6.ピンクブロンドを使って婚約者を誘惑させてみます!
1.
さて、ヴィクター・ロイスデン侯爵令息はというと、屋敷の父の書斎に呼び出され、父親にこっぴどく叱られていた。
「ばっかもん! ヘルファンド家の娘と恋仲の噂を流しおって」
「父上! 私は本気なのです。父上とヘルファンド公爵が仲が良くないのは知っていますが、それは私たちには直接関係ない。私はブリジット嬢が欲しいのです」
「というか、ブリジット!? ヘルファンド家に娘がいたとはな」
「いますよ。大変美しい方だ。父上も彼女を見たら考えを変えるはずです」
「考えなど変わらん! おまえには父が苦労して婚約者を……」
「ブラッドフォード公爵家のソフィア嬢ですか? 私は嫌ですよ」
「何だと!?」
「それに、偉そうで支配的なブラッドフォード公爵も嫌です」
「むむうっ」
ロイスデン侯爵はヴィクターが反抗的なので顔を真っ赤にして怒った。
「よいか。ブラッドフォード家は現王太子妃候補、次期王妃のご実家だ。宮廷内での実権は約束されたも同然! そこと親戚になれるのだ。ロイスデン家のためにもこの縁を逃してはならなぬ」
「父上はそんなことばっかり仰る」
「何も分かっていないのはおまえだ。ジェラード公爵家のスローアン殿はヘルファンド家の娘と婚約を解消しないつもりだと聞いたぞ」
ロイスデン侯爵はじろっとヴィクターを睨んで言った。
ヴィクターの顔がみるみる曇った。
「……。それは……少々誤算でした」
「ふんっ。話にならん。ジェラード家の息子がヘルファンド家の娘と婚約を解消しなければ、おまえなど入り込む余地などないではないか。諦めてブラッドフォードの次女をもらえ。彼女はおまえを好いていると聞いた」
「嫌です! 私はブリジット嬢と一緒になりたいのです!」
「バカもんっ! 私がブラッドフォード家の信頼を勝ち取るために、どんな苦労をしたと思っているのだ!」
ロイスデン侯爵の癇癪は大爆発し、ロイスデン侯爵は拳を突き出した。
ヴィクターは父の剣幕に異様さを感じた。
「……? どんな苦労をしたのです」
「……ふんっ! おまえはそんなことは知らなくてよい。とにかく、ヘルファンド家の娘と別れろ。そしてブラッドフォード家の娘と結婚するのだ」
ヴィクターは父と話しても時間の無駄だと悟り、何も答えないままくるりと背を向けると、大股で部屋から出て行った。
2.
さて、その頃のブリジットは。
スローアンが帰るや否や客間を飛び出し、自室に引きこもって頭を抱えていた。
スローアンが、ヴィクターとできていてもできていなくても婚約は破棄しない、と言ったからだ。
ヴィクターと別れさす、とまで。
困ったわねえ。こりゃあ万事窮すだわ!
ブリジットは、唯一自分が心を落ち着ける場所、自分の居室をぐるりと見回すと、大きくため息をついた。
この部屋から出ていくなんて考えられない。婚約だけは辞めなくちゃ。
しかし、今回の件ではスローアンはまだ婚約を解消する気にはならなかったようだ。
「つまり……スローアン様が婚約を破棄したくならなきゃだめってことよね」
ん?
あっ! 婚約破棄したくなると言えば!
スローアン様が別の人を好きなればいいんじゃないかしら?
王道の婚約破棄といえばピンクブロンドよね!
ピンクブロンドにスローアン様を誘惑してもらえばいいんじゃないかしら!?
ピンクブロンドがスローアン様を誘惑 → スローアン様がピンクブロンドにメロメロ → スローアン様は私との婚約を破棄する―――。
か・ん・ぺ・き!
さらに言えば、浮気の噂が流れた上に婚約破棄された公爵令嬢とか家の恥だもの、私は家の奥深くに匿われるはずよ。ヴィクター様の件も「相応しくない」とか言って丁重にお断り申し上げればいいし。そうしたらもう、私の引きこもりぐうたら生活は一生安泰だわね!
