「……。」
レベッカがムッとしたのがブリジットにも分かった。
ああ~。こりゃ、レベッカ様が婚約をやめたいというのにも納得だわ。
しかし王太子は空気を読まない。
「ブリジット嬢。こんどスローアン抜きで一緒にお茶しないかい?」
ブリジットはぎょっとした。
うわあ、すっごい軽薄!
火の粉、降りかかってきたあ~っ!
それからブリジットは従姉のキャスリーン・ウィルボーン公爵令嬢を思い浮かべた。
私はキャスリーンの従妹よ。それを相手によく言えたものね。まあ……王太子様をフったのはキャスリーンの方なのかもしれないけど。
「キャスリーン。あなた、こんな人を選なくて正解だったわ」
「ん? 何か言ったかい?」
王太子はきょとんとする。
「いいえ別に。お茶は丁重にお断りいたしますわ」
ブリジットは歯牙にもかけない様子で答えた。
すると王太子はめっちゃ笑顔になった。
「はっはっは! いいねえ。美人にこんな素っ気ない態度を取られると、こちらもどうしても落としたくなってくるぞというものだ」
スローアンは王太子を窘めた。
「やめてください。こちらは私の婚約者です」
王太子はスローアンを睨む。
「ずるい奴だな。独り占めする気か?」
「しますよ。婚約者くらい」
「ケチ」
「とにかく。何を言われようと駄目です」
スローアンはぴしゃりと撥ねつけた。
ブリジットは一瞬ぼんやり考えた。
ヴィクター・ロイスデン様と浮気(仮)してもスローアンは婚約を破棄してくれなった。
では王太子様だったら?
自分が王太子様の思われ人になって、王太子がスローアンに譲れと命令したら? そうしたら婚約は解消?
そのあと、王太子様に捨てられれば万事解決……?
とそこまで考えて、ブリジットはあり得ないとぶんぶん首を振った。
キャスリーンが目の裏に浮かぶ。
キャスリーンは王太子に捨てられたわけではないけれど、本来なら、彼女はこの王太子の横に立っているはずだった。
こちらが王太子を利用するとはいえ、一瞬でも王太子とうわさが流れるなんてキャスリーンやウィルボーン公爵家に顔が立たない!
ブリジットが自分の考えにぞっとして身震いすると、王太子が熱心にブリジットの顔を覗き込んできた。
「スローアンはどうでもいい。私はブリジット嬢に話しかけている。なあ、ブリジット嬢、お茶くらいいいだろう?」
「よくありません」
ブリジットはすげなく返す。
スローアンはブリジットの言葉に少しほっとした。
「なんだい? 私は王太子だぞ? これは命令だ。君ほどの美人が私とお茶をすることなくスローアンの妻になるなんて、私の名誉にかかわる」
「どんな名誉ですか!」
ブリジットはじとっと相手にするのも面倒くさいといった表情を前面にだす。
「分かった。今日のところはダンスで許してやろう。さあ、私とダンスをするんだ」
しかし、プレイボーイを自負する王太子も簡単には諦めない。
「ダンス? 絶対にいやです」
「なぜだ!」
「私、踊れないんですの」
ブリジットはそっぽを向いた。
「嘘つけっ! その二本の脚はなんのために生えている!?」
「別にダンスのためじゃありません!」
「私のダンスも断るか? ……じゃあ分かった」
王太子は急に―――それこそブリジットが抵抗する間もなく―――さっとブリジットの手を取ると、手の甲にキスをした。
げっと思ってブリジットが思わず手を引っ込める。
スローアンも顔色を変えた。
「ちょっと王太子様! 何してるんですか!」
王太子はしてやったりといった顔をする。
「ふふふ。独り占めするなんて許さないよ、スローアン。手の甲とはいえ、これで彼女の体にキスできた。君以外の男性のキスだ。おっと、ヴィクター殿はもうとっくにキスしているのかな?」
ブリジットは怒りで真っ赤になった。
スローアンも目に怒気を湛え、ブリジットを庇うように立つと王太子を睨んでいる。
「ははは、怖い顔するなよ、スローアン。私に内緒でこんな美人を手に入れようとするからダメなんだ」
と王太子が堂々と宣った。
その時だった。
「王太子様。そんなに浮気ばっかりでしたら、どうぞわたくしと婚約破棄してくださいませ!」
とレベッカが甲高い声を上げた。
王太子もブリジットもスローアンも驚いて、一斉にレベッカの方を向いた。
レベッカは……怒っているかと思いきや。その顔は、どっちかというと『これ幸い』。
ブリジットはレベッカの顔に「ああ~」と納得した。
婚約、辞めたがってたものねえ~。
しかし、このレベッカの声は思いのほか響いたようで、周囲の貴族たちもばっと振り返った。
「こ、婚約破棄って言った!?」
「誰だ誰だ?」
「えっ!レベッカ・ブラッドフォード嬢?」
「王太子に向かって言ったのか!?」
周囲の貴族たちは騒めいた。
王太子もびくっとなった。
まさかレベッカがこんな大それたことを言うとは思ってもみなかったのだ。
「レベッカ! 急に何を……」
「何を、じゃございません。殿下はわたくしの目の前で別の女性を熱心に口説かれる。屈辱ですわ。もうよいではありませんか。婚約はなしで!」
レベッカは『屈辱』などという言葉を使っていたが、その顔は少しも悔しがっているそぶりはない。
むしろ「言ってやった~!」とせいせいした顔だ。
その場がざわつき、皆が「なんだなんだ」と王太子とレベッカの方を見る。
ひそひそ声が波のように広がっていった。
その状況にビックらたまげたのは、少し離れたところにいたレベッカの父、ブラッドフォード公爵だった。
自分の派閥の貴族が血相を変えて駆けてきて状況を説明するのを聞いて、自身も卒倒するかと思った。
む、娘が、王太子に婚約破棄を提案した!?
そ、そんなこと許さんぞ!!!
父がどれだけ苦労してお前を王太子の婚約者に押し上げたと思っているのだ!?
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誤字脱字報告もいつもありがとうございます。
次回、王太子の婚約破棄騒動。念願の『悪役令嬢』ポジションなんですけどね……(笑)