2.王太子の婚約者に嫌がらせとかしてみます!
1.
スローアン・ジェラード公爵令息との婚約を破棄してもらうため、浮気騒動を起こそうとして見事失敗したブリジットだったが、早くも次の妙案を思いついていた。
悪役令嬢になればいいんじゃないかしら?
王太子とかの婚約者に嫌がらせして、断罪されればいいのよ。
そうすれば、そんな不名誉な婚約者はお役御免で婚約破棄、なんなら自宅謹慎まで命令してもらえちゃう?
華の引きこもりライフが堂々とできるじゃないの!
ブリジットは希望が出てきてウキウキし出した。
相変わらず、ブリジットの神経回路は超適当なのである。
「ウィニー? どこなの」
ブリジットは侍女のウィニーを呼んだ。
ウィニーがちょこちょこちょこっと駆けてくると、ブリジットは満面の笑顔で聞いた。
「王太子様の婚約者って誰?」
先日の一件で片棒を担がされていたウィニーはちょっと顔を顰めた。
またブリジット様は碌でもないことを企んでいるに違いない。
ウィニーは口を尖らせた。
「なんでそんなことを聞くんです。っていうか、仮にもこの国の貴族ですのに、そんなこともご存じないんですか?」
「世の中、知らなくていいこともいっぱいあるのよ」
ブリジットはふふんっと胸を張った。
「いや、威張る事じゃありません……」
「で、誰なの?」
「レベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢ですよ。何か企んでいらっしゃいます?」
ウィニーは探るような目つきで聞いた。
と、そこへ、別の侍女、ティナが息せき切って入って来た。
「ブリジット様! お客様ですわ」
「お客?」
ブリジットが変な顔をしたのに、ティナは堪えきれないように笑顔になった。
「はい。スローアン・ジェラード様です!」
ティナの顔は、イケメンが見れてラッキー、といったところ。
ブリジットの方は思わず固まった。
スローアン様? 一体何しに!?
「あらあら」
ウィニーは可笑しくなった。
「ブリジット様の悪だくみ、勘付かれているかもしれませんよ」
ブリジットは思わずドキっとしたが、ティナはそれには気づかず、催促するように
「とにかく、スローアン様は奥様のお茶の席に同席なさっています。ブリジット様も早く来るようにってことですから」
とブリジットの腕を取った。
ウィニーは悪戯っぽい目で聞く。
「婚約者様ですよ、どうします? 着替えます? お化粧直します?」
ブリジットはムカッとして、ぶんぶんと手を振って拒否した。
スローアン様には愛想をつかしてもらわなくちゃいけないのに、オシャレなんかするわけないじゃない。
2.
さて、スローアン・ジェラード公爵令息は心を悩ませていた。
婚約者のブリジットがヴィクター・ロイスデン侯爵令息と恋仲だというのだから。
もちろん、ブリジットとの婚約は政略的なもので、決して愛があったわけでない。
自分だって、婚約する前、何もなかったわけじゃない。
だが、ショックだった。
……妻になるべき女性は、他の男の前で華のように美しかった。
スローアンはずっともやもやしていた。
だから、スローアンの従弟で護衛のロジャー・エヴァ―バーグは、スローアンのそわそわした雰囲気を見かねて、
「スローアン。そんなに気になるなら直接ブリジット様と話して来いよ」
と提案したのだった。
もっともロジャーからしてみたら、スローアンのもやもやなど吹いたら消し飛ぶほどのものだった。
だって、あの、ブリジット嬢だぜ!? 確かに着飾ってたから見違えはしたけど、なんか微妙に演技かかってたし、あのヴィクター・ロイスデンの顔……恋仲ってもんじゃなかったぞ。
しかし、それに気付かないスローアンは、ロジャーの提案になるほどと思い、仕事の合間を縫ってお茶でも一緒にとブリジットを訪ねることにしたのだった。
急な訪問は失礼かもしれないと思っていたが、ヘルファンド公爵夫人は大歓迎でスローアンを出迎えた。
娘を何としてでも嫁に出したいヘルファンド公爵夫人は、とにかくこの婚約者をしっかり捕まえておかねばと鼻息を荒くしていた。
大急ぎで見晴らしの良いテラスにお茶の席を用意させたヘルファンド公爵夫人は、
「まあまあ、仕事の合間にお茶に来てくださるなんて」
と自らスローアンの上着を取って椅子を勧め、猫なで声でスローアンをもてなした。
「すぐに娘も来ますから」
しばらくしてブリジットが現れた。
普段着ドレスで、髪もゆったり結い、ほとんどすっぴんだった。
そのブリジットはむすっとした表情で
「何か御用?」
と吐き捨てた。
ヘルファンド公爵夫人は思いっきりブリジットの足を踏んづけた。
「痛っ」
ブリジットが顔を歪める。
スローアンはポカンとしてブリジットを眺めた。
これが本当に先日の王宮の美女と同一人物なのだろうか?
