4.婚約破棄できても浮気相手(仮)と成婚させられるだけ!?
1.
そう、ブリジットとヴィクターの噂はすぐに社交界を駆け巡った。
スローアン・ジェラード公爵令息は、こめかみを抑えながら真剣な面持ちで、自室の長椅子に深く腰掛けていた。
側には従弟で護衛のロジャーが侍っている。
スローアンはかすれた声でついに口を開いた。
「聞いたか? ロジャー。ブリジット様とヴィクター殿の件」
ロジャーの方もついにその話題かといった顔で頷いた。
「ああ。宮廷じゃその噂で持ちきりだものなあ。なんならおまえの行動にも注目が集まっているぞ。婚約者はどう出るかってね」
「まあ、そうなるよな」
「気落ちするなよスローアン。婚約の後って言うのは残念だったけど、結婚の前だっただけマシだと思えばいいじゃないか。『結婚したあと寝取られました』の方がダメージでかいだろ? あんな女とはさっさと縁切ってしまえ」
ロジャーはわざと明るめに言った。
スローアンはロジャーの言葉に余計沈鬱な表情になってため息をついた。
「……その件なんだけど。やっぱり婚約破棄が正解なのか?」
「え? どう考えても正解だろ? 馬鹿にしてんじゃん、おまえのこと」
ロジャーにはスローアンが迷う余地はないように思っていたから、当然のように答えた。
スローアンは疲れた目を上げた。
「馬鹿にしてる、のか?」
「してるよ。特にあのブリジットって女。変な細工しやがって」
「細工?」
「ああ。今になってヴィクター殿を唆して、何を企んでるのやら」
ロジャーはうんざりした目つきで両腕を組んだ。
しかしスローアンの方はいまいちロジャーの本意が分かっていなかったようだった。
怪訝そうな顔をして
「唆してってどういうことだよ、詳しく話せ」
と促した。
「あ? ああ、言ってなかったっけ? 義伯父さんに言われてさあ、ブリジット様との婚約にあたり、一応、素性調査的なのしたわけ。おまえはジェラード家の次期当主だし。女があまりに素行の悪いのは困るからさ」
スローアンの目が急に鋭くなった。
「……。その話、知らなかった。詳しく」
「詳しくも何もないよ。あの女、全く屋敷から出ないんだぜ!? とりたてて訪ねてくる人もいない」
ロジャーは首をすくめた。
それについてはスローアンもすぐさま頷いた。
「それはヘルファンド公爵夫人からなんとなく聞いていたよ」
ロジャーは、そこまで知っているなら何を聞くんだと呆れた顔をした。
「だからさ、そんなんでどうやってブリジット嬢が恋愛できるんだ? 繰り返すけど、ただの引きこもりだぜ?」
「手紙でも何でもあるだろう……」
「あり得ないね。相手は父親のの政敵のロイスデン家の息子だろ? ロイスデン関係の人間がヘルファンド家の屋敷に定期的に立ち寄っている様子はないし、ヘルファンド家の人間だってロイスデンには行っちゃいない」
ロジャーはバカにした目で完全に否定した。
スローアンはようやく納得した顔をした。
「じゃあ嘘なのか? ブリジット様がヴィクター殿を慕っているとか、二人が恋仲だとかいうのは」
「ブラッドフォード公爵家であったことは目撃者多数なんで本当なんだろうけど、ブリジット嬢の言葉は本当だとは思えないな。ブリジット嬢がヴィクター殿を慕うようになるほどの接点なんてなかったはずだ」
ロジャーはさらっと断じた。
スローアンは心の内ではほっとした。が、同時に、理解に苦しむように眉を顰めた。
「じゃあ、なんでブリジット様はヴィクター殿を慕っているとかそんな嘘を」
「そんなん知らねーよ。おまえとの婚約を破棄したいんじゃねーの?」
ロジャーはまったく理解できないというふうにまた肩をすくめた。
スローアンは寂しそうにふっと笑った。
「それは傷つくなあ」
「何言ってんだよ。おまえだって婚約前はブリジット嬢のことなんて知りもしなかったろ。伯母さんに言われて仕方なく婚約に応じたって感じだったじゃん」
スローアンは首を振った。
「そりゃ最初はね。会ったこともなかったし。でも……今はそうでもないよ」
「は!? 今はそうでもないってどういうことだ!? おまえ、もしや!?」
ロジャーは呆気に取られ、従兄の女の趣味を疑うようにまじまじとスローアンを眺めた。
それからロジャーは小さく手を振りながら、
