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3.浮気(仮)になった模様……

1.

 レベッカの父、ブラッドフォード公爵の書斎を退出したヴィクター・ロイスデン侯爵令息は、大きなため息をついた。

 ブラッドフォード公爵に、先日の謎の美女とのスキャンダルについて、面と向かってしかられたからである。


「君がそんなんでは、うちの次女はやれないよ」

とブラッドフォード公爵はうらみがましく言った。


 先日の美しい女性のことで胸がいっぱいのヴィクターは、ブラッドフォード公爵の次女などもはやどうでもよかった。

 もともと政略結婚で浮上した話である。


 ヴィクターは

「お騒がせしまして申し訳ありません」

とだけ言ったが、本音はもうブラッドフォード公爵のことを面倒くさく思っていた。


 女と出世とどっちが大事かとは幼すぎる質問だが、出世の迷宮の中でふと立ち止まる機会をくれるのが女性だとも思う。


 派閥ってのも面倒くさいなあ、早く失礼したいと、ヴィクターは急ぎ廊下を歩く。

 口元にはため息とともに、ついつい本音が上ってしまう。

「あ~。あの女性にもう一度会いたいなあ……。」


 ヴィクターが思わずそう口にした時だった。


 廊下で立ち話をする令嬢たちのしとやかな笑い声が聞こえてきた。

 お茶会が終わって、さよならの挨拶でもしているのだろうか。


 ブラッドフォード公爵の説教で散々うんざりしていたヴィクターは、いずみ乙女おとめを眺めるような気持ちでふっとそちらに目を向けた。


 そして、ハッと目を見開いた。


 あの人はっ!?


 ヴィクターは、夢にまで見たブリジット・ヘルファンド嬢(ヴィクターはまだ名前を知らないが)を見つけたのだった。


 ヴィクターの足は勝手にそちらへ向いた。

「お、お会いしたかった……!」

 ヴィクターの感嘆の声。


 さて、「立ち話が長すぎよ」と早く帰りたくてうずうずしていたブリジットだったが、急に男性から声をかけられたような気がして振り向いた。


 そうしたら、そこにヴィクター・ロイスデンがいたので、ぎょっとした。

 えっ! ヤバっ! なんでここにいるのよ!


 しかもヴィクターはブリジットをじっと見つめている。

 ブリジットはたら~っと背中に汗が流れるのを感じた。

 見ず知らずの女に公衆の面前で恥かかされたんだもの、誤解を解くか、文句の一つでも言ってやりたいところよね。

 うちの両親が「メシウマ~」とまで喜んでいたくらいだもの。結構なスキャンダルになって迷惑をこうむっているに違いない。


 ブリジットはとりあえず顔をそむけて気付かない振りをした。


 すると、令嬢の一人が声を上げた。

 レベッカ・ブラッドフォード嬢の妹、ソフィア・ブラッドフォード嬢である。先ほどブラッドフォード公爵がヴィクターにやろうと言っていた、ブラッドフォード家の次女だ。

「まあっ! ヴィクター様! こんなところでお会いできて嬉しいですわ!」


 ソフィアの方も父親からヴィクターのことは既に聞かされていたので、ヴィクターとの婚約も秒読み・今日だって自分に会いに来てくれたものとすっかり勘違いをして、()()れしくヴィクターに話しかけた。


 しかしヴィクターはブリジットしか見えていなかった。

「ようやく会えましたね」


 ソフィアは婚約秒読みのはずのヴィクターに無視されたので唖然あぜんとした。

「えっ!? ヴィクター様? えっと……ブリジット様に何か御用だったの……?」


 それでもヴィクターはソフィアの方を見もしない。

「そうか、あなたはブリジットというのか……」


 かたくなに下を向いていたブリジットだったが、名指しされてはさすがに返事をしないわけにはいかない。びくびくしながらそ~っと顔を上げた。

「あ、あの~……。あの日はすみません、ひ、人違い……だったんですぅ……」

 ブリジットは額から汗をだらだら流しながら、弁明した。

 めっちゃ面と向かって名前を呼んでおきながら、人違いもクソもあったものではないが。


 すると、ヴィクターはブリジットが言葉を返してくれたので、嬉しそうな顔をした。それから、

「人違い……ええ、そうでしょうね。あなたほどの美女に言い寄られていたら、私が忘れるわけがありません。人違いでよかったです」

と妙にすっきりした笑顔になった。


 ブリジットは、人違いで変な噂を立てられたことを怒りもしないヴィクターを少々気味が悪く思いながら、

「いや~人違いだったのに、(スキャンダル)でご迷惑かけちゃってたらすみません……。先日のことは、相手の女が謝罪したとか頭がおかしかったとか、適当に釈明して下さってけっこうですから。では私は、先を急ぎますので……」