ヘルファンド公爵夫人はブリジットの耳を引っ張った。
「着替えて髪も結っていらっしゃい! す・ぐ・に!」
ヘルファンド公爵夫人は鬼の形相で自身の侍女に命令して、ブリジットを引き摺っていかせた。
ブリジット付きの侍女だと、ついブリジットを甘やかしがちなので……。
かくして、来客用のドレスを着せられ、色味のある化粧品で顔を塗りたくられたブリジットは、ヘルファンド公爵夫人の侍女に引っ張られるようにしてお茶の席に戻って来た。
たいへん納得のいかない顔をしている。
しかしヘルファンド公爵夫人は、ブリジットの変身に満足げな顔をしていた。
そう。私の娘なのだから、元の素材はいいはずなのよ。こんな娘でも着飾ればなかなかなんだから!
そしてヘルファンド公爵夫人がスローアンの反応を見ようとチラリと目を遣ると、スローアンの方は目を見開いてブリジットを眺めていた。
しかしその顔は、喜びとは取れない微妙な表情だった。
美しい。
だが。ああ、やはり。
あの王宮の女性はブリジットだ……。
ということは……ヴィクター殿とのことも見間違いではなかったのか……。
ヘルファンド公爵夫人はオロオロした。
「あの、何か……失礼でも?」
「あ、いえ、何でもございません。ブリジット様が美しかったもので驚きました」
スローアンは取り繕って言った。
ブリジットは「ふん、歯の浮くようなお世辞ですこと!」と心の中で唾を吐いた。
その表情に、またもスローアンは顔を曇らせた。
私といてもこの表情……。
ヴィクター殿でないと駄目なのか?
ブリジット様はヴィクター殿のことが……。
とそこへ、侍女のティナがやってきて
「奥様、お使いの者がみえまして、あの……」
とヘルファンド公爵夫人に何か耳打ちした。
「まあ!」
ヘルファンド公爵夫人が大声を出した。
「どうかしましたか?」
スローアンは少し驚いて尋ねた。
すると、ヘルファンド公爵夫人はみるみる勝ち誇った顔になった。
「ほほほ、スローアン様! 今度、レベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢が、うちのブリジットをお茶会に招待してくださんですって」
「お茶会ですって!?」
ブリジットは思わず持っていたカップを落としそうになった。
社交界から忘れ去られたブリジットは、近頃ではめったに招待もされなくなっていた。
だから安心していたのに!
だが ヘルファンド公爵夫人は嬉しそうだ。
「スローアン様が婚約してくださったでしょう? ですから未来のジェラード公爵夫人として社交界からお呼びがかかったんですわね。まあ、こういう派閥づくりは早い者勝ちですもの」
ブリジットはげっそりした。
「あ、そういうの、いらないです……」
しかしスローアンの方はニコニコしている。
「それは光栄なお誘いですね。今のブリジット様を見たら、みんな目を丸くしますよ。こんな美しい人がどこに隠れていたのかと。社交界の噂になるでしょう」
「やっぱり、そう思う?」
ヘルファンド公爵夫人はまんざらでもない顔で聞き返した。
その時ブリジットはハッと気づいた。
「あ、お母さま。今、レベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢って言いました?」
「ええ、そうよ。王太子の婚約者様。さすがのあなたも名前くらいは知っているでしょうね?」
ヘルファンド公爵夫人は試すような目をブリジットに向ける。
ブリジットは悪役令嬢よろしく、ニヤリとした。
「ええ。存じておりますわ」
つい今日知ったとは言わない。
王太子の婚約者のレベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢。
ええ! 参加して差し上げるわ。
だって、嫌がらせをして断罪されるなら、いい相手じゃないの。
3.