「やめとけよスローアン。ブリジット嬢がヴィクター殿を慕っているのは嘘だとしても、振り回されるのはばかばかしいだろ?」
とわざと明るく言った。
スローアンは少し黙った。
それから、スローアンはおもむろに口を開いた。
「う~ん。でも、ブリジット様とヴィクター殿の関係が嘘なんだったら、別に婚約破棄する必要なくないか?」
「え!? おまえ、さっきから何言って? 大喜びで婚約破棄するんじゃないのかよ? あの令嬢、相当変わってるぞ」
ロジャーは理解に苦しむ顔をした。
スローアンは苦笑する。
「ひどい言いようだね。でも彼女、見た目を整えれば美しいじゃないか」
「いや……容姿の裏からにじみ出る変人臭が……」
「女性にそういういい方はよくないよ、ロジャー」
「いいや! 婚約がイヤだからってやることが、別の男を誘惑すること? 絶対変だって」
しかし、当のスローアンは笑って相手にしなかった。
「別に面白いじゃないか。思いついても行動する人あんまりいないよ」
「それ褒めてんのかあ!?」
ロジャーはツッコむ。
が、スローアンが微笑を浮かべてこっちを真っ直ぐ見ている様子が、あまりに落ち着いているので、
「……おまえ、もしかして本気か?」
とボソッと聞かずにはいられなかった。
スローアンは大きく頷いた。
「本気だよ。あんまり興味をそそられる女性っていなかったんだけど、ブリジット様はなんだか目が離せないというか」
ロジャーは理解に苦しむ顔をした。
「まじかよ。イケメンでもてすぎると、ここまで拗らせるものなのかね?」
だがスローアンは聞いてもいなかった。
「とにかく、婚約破棄しなくて済みそうでほっとしたよ。ブリジット様にははっきり言っておこう。婚約破棄はしませんよって」
スローアンは少し晴れやかな顔をしていた。
「……まあ、おまえがそれでいいならいいけど……」
ロジャーはこれ以上何を言っても無駄と悟って、ぶっきらぼうに答えた。
その時、ふとスローアンがまたマジメな顔になった。
「それより、ブリジット様がヴィクター殿を慕っているというのが嘘だったとしても、ヴィクター殿の方は何なんだい。私がいると知りながらブリジット様に言い寄るなど」
「そんなこと知らん。本気で好きなのか、何か企んでいるのか」
ロジャーは興味なさげに首を振った。
しかし、スローアンはそれには不満そうな顔をした。
「知らんじゃないよ。本気だったとしてブリジット様を奪うような真似をされても嫌だし、何か企んでいたとして陰謀に巻き込まれるのも嫌だし」
「分かったよ。監視しておこう。まあ、ロイスデン侯爵家の息子が|ブラッドフォード公爵家にいたってだけで、実は十分、色々な憶測を呼んでるからねえ。そこが繋がっているとは皆あまり思ってなかった」
ロジャーは悪戯っぽく笑った。
スローアンはロジャーの言葉にハッとした。
「それ……! うちのお舅殿は知っているのか」
「そりゃあ、さんざん噂になってるから、耳には入っているだろう」
「……そうか。じゃあお舅殿はどう動くかな」
スローアンはきゅっと険しい顔つきになる。
そんなスローアンを見ながら、ロジャーは苦笑した。
「さあな。ところでおまえ『お舅殿』って。まだ舅じゃないだろ。気が早いなあ」
2.
その頃、ブリジットの方は母親の私室に呼び出されていた。
ヘルファンド公爵夫人はブリジットと自分以外の者を人払いして、ブリジットと向かい合って座った。
「どういうことなの!? ブリジット、あなた、ヴィクター・ロイスデンと恋仲だったって本当なの!?」
ブリジットは面倒くさそうに眼を泳がせながら、
「え~っと、そういうことになるかな」
と答えた。
ヘルファンド公爵夫人はそんなブリジットに「逃がしませんよ」といった調子で詰め寄る。
「もう無茶苦茶ではありませんか! なんで、婚約の後にそんな話が出てくるのです!? しかも、うちの敵、ロイスデン侯爵家の息子と!? どっから突っ込んでいいのかわからないわ!」
「お母さま、今のところは黙っててくださいませんか」
ブリジットは冷や汗を流しながら、母親にお願いした。
スローアン様から婚約破棄されるまで、ね。婚約破棄されたら、いくらでもヴィクター・ロイスデンと別れさせて下さって結構よ!
