1.婚約がイヤなので浮気(仮)してみます!
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1.
両親に一番豪華な客間に呼び出されたブリジット・ヘルファンド公爵令嬢は、目の前の麗しの貴公子を陰鬱な気持ちで眺めていた。
「こら、ブリジット! ちゃんと挨拶なさいませ」
ヘルファンド公爵夫人がキツい声で叱る。
「あ、はい。ブリジットです……」
ブリジットは超やる気のない声で挨拶した。
若き貴公子、スローアン・ジェラード公爵令息はにっこりと微笑みながら挨拶を返した。
「ブリジット様。お目にかかれて光栄です。今後ともよろしくお願いしますね」
いやいやいや。
ブリジットは胡散臭そうな目を向ける。
私の超関わりたくないオーラを無視してフレンドリーに微笑みかけるとか、このヒト頭狂ってるでしょ。
今日はスローアン・ジェラード公爵令息がブリジットとの婚約の挨拶にやってきたのだった。
彼はイケメンで柔らかな物腰。笑顔も素敵で仕事もできるから、社交界の人気の的だった。
そんなイケメンが今日から自分の婚約者……。
普通の令嬢なら飛び上がって喜ぶところかもしれないけど。
ブリジットは大きくため息をついた。
「いや、あり得ない。絶対に、あり得ない」
何があり得ないかって?
この毎日の引きこもりぐうたら生活を手放すのがあり得ない!
(いや、実は別の理由もなくはないけど……。でもどう考えても、一番の理由は家でゴロゴロしときたい!!!)
この国の令嬢たちは、年頃になると、競うように王宮に出仕するのが常だった。
出仕と言っても、ほとんどが王族の貴婦人たちのサロンに出入りし、多少の御用聞きをするくらいだが。
とにかく、美しいドレスをまとって流行最先端の化粧をし、他の貴婦人たちと交わるのが普通の令嬢の楽しみであった。
しかしブリジットは、もう15歳になるのに一向に王宮に足を向けようとはしなかった。
「屋敷にいる方がよっぽどいいわ。なぜわざわざ王宮に出仕するの」
ブリジットの母であるヘルファンド公爵夫人は、変わり者の娘にずっと頭を悩ませていた。
昔は他の令嬢のように振舞ってほしかったが、もうそれは諦めた……だがせめて、舞踏会くらい普通に行ってほしい!
だからヘルファンド公爵夫人はブリジットを社交界に出すためあれこれ策を練ってきた。しかし、それはことごとく失敗し、今に至る……。
だが、ついにヘルファンド公爵夫人はキレた。
「も~う、我慢なりません! 婚約の一つでもして、意識を変えてもらいます!」
「お母さま! 絶対嫌!」
ブリジットは金切り声を上げたが、ヒステリックなヘルファンド公爵夫人の耳には入らない。
そしてへルファンド公爵夫人は、自身が国王の従姉であるという身分を最大限に利用し、ついに婚約者候補を見つけてきた。
それが、ジェラード公爵家のスローアンだったのだ。
(何より、スローアンの母ジェラード公爵夫人は、ヘルファンド公爵夫人の幼馴染だった。)
実は、ブリジットの婚約者選びに当たり、ヘルファンド公爵夫人は相手が多少の傷物でもいいやと思っていた。ブリジットの方がよほどの変わり者だからだ。
だが、いざ婚約を了承してくれたスローアンは社交界一の憧れ物件だったので、ヘルファンド公爵夫人はたいそう鼻が高い思いがした。
特に、ヘルファンド公爵夫人の立場を利用した婚約だという自覚があったので、むしろ自分の立場に「いいね」を押してもらったように、承認欲求が満たされた気持ちになったのだった。
夫のヘルファンド公爵は、ブリジットの婚約の話を聞き一瞬不安そうな目をしたが、スローアンの人柄の良さはよく聞き及んでいたので、ため息をついて了承した。
スローアンでダメなら他の誰でもダメだろう……という消去法だったのだが。
かくして、ブリジットの意見など微塵も挟める余地はなく、この婚約は決まってしまったのだった。
だが、ブリジットは不満たらたらである。
婚約ですら嫌なのに、なぜよりによって、社交界一の物件とか連れてくるかなあ!?