と口先で謝りつつ後ずさりした。

 ブリジットはとにかく逃げることだけを考えていた。

 

「いえ、待ってください!」

 ヴィクターは慌ててブリジットの手をつかんだ。

「まだお話は終わっていません!」


「ええ~っ! 手!?」

 ブリジットは、勘弁してくれ~とぎゅっと目をつむった。


 レベッカ嬢やソフィア嬢をはじめ、令嬢たちはみんな目を丸くしてブリジットとヴィクターを見ていた。


「ブリジットとヴィクター様ってどんな関係なの?」

「あんな様子のヴィクター様、初めて見るわ」

「なになに、お二人の間に何があったの!?」

 令嬢たちはこそこそと耳打ちし合っていた。


 ソフィアは「自分の婚約者候補と一体何が」と厳しい目つきでブリジットをにらんでいた。


 ヴィクターはそんな令嬢たちなど目に入らないように、熱っぽくブリジットににじり寄る。

「あの日からずっとあなたばっかり考えているのですよ。どれだけ探したことか……。ねえ、聞いていますか?」


「すみません。聞いてません~」

 ブリジットは泣きたい気持ちでわざと耳を塞いだ。

 ブリジットの方はヴィクターの気持ちなどまるで分かっていないので、あの日のことを(なじ)られていると思っているのだ。

『どれだけ探したことか』って、すごくうらまれてる気がする! もしかして、噂のせいで家族に怒られたとか? 周囲にいじられたとか? 出世がなくなったとか?

(もちろん本来(なじ)られるようなことをしたのはブリジットの方なので自業自得じごうじとくだが。)


 ヴィクターは体中に力を入れて半べそになっているブリジットを見て、ため息をついた。

「聞いてない、だなんて」

 ヴィクターはブリジットの顔に長い指を掛けると、ずいっと自分の方に向けさせた。

「ちゃんと聞いてくださいよ。あなたはすっかり私の心を(とりこ)にしてしまった……」


「は!? (とりこ)!? え~っと、文句じゃなくて?」

 ブリジットはヴィクターの手を払いのけたが、頭の方はヴィクターが何を言っているのか意味が分からず、混乱した。

 今、私を(なじ)っていたはずでは!?


 その時、ソフィア嬢が金切り声を上げた。

「ヴィクター様! ブリジット様を口説いても無駄よ! その方は、スローアン・ジェラード様ともう婚約されていますわ!」


 ヴィクターは固まった。


 その唇は驚きで震えた。

「え? ジェラード……。ということは、あなたはブリジット・ヘルファンド嬢?」


 さすが、政敵せいてきの娘の情報、しっかりヴィクターの頭に叩き込まれていたらしい。


 ヴィクターの顔から一気に色がなくなった。

 目が見開かれていく。


 そしてどんどん苦悶くもんに満ちた表情になった。


 まあ分からんでもない。

 心を奪われた女性は、政敵せいてきの娘。しかも婚約者がいる……。


 目の前のブリジットはというと、もう開き直った顔をして、

「てへっ、すみませ~ん」

なんて言っている。


「何ということだ、あなたは政敵の娘? 婚約者? 私のこの気持ちは、どうしたら……」

 ヴィクターはだいぶ混乱しているようだった。


 レベッカ嬢や他の令嬢たちも息をんだ。

「ええっ! お二人ってそういう関係だったの?」

「いや、どうやら、ヴィクター様だけのようですわよ」

「じゃあ、あのブリジット様のうしろめたそうな顔は何!?」


 ブリジットはふっと目を閉じた。

 諦観(ていかん)の笑みを浮かべる。

 何、この修羅場しゅらば


 ん?


 んん? 『修羅場しゅらば』?


 『修羅場しゅらば』って私が望んでたものよね、確か!!!


 やだっ! 私ったら! 婚約破棄のこと、すっかり忘れてたわ!!!


 ブリジットはカッと目を見開いた。


 ぴこーん。

 修羅場しゅらば → 私の評判が落ちる → 婚約破棄!


 急にブリジットは俄然がぜんやる気が出たのだった。


 とすると、ブリジットがやるべきことは、悪役令嬢!!!

 ヴィクターはなんだか一瞬私のことが好きっぽいこと言っていたわね。ちょうどいいじゃない、それも利用させていただくわ!

 もともとの計画だって、ヴィクターと浮気(仮)する気だったんじゃないの! このまま恋仲の噂になっちゃえばいいのよ!


 待ってて! 私の引きこもりパラダイス~!