数日後、レベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢から正式にお茶会の招待状が届いた。
ヘルファンド公爵夫人は、ブリジットに何の相談もせずに出席の回答をした。
まあ、これに関しては、ブリジットも異論はなかったが。
当日、ヘルファンド公爵夫人の張り切りようと言ったらなかった。
上から下まで母親の命令通りに仕度させられたけれど、ブリジットは今日は文句を言わない。
今日の目的は王太子の婚約者に喧嘩を売ることだもの。
泣かせば、不敬罪決定でしょ!
ブラッドフォード公爵宅につくと、ブリジットはさっそく美しい広間に通された。
たくさんの花が飾られ、腕の良い演奏家が心地よい音楽を奏でていた。
そこには招待された6~7人の令嬢がもう集まっていた。
レベッカ嬢がブリジットに気付き、すっと立ち上る。
丁寧に挨拶を交わしたあと、レベッカはブリジットに他の招待客を順々に紹介した。
その間、ブリジットは悪役令嬢ってどんな感じかしらと思いながら、薄笑いを口元に浮かべ、ツンと澄まして挨拶した。
他の招待客は少し嫌そうな顔をしていた。
レベッカはブリジットに椅子を勧めると、まずはこの話題とばかりに、
「このたびはスローアン・ジェラード様とのご婚約、おめでとうございます」
と柔らかく祝福した。
途端に、他の招待客はさらに険しい顔になった。
みんなの憧れのスローアン様と婚約したんだ、この女性は!
しかし、この話題になるとブリジットは急にもじもじし出した。
「え、うん……と」
婚約破棄する気満々なので、次期ジェラード公爵夫人(仮)扱いされては困るのだ。
招待客たちは、そのブリジットの様子を見て「あれ?」と思った。
もっと鼻に掛けるかと思ったのに。
「驚きましたわ。あのスローアン様が婚約というので」
レベッカ嬢が他の招待客の気持ちを汲んで、悪戯っぽく微笑んだ。
「あー。私の母が無理やり勝手に……」
「え? ブリジット様は望んでらっしゃらなかったの?」
「とんでもないっ! 私には不釣り合いですので!」
ブリジットが大真面目に言うので、招待客たちは思わず吹き出した。
あれ、なんか、場が和んでしまった?
ブリジットは焦った。
そこでブリジットはわざと意地悪を口にした。
「レベッカ様は王太子様と婚約されてますのよね。それは政略的ですの?」
「まあっ」
招待客たちはあまりの失礼な言葉に扇で口元を覆った。
ブリジットはレベッカが怒ると思っていた。そのつもりで言ったのだし。
しかし、レベッカは「ふふ」と笑って「そうよ」と答えた。
それからレベッカは自嘲ぎみに呟いた。
「王族の縁談ですもの……」
……うわぁ。王族と婚約? 嫌すぎ。
あまりに共感するところが多すぎて、思わずブリジットは
「おかわいそうに……」
と口にしてしまった。
他の招待客は目を剥いた。
「まあっ! おかわいそうにって何ですの!? 王族との縁談ですわよ、すごいことよ、失礼でしょう!」
ブリジットは他の招待客の反応にぎょっとした。真顔で聞いてしまう。
「え……、みなさん、本気でそう思っていらっしゃるの? 私は死ぬほど嫌だけど」
レベッカは露骨に顔を顰めたブリジットの顔に驚いたが、慌てて笑顔を作り、
「ブリジット様、冗談ですわよね!」
とわざと明るく言った。
しかし、その後は少ししんみりとした調子になって、
「あなたはとても素直な方なのね」
と呟いた。
ブリジットはここへきてようやくハッとした。
あれ、私ったら、思わず本音でトークしてしまってる!