ブリジットの頭はどこまでも安易なのである。
「ウィニー! ウィニーはどこ」
ブリジットは侍女のウィニーを呼んだ。
「何事です、お嬢様」
ブリジットがやけに晴れ晴れとした顔をしているので、ウィニーは怪訝そうな顔をした。
「ピンクブロンドを一人探してきてほしいのよ」
「は!?」
「ええ、もうあなたには隠さないわ。ピンクブロンドにはスローアン様を誘惑してもらうつもりよ」
「はいいい?」
「ピンクブロンドにメロメロになったスローアン様が婚約破棄」
「それ、ピンクブロンドさんにはメリットは?」
「スローアン様と結婚できるのよ! あなた言ったじゃない。スローアン様と結婚したい女性はいっぱいいるって」
「いや、そんな婚約破棄、『ざまぁ』されますでしょ」
「断じてしないと約束するわ!」
「ブリジット様がしなくても、うちの奥様と旦那様が黙っていないでしょう!」
「できるもんですか。スローアン様が心変わりしたところで、うちの両親に人のこと言える? 私にだってヴィクター様という爆弾がございましてよ!」
「はあ……全然威張る事じゃないし」
「よろしくね! ウィニー!」
ブリジットは自信満々でウィニーの肩を叩いた。
しかしウィニーは何も言わず、少し気味悪い顔でブリジットを眺めていた。
ブリジットは少し居心地の悪さを感じた。
「……何よ?」
ウィニーは大きくため息をついた。
「いや……、お嬢様は、そんなにスローアン様との婚約がイヤなのかと」
「嫌に決まってるでしょ! この屋敷を出て他人の家に嫁ぐなんてまっぴらごめんだわ。ぐーたらできないじゃないの!」
「……」
ウィニーは、なんとなくスローアンのブリジットへの気持ちに感づいていたので、スローアンを気の毒に思った。
3.
ウィニーはたいへん優秀だった。
すぐに、男ウケしそうな巨乳のピンクブロンドを見つけてきた。
まあ、スローアンと結婚したい令嬢がたくさんいるというのもあったが。
「クリスタル・ネルソンと申しますわ」
とその男爵令嬢はぽってりとした厚い唇を少し窄ませて言った。
「まあ……」
ブリジットは感心した。
「あなた、本当にセクシーね!」
「ふふ、ありがとう……」
クリスタルは嬉しそうに口元を隠しながら笑った。
「でも、本当にいいのぉ? スローアン様を誘惑しても?」
「もちろん!」
ブリジットは胸を張った。
「でもぉ、こんな誰もが羨む婚約なのに。 そんなにスローアン様がイヤ?」
クリスタルは思わせぶりな流し目で聞いた。
「スローアン様は別に嫌じゃないけど」
ブリジットは慌てて弁解した。
「婚約そのものがイヤなのよね」
「ふぅん?」
クリスタルは全然理解していない顔をした。
「まぁ、いいわ。あなたはスローアン様の浮気に納得済みってことなのよね?」
「それは保証するわ!」
ブリジットは胸を叩いた。
「『ざまあ』とかしないでよぉ?」
「絶対しないわ、安心して!」
「ふぅん。じゃぁ、その旨、一筆書いて」
クリスタルはなかなか抜け目がない。
「了解!」
ブリジットはシュパッとペンを取ると、すらすらすら~っと書きしたためた。
クリスタルはブリジットの書いた書状を満足げに眺めて、
「あたしにも運が向いてきたわぁ……」
と嬉しそうに言うと、大事そうに胸元にしまった。
さて。
このクリスタルの仕事は早かった。
王宮の金ぴかの廊下で、浮かない顔をしているスローアンを見つけると、クリスタルはスタスタスタっと速足で近づき、馴れ馴れしく話しかけた。
「まあ、スローアン様ぁ? なんだか気分がすぐれないお顔ねぇ?」
スローアンの方は考えを邪魔されてわずかに顔を顰めた。
しかしクリスタルは気づかない。
「どうなさったの? お話お聞きしましょうかぁ?」
「いや、それには及びません」
スローアンはきっぱりと突っぱねた。
見ず知らずの女性に心内を吐露するほど落ちぶれてはいない。
しかしクリスタルは微笑んだままだ。
最初の提案で断られるくらい想定内。
「ねえ、その顔はブリジット様のことなんでしょお?」
「え!?」
スローアンは思わずビクッとなった。
「あら図星ぃ?」
クリスタルはふふっと笑う。
「あたし、こう見えて、ブリジット様とは仲良くさせていただいていますのよぉ」
「そ、そうなのですか?」
スローアンはまじまじとその女を見つめた。もしそれが本当なら、最近ずっと頭を悩ませてきた……『ブリジット嬢が結婚を嫌がる理由』を聞けるかもしれない。
いや、だが、しかし……こんな女性が?