家でゴロゴロできないじゃないっ!
だからブリジットは母に猛烈に抗議した。
だが、この件に関してはヘルファンド公爵夫人の方がよっぽど腹に据えかねたモノがあった。
「あんたはいつまで屋敷でゴロゴロ、ゴロゴロと……。あんたの幼馴染のマリアンヌ嬢をご覧なさい。あの光り輝くような美しさ! 王妃様のサロンの華よ。それに比べてあなたは……」
くどくど、くどくどと永遠愚痴を言われ、ブリジットは降参して逃げ出したのだった。
そうして現実逃避しながら今日を迎えてしまった。
目の前でイケメンが微笑んでいる。
ブリジットはこの期に及んでまだ、婚約をなんとか解消できないものかと頭をフル回転させていた。
そして、ブリジットに一つの考えが浮かんだ。
もしかして、このスローアン様も、母上の犠牲者なのかも。
そうよ、そうに違いないわ。
母上は身分ばっかりは高いもの、スローアン様を脅したに違いないわ!
それでブリジットは、そっとスローアンに近づくと、
「あなたも今、この婚約を残念がってたりする?」
と尋ねた。
「は!?」
ブリジットの突拍子もない質問に、一瞬スローアンはたじろいだ。
しかし、また笑顔を張り付けると、
「いいえ。ヘルファンド公爵家と縁戚になれて光栄ですよ」
と返した。
ブリジットはその答えに満足した!
『ヘルファンド公爵家と縁戚なれて光栄』。
つまり、『ブリジットなんて、どーでもいー』。
「こらブリジット! 男性に耳打ちだなんて、はしたないっ」
と、母から引きずり戻されたブリジットだったが、ブリジットは確信を持った。
私もスローアン様もこの婚約は望んでない。
望んでるのはうちのお母さまだけ。
婚約がぶっ潰れたら、私もスローアン様もハッピー。
よし、敵は母のみ。
私の安穏引きこもりライフのためにも、この婚約ぶっ潰してやろうじゃないの!
2.
形ばかりの挨拶を済ませスローアンが帰ると、ブリジットは自室に籠もり思案した。
どうしたら婚約を破棄できるか、である。
なんなら一生婚約とかしなくていいように……。
安易なブリジットは、
「スキャンダルでも起こせばいいんじゃない?」
と思っていた。
私が浮気騒動とか起こせば、さすがにスローアン様もジェラード公爵家の名誉を守るため、私との婚約は破棄するはずだわ。お母さまだって私の浮気が原因じゃ、それ以上スローアン様に無理強いする訳にはいかないわよね。
ブリジットは我ながらこの考えが気に入って、もう少し詳細に計画を練ってみることにした。
しかし、ブリジットがまったく社交界に出ていなかったため、できることが限られているのが問題だった。
浮気って一人じゃできないし。
誰かいる?
なんかちょうどよさそうな人。
う~ん、だめだ、まったく思いつかん。
そこでブリジットは、こっそり母の部屋に忍び込むことにした。
もちろん、公爵家なので簡単に夫人の部屋に忍び込めるほど不用心ではない。
ブリジットは、侍女のウィニーを味方に引き入れた。
ウィニーは分家の娘で、ブリジットが小さい頃から傍に侍っている。
ブリジットはウィニーを信頼していた。
うまいこと手引きしてもらって母の部屋に忍び込むと、はたして、願い通りにブリジットの婚約者候補選びに使った身上書が無造作に机に積み上げられていた。
「だいぶ集めたものだわね……」
ブリジットは母の執念を思って、げんなりした。
一枚一枚ぱらぱらと身上書を眺めてみたが、正直、見たことも聞いたこともない男性ばかりでどれもピンとこない。
いや、母の口から噂を聞いたことはあるのかもしれないが、まるで興味のなかったブリジットには馬耳東風で何の記憶も残っていない。
うん、これは、駄目だ。
こんなことに時間を使っても無駄だわ。
ブリジットはあきらめが良かった。
たいへん合理的な性格なのである。
「ウィニー?」
ブリジットは部屋の外に控えていた侍女を呼んだ。
「はい、ブリジット様?」
ウィニーがぴょこんと顔を出す。
「お父様の政敵って誰?」
ブリジットは噂好きのウィニーならそういう話も知っているだろうと思った。
「旦那様の政敵?」
ウィニーは宙を眺めて考えていたが、やがて
「ああ、ロイスデン侯爵様でしょうか」
と答えた。
「ロイスデン侯爵……」
ブリジットは頷いた。
よし、それにしよっと!