しかし、ヘルファンド公爵夫人は急に声のトーンを落とした。
「黙っていられませんよ、ブリジット。私はねえ、そりゃあ申し訳なく思っているのよ。あなたの気持ちも考えず、無理やりスローアン様を連れてきちゃったでしょう。あなたに好きな人がいるんだったら、その人に話を持って行きましたよ」
ブリジットは母から急にしっとりとした言葉をもらって、ドギマギした。
「あ~。えっと……」
ヘルファンド公爵夫人は、申し訳なさそうにブリジットの目を覗き込む。
「……もしかして、ロイスデン家の息子だからって、私たちに遠慮したの?」
ブリジットは後ろめたくなった。
だからと言って本当のところを白状することもできない。
「あ、え~っとそういうことにしておこうかしら」
ヘルファンド公爵夫人は苦悶の表情を浮かべた。
「それはつらい思いをさせちゃったわね。悪かったわ、ブリジット。こんな誤解を与えてしまった……。あなたが望むなら、私はロイスデン家の息子でも、認めましたのに」
「は!?」
母親の思いがけない言葉に、ブリジットはつい大声を出してしまった。
『ロイスデン家の息子でも、認めましたのに』ですって!? ちょっと、それって、つまり!!!
ヘルファンド公爵夫人は憚りながら小声で続ける。
「もしかして、もしかしてですけどね、この噂がスローアン様の耳に入って……。そして、スローアン様からもしもの提案があった場合は、ね。違約金をいくら払ってでも、あなたの気持ちを最優先させようと思いますよ。ヴィクター様を選ぶのであれば、反対は致しません」
「!!!」
ちょっと待ったああああ~!!!
ブリジットは目を剥いた。
スローアン様との婚約破棄の暁には、ヴィクター様の方も断ってくれなきゃ困るんですけど~!!!
思ってたんと違う!!!
だが、これはブリジットがアホだとしか言いようがない。
とにかく、娘を片づけたいヘルファンド公爵夫人は、政敵などよりも、娘を片づける方が優先!
そのためにはロイスデン家だろうと手を打つ覚悟!
それを見誤ったブリジットが悪い。
「ええええ~? じゃあ、スローアン様と婚約破棄できても、次はヴィクター様と婚約することになるだけ!? 私の引きこもりハッピーライフは?」
ブリジットは泣き声で宙を仰いだ。
「ブリジット? 何か言いました?」
「あ! い、いいえ……、お母さま……」
ブリジットは青い顔をして下を向いた。
ヘルファンド公爵夫人は盛大にため息をついた。
「はあ~。こんなときにお父様は出かけてしまうし……」
「え? お父様出かけたの? ど、どこに!? まさか、ジェラード家? ロイスデン家?」
ブリジットはギクッとした。
ヘルファンド公爵夫人はブリジットの焦りには気付かず、ちらっと眼を上げると、
「知りませんよ。でもたいそう険しい顔をなさっていたわ」
ともう一度ため息をついた。
ブリジットは一人震撼した。
「あのお父様が『険しい顔』? げえええええ~。絶対怒られるパターンじゃないの……」
ヘルファンド公爵夫人は少しブリジットに同情の目を向けた。
「まあでも、お父様のことですからね、ブリジットに悪いことはしませんでしょう」
ブリジットはその言葉を力強く否定した。
「い・い・え! スローアン様との婚約を止めてくださらなかったので、お父様も敵です!」
ブリジットは婚約そのものを言っているのだが、ヘルファンド公爵夫人は『スローアン様との』というところに引っかかっているのだと誤解した。
ヘルファンド公爵夫人はまたしょんぼりして、
「だから、それは悪かったと言っているでしょう……」
と謝った。
そのとき、侍女のティナが顔面蒼白で駆け込んできた。
「奥様!!!大変ですわ!!! スローアン様がお見えです」
ブリジットとヘルファンド公爵夫人はぎくっとなり、椅子から飛び上がるかと思った。
お読みいただきありがとうございます!!!
とても嬉しいです!!!
話上仕方がありませんが、この回は少し動きが少なかったですね(汗)
次回、婚約者と直接顔を合わすこととなった主人公……。
そして、もう一人別の引きこもり令嬢(!)が出てきて、お話が少し動きます(笑)