クリスタルはそんなスローアンの心が手に取るように分かった。
「そりゃあ、いきなりあたしなんかに話しかけられたら、いくらブリジット様のこととはいえ、迷うわよねえ……」
「あ、いえ、そういうつもりじゃ……」
スローアンは見透かされた気持ちになり、少しまごついた。
そのまま、うまく断わる理由も思いつかず、
「ブリジット様のお友達と言うことであれば……えっと……お名前は?」
と聞いたのだった。
クリスタルはニヤリとした。
「クリスタルよ。クリスタル・ネルソン。どうぞクリスタルと」
「ではクリスタル嬢」
クリスタルは名前を呼ばれて満足そうに微笑んだ。
スローアンは少し疑わしそうに、
「ブリジット様とはどれくらい前から?」
と聞いた。
クリスタルは少し冷や汗をかいたが、
「え~っと。まあ、ソウルメイトっていうの? あたしたちの関係にはあんまり時間とか関係ないかな? マブダチだから、彼女のことならなんでも聞いてくださいな」
と親指を立てて見せた。
「はあ……」
スローアンはなんだか不安な気持ちになり、この女性から早く解放されたい気持ちになった。
しかしクリスタルの方はというと、スローアンとがっつりお話をするまでは逃がしませんわよっという気迫が漂っていた。
それでスローアンは仕方がなく、
「ブリジット様はなんで私との婚約を嫌がってるんです?」
と遠慮しがちに聞いた。
クリスタルはにまっとした。
「ああ、それは。スローアン様がイヤなんですってよ!」
……まあ、そんなことブリジットは一言も言っていないわけだが。
「え? あ、ああ。そうですか……」
スローアンは、クリスタルの取り付く島のない答えに、それ以上は何も言えなくなってしまった。
「お可哀そうにね、スローアン様。私でよければお慰めいたしますわ」
クリスタルはスローアンに谷間が見えるように、ちょっと体を傾けた。
「いや、別にいらないです。私のどこがイヤだとかは聞きましたか?」
「え~っと、そうねえ。その……、顔?」
クリスタルは答えに困って適当に答えた。
もちろん、ブリジットがスローアンの顔に言及したことは一度もないのだが……。
スローアンは呆気にとられた。
「顔……ですか?」
そんなものどうしようもないではないか。
クリスタルはスローアンの表情にほくそ笑んだ、。
「でもねぇ。あたしはあなたのお顔、イケメンで大好きですわ! ちょっとそのほっぺた触ってみてもいいかしら?」
「え? いや。辞めてください」
スローアンは後退りしたうえ仰け反った。
クリスタルは残念そうな顔をする。
ほっぺたに触った上でどさくさに紛れてキスしようとしたのに。あたしにキスされたら、普通の男性はメロメロになるのよ。
「おいっ! 何やってんだあ!!!」
急に男の声がしたので、クリスタルはびっくりして振り返った。
そこにはスローアンの従弟のロジャーがいた。
ロジャーは目を吊り上げている。
「そこの角で、キャプショー伯爵に会ったら、おまえが女を口説いている、例の浮気婚約者とはもう婚約解消したのか、と聞かれたよ。な~にやってんだ、おまえ!!!」
スローアンはぎょっとした。
「私は口説いてないっ!」
「よく言うよ! こんな露骨な女と一緒にいたら誤解もされるわ!」
ロジャーは呆れ顔で罵った。
「露骨な女って何ですの!? あたしはクリスタル・ネルソンですわ!」
「お~う! じゃあなア、クリスタル・ネルソン! さっさと俺の従兄の前から失せろ!」
ロジャーがクリスタルを睨みながら言った。
「う、失せろですって!? んま~! なによ、その言い方! あたしはブリジット様のお友達よ! 言いつけてやるんだから!」