お父様の政敵の家の息子なら、自分との(嘘の)ロマンスの噂が流れても、(婚約破棄の後で)父と母が揉み消してくれるはず!
ブリジットの神経回路は超適当なのである。
3.
さて。次の月曜、ブリジットは行動に出ることにした。
月曜は定例の王妃様主催の舞踏会がある。
もちろんブリジットは舞踏会には出ないが、王宮の入口で待ち伏せしようと思っている。
ロイスデン侯爵の令息ヴィクター・ロイスデンを。
ブリジットは夜会用のドレスに袖を通した。
髪も結い、化粧も施す。
まあ、仮にも公爵令嬢。ブリジットだって一応身支度すればそれなりだ。
そしてブリジットはすでにヴィクターの容貌や素行などは調査済みだった。
ヴィクターは……いかにも普通の貴族の青年だった。
顔はまあまあ、そして侯爵家にふさわしく洗練された物腰、そして適度に女性関係の噂話があった。
これならうまくいきそうだ、とブリジットはほくそ笑んだ。
さて、舞踏会の日の王宮ともなると、凄い人出である。
着飾った紳士淑女たちは、王宮のエントランスに馬車を乗り付け、賑やかに談笑しながら王宮の中へと歩いていく。
その様子を眺めながら、ブリジットは物陰に隠れ、緊張の面持ちで標的を待っていた。
そしてそんなブリジットの元には、怪しまれないよう貴族風の恰好をさせた使用人たちが、
「ロイスデン侯爵令息様はお屋敷を出られました」
「ロイスデン侯爵令息様は馬車を走らせております」
「ロイスデン侯爵令息様はもうそこの角まで参りました」
と入れ替わり立ち代わり、ヴィクターについて報告する。
「来た!」
ブリジットは、使用人から聞いた特徴を持った馬車が王宮の前に乗り付けるのを見つけた。
ヴィクターが降りてくるのを今か今かと待つ。
そうして、ついにその人が降りてきた。
その人は、仕立ての良い衣服に身を包み、ウェービーな金髪をかきあげながら、青い目で王宮をちらっと眺めた。
ブリジットは、ヴィクターが王宮の中へと歩いて行くタイミングで、すっと近づいて行った。
ヴィクターは急に目の前に一人の美しい令嬢が立ちふさがったので驚いた。
「あなたは……?」
ブリジットは悪役令嬢よろしく、口の端に笑みを浮かべて馴れ馴れしく話しかけた。
「ヴィクター様! あの夜は素敵でしたわねえ。でも、あれ以来ご無沙汰じゃないですか」
ヴィクターはポカンとする。
あまりに身に覚えがなさ過ぎて。
「あの、失礼ですが。人違いではないですか?」
「まあ、しらばっくれるの? ひどい人ね、ヴィクター・ロイスデン様!」
ブリジットは良く通る声を張り上げ、目を細めてヴィクターを軽く睨んだ。
周囲の人は、ブリジットの甲高い声に、何事かと振り返った。
「えっと……?」
ヴィクターは完全に混乱した。
自分はこの令嬢を全く知らない!