んん? でも失礼なことを言いたかったはずだから、王家との縁談をディスるなんて内容的には正解な気がする。
うん、よし、これで不敬罪で断罪してもらえるかしら!
しかし、レベッカ嬢は意外な反応をした。
レベッカ嬢の方はというと、眩しそうにブリジットを見て、
「あなたは素敵ね。厭味がないわ。スローアン殿と誰もがうらやむ婚約をしたのに少しも鼻に掛けないし、王家との縁戚みたいな権力欲にも無縁のようだわ。私に取り入ろうって感じもしないし」
と言うのである。
「はいい? いや私、たった今失礼なこと言ったばっかりですけど!」
ブリジットが精いっぱい自分を悪く言ったのに、レベッカは急に眼を潤ませた。
「失礼なんかじゃないわ。あなたの言う通りよ。婚約、実は死ぬほど嫌」
ブリジットはぎょっとした。
「ちょっとレベッカ様。泣いていらっしゃるの」
その時、さっきまでは散々王家との縁談はすごいことと息巻いていたはずの招待客の一人が、急に手に平を返したように気の毒そうな顔をして、そっとブリジットに耳打ちした。
「王太子って浮気性なんですよ」
「はいいい!?」
「レベッカ様がありながら、あちこちの令嬢に声をかけまくってるの」
ブリジットは絶句した。
そして、だからレベッカ嬢がブリジットをお茶に誘ったのかと納得した。
なるほど、婚約者である王太子の態度がつれないので、ご自身の立場に不安を感じていらっしゃるに違いない。それで、一人でも味方を増やして自分の立場を固めようと、まだ誰の陣営にも入っていない私を取り込もうとしたのね。
レベッカは涙目のままブリジットを見上げた。
「あなたの婚約の噂を聞いたときだってそうよ。王太子様ったら『あのスローアンの婚約者だって? 美人に違いない。見てみたい』ですって」
「なんですって!? 超危険人物じゃないの!」
ブリジットは鳥肌が立って飛び上がった。
招待客たちはブリジットの反応にほっとしたような態度になった。
「スローアン様一筋のようで安心しましたわ。ブリジット様は王太子様には靡かないんですのね!」
「ええ!? スローアン様一筋!?」
ブリジットは気味悪いものを見る目になる。
「だって、王太子様に興味を持ってもらえているのに、そんなに露骨に嫌な顔をするなんて、スローアン様だけと心に決めていらっしゃる証拠だわ!」
どう証拠になるかさっぱり分からないブリジットだったが、
「王太子様の『見てみたい』なんてまっぴらご免です、私に一切関心を持ってもらいたくありません」
と憮然として答えた。
引きこもりライフを邪魔されるリスクには敏感ですから!! 誰の目にも留まりたくないのよ、本当は!
王太子の言葉に対する反応で、レベッカはブリジットを信頼してもよいと判断したようだ。
「ねえ、私とお友達になってくれないかしら。あなたなら心を許せる気がするわ」
「え、嫌……」
外出を嫌うブリジットは、今後の友達付き合いとやらを想像して思わず拒否しかけたが、レベッカが可憐な顔を涙で濡らしているのを見て、ちょっと同情した。
「あ、う~ん、まあ?」
レベッカは微笑んだ。
ブリジットは頭を掻いた。
あ、いや。う~ん。レベッカ様を泣かすのには成功したけど、これは不敬罪にはならないだろうなあ。それどころか『友達』? なんだか気に入られた感じがする……。
とにかく、失敗だわ。
ああ、眩暈がする。
もう、早く帰りたい……。
そんなことを思い、味のしない紅茶を飲んでいたブリジットだったが、なんとこの後もう一波乱が待っていた。
このブラッドフォード公爵宅で、ヴィクター・ロイスデン侯爵令息と再会してしまうのである。
お読みくださいましてありがとうございます!
ブリジットの『超テキトー・悪役令嬢プロジェクト』、次回は成功するかも!?です。