「はああ!? ブリジット嬢の友達!?」
ロジャーは俄かには信じられないといった顔をした。
「あの女、絶対友達とかいないタイプなんだけど」
なにせ、引きこもりだからな。
クリスタルはぷうっと膨れた。
「い~え。あたしは友達なの」
「あの引き込もり女に友達はあり得ない!」
「んまあ! あたしが嘘をついてるとでも言うの!?」
「絶対ないね。特におまえみたいなタイプは一番ない。絶対にブリジット嬢の名前を騙ってうちのスローアンに近づいてやろうって魂胆だろ」
ロジャーはズバッと言い切った。
「ち、違うわよっ!」
クリスタルは叫ぶ。
……あんまり違わないけど。
ロジャーはひどい剣幕でクリスタルにずいっと詰め寄った。
「どう違うんだ。説明しろよ! ブリジット嬢とおまえの間に接点なんかあるのかあ?」
「あ、あるわよっ!」
きい~っとなったクリスタルは、あろうことか、ブリジットからもらった念書を引っ張り出し、バ~ンっとロジャーの前に掲げて見せた。
「は!? これは何だ?」
ロジャーは思わずびっくりしたが、その念書に目を通して、急に「うあああああ~」っと両手で顔を覆った。
「ど、どうした、ロジャー!?」
スローアンが驚いてロジャーの肩に手を掛ける。
「!!!」
ロジャーは慌ててスローアンからその念書を隠そうとした。
「だ、ダメだ!」
「?」
スローアンは急に険しい顔になって、素早い動作でその念書をパシッと奪った。
ロジャーは真っ青になる。
一読したスローアンは、へなへなと一気に脱力した。
「なんだ、これは……」
「いや……。あの女……、アホにもほどがあるだろ……」
庇えキレなくなったロジャーは頭を掻いた。
その念書には、
『誘惑が成功し、スローアン・ジェラード様がクリスタル・ネルソン嬢を好きになっても、私ブリジット・ヘルファンドは一切文句を言いません』
と書いてあったのだ。
「あっ!」
いまさらになって、念書の内容がアウトなことに気付いたクリスタルだったが、後の祭りである。
ロジャーはげんなりした顔でクリスタルに目を向けた。
「おおい。説明しろよ、女!」
念書の内容が明らかになってしまった以上、隠しても無駄だと、クリスタルは開き直った。
「そ、そうよ! ブリジット様はあなたとの婚約をやめにしたいんですって。でも、ブリジット様が浮気(仮)しても、婚約を破棄してもらえない。ではスローアン様に別の好きな人ができたら、という筋書きらしいわ」
スローアンは目を丸くしてクリスタルを見つめた。
「……それで、あなたが私を誘惑しに来たというわけか。なんという茶番……」
ロジャーはでっかい溜息をついた。
「まあ……、今頃はキャプショー伯爵があちこち言いふらしているかもしれないけどなあ」
スローアンはぎょっとした。
「! それでは私が浮気したことになってしまう!」
ロジャーは軽く手を振った。
「俺ら、あいつに振り回され過ぎじゃね? さっさと無理やりにでも結婚しちまえ……と言いたいところだが。問題はブリジット嬢だよ。あいつ、なんでこんなことまでするんだ? どこまで婚約を破棄したいんだよ?」
スローアンも眉を顰めながら頷いた。
「それは私も知りたい。理由によっては……私だって、彼女を尊重したいと思うかもしれない」
スローアンとロジャーは顔を見合わせた。
それからロジャーはうんざりした様子を隠そうともせずに、宙を仰いだ。
「……。ん。まあでも、あの変人だからな。すっげーくだらない理由ってのに一票かなあ」
お読みくださりありがとうございます!
感謝感謝です!!!
次回は王太子初登場!の予定です。
主人公にちょっかいかけてきて面倒を起こすかも……。