 心の中の勝利宣言とは裏腹うらはらに、ブリジットは急に落ち着いた態度になった。

「ヴィクター様。嬉しいわ。私もお会いしたかったの……」


 情報が一気に入ってきて思考が停止していたヴィクターだったが、ブリジットの言葉に目が覚めた。

「えっ! ブリジット様、今、何と!? 会えて嬉しいと言ってくださるのですか!?」


 そのときすかさずソフィアが口を挟んだ。

「ちょっとちょっと、ヴィクター様! ブリジット様は婚約者(スローアン)様をたいそう愛しておいでなんですから、誤解しちゃダメですわ!!! ブリジット様は素晴らしい方よ! ブリジット様が婚約者以外の方(ヴィクター様)を相手になさるはずがありませんでしょう!」


 ソフィアの後ろで、レベッカや他の令嬢たちもうんうんと大きくうなずいている。そりゃそうだ。婚約したばかりだというのにまさかブリジットが浮気(仮)するとは思うまい。


「あ、そうか、令嬢軍団も敵になるのね……」

 ブリジットは早くも気持ちがえかけてしまった。


 でも、ダメダメ。

 婚約破棄のためには、こんなところでくじけてはいけないわ!


 で、え~っと、私は、これ、どういう立ち位置でいったらいいんだ?

 スローアン様との婚約破棄が目的なんだから、スローアン様を愛しているっていう設定はとりあえず否定して……。


 ブリジットが頭の中を整理している最中で、ヴィクターが令嬢たちに勝ち誇った顔で言った。

「婚約者なんて関係ない! 彼女は今はっきり私に会えて嬉しいと言った!」


駄目(ダメ)ですわ!」

 今度はレベッカ嬢が叫んだ。

「ブリジット様はあなたなんかには渡しません。本当に気高(けだか)い素敵な方よ。スローアン様のことだけを見ているの。ブリジット様には真実の愛を貫いてもらいたいわ」


 しかしヴィクターは首を振った。

「そんなの嘘だ! そうでしょう、ブリジット様? 私の愛の方が真実だ。あの日だって、本当は婚約がイヤで、それで私に真実の気持ちを告白をしてくれたんでしょう?」


 ええ!? いや、違う……。

 あれ? 方向性は合ってる!? いや、真実の気持ちってとこは違うけど……。


 ブリジットは混乱した。

 状況がカオスすぎてもうブリジットには何が正解が分からない。


 だが、とりあえず、そうだ、『婚約を破棄してもらいたい』が絶対目的なんだから、ここはヴィクター様の愛を受け入れて……。うん、それが正解のはず!


 ブリジットはまっすぐにヴィクターの目を見た。

 他の令嬢たちにも聞こえるように大きな声で言う。

「はい。そうですわ、ヴィクター様! 私もあなたのことをお慕いしておりますの!」


「おおっ! ブリジット様!」

 ヴィクターは感激のあまり、ブリジットの手をぎゅっと握った。


 そのままの勢いでキスしようとするヴィクターを、さすがにブリジットは押し退()けた。

「あの、それはおやめくださいませ」

 ……好きとか、嘘なんで。


「ははは。ああ、すみません! 急ぎすぎましたね」

 ヴィクターは有頂天うちょうてんになっている。


 ソフィア嬢や他の令嬢たちはぎゃーっとわめいた。

「わ、私のヴィクター様がっ!」

「何ですって、ブリジット様! スローアン様をふって、ヴィクター様に乗換(のりかえ)なの!?」

「これは社交界一の大スキャンダルですわよ!」


 ブリジットはちょっとやりすぎたかな~?と冷や汗をかいた。

『社交界一のスキャンダル』はちょっと勘弁……。

 でも、いっか。

 これでお父様とお母さまにの耳にも噂が入るはず!


 私は晴れて浮気(仮)をしたことになって、次にスローアン様に会うときは『婚約破棄』でお互い晴れ晴れとした顔をしているはずよねえ~。


 ……実際、この噂はすぐにスローアンの耳に入ることとなる。

 まさかスローアンがこの噂をつらい気持ちで聞くことになるとは、ブリジットは思ってもみなかったのだが……。



 さて、そんなブリジットの様子をレベッカ嬢は茫然(ぼうぜん)として(なが)めていた。

 あれ? ブリジット様はスローアン様が好きなのではなかったの?


 あ!!! 

 それで先ほどの、『(スローアン様に)私には不釣り合い』発言がでてきたのね。

 そう……そしてついに、ブリジット様はご自身の気持ちに素直に……。


 レベッカ嬢の目に涙が浮かんできた。

 婚約という縛りに(くっ)しないブリジット様! 強いわ!

 私も見習いたい……。

 私も、あんな浮気性な王太子様との婚約、やめたいのよ……。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

読んでいただけて嬉しいです!!!


次回、立場上黙っていられない人(婚約者)が出てきます~

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