ブリジットは、わざと大きめの声でヴィクターを詰る。
「私とのことは無かったことになさりたいのね。遊びでしたの? 私はこんなにあなたを想っていますのに!」
周囲がざわついた。
「なんだ、なんだ、痴話喧嘩か?」
「誰だい、あの色男は」
「まあ、ロイスデン侯爵のところのご子息ですわよ?」
そして、周囲の関心を背に、ブリジットは懇親の演技で肩を震わせた。
「どうぞ思い出してくださいまし、私たちが愛し合ったあの夜を……」
途端に周囲の目は厳しくなった。
「まあ、ロイスデンのご子息、悪い人。女性を弄ぶなんて」
「あの可愛らしい女性をご覧なさい、震えていらっしゃるわ」
この状況、ほとんどの客は、ブリジットに同情的だった。
ブリジットはほくそ笑む。
よし、計画通りね。
これで今日の舞踏会は、私とヴィクター・ロイスデン様が『デキてる』って噂でもちきりになるはずよ!
そしてブリジットは、ウィニーに目配せした。
ウィニーは与えられた役割をいまいち理解していなかったが、
『お嬢様。どうぞ落ち着いて。人の目もございますから』
と、何度も練習させられたセリフを棒読みで言うと、ブリジットの腕をそっと取った。
ブリジットは「ああっ」と宙を仰いだフリをして、
「そうね。私としたことが、取り乱してしまったわ……」
と精一杯切ない声を出して、それからくるりと後ろを向いた。
「あ、あの、ご令嬢っ」
ヴィクターがブリジットの後ろ姿に声をかける。
しかしブリジットは
「今日のところはごきげんよう、ヴィクター様……」
と情緒たっぷりに言うと、ウィニーに付き添われ、待たせておいた馬車にそそくさと乗り込んだのだった。
4.
その日の夜遅く、ブリジットは、舞踏会に出た父や母がどんな表情をして帰って来るか、楽しみで仕方がなかった。
困った顔をしている?
呆れた顔をしている?
それとも怒っている?
でもどれにしろ婚約は破棄だわ!
ふふ。楽しみね。
しかし、舞踏会から帰宅した父と母はなぜか上機嫌だった。
「いや~あのロイスデン侯爵の息子のスキャンダル、メシウマじゃあ~」
「あれ?」
両親の様子を盗み見ていたブリジットは、意外な気持ちになる。
「そうですわね。評判も地に落ちたものね」
ヘルファンド公爵夫人もほくほくしている。
「あそこのご子息が有力貴族の娘なんか嫁にもらったらと思うとムカムカするけど、こんなスキャンダラスな噂を聞いたら皆敬遠しますわ。これでうちのブリジットが負けることはないわね」
「あれ?」
ブリジットは心外な顔をする。
その、『うちのブリジット』がヴィクター様のスキャンダルの相手じゃないの!
そのブリジットの顔を見て、ウィニーはピンときた。
「ブリジット様! 私に何をさせるのかと思ったら、そういうことでしたのね! ヴィクター様とスキャンダルになろうと? もしかして、スローアン様との婚約を無しにしようと……?」
ブリジットは大きなため息をついた。
「そうよ。でもおかしいわね。なんでヴィクター様のスキャンダルの相手が私じゃないのよ?」
「そりゃ、そうです。だってブリジット様、ちっとも社交界にお出にならないんですもの。誰もブリジット様の顔なんが存じ上げておりません」
ウィニーは呆れた顔をした。
「うっ!」
ブリジットは呻いた。
そ、そうだった!
「え、じゃあ、ヴィクター様のスキャンダルの相手は誰ってことになってるの?」
ブリジットは恐る恐る聞いた。
「ああ、『謎の美女』だそうですわよ」
ウィニーはウインクした。
「よかったですわね、『美女』って言ってもらえて」
き~っ!
ブリジットは地団太を踏んだ。
くそうっ、失敗! 私の完敗だわ! また別の計画を立てないと!
ブリジットは目を血走らせながら速足で自室に戻ると、力任せにバタンっと扉を閉めた。
5.
さて、その頃。
舞踏会から帰宅していたヴィクター・ロイスデンは、夕べの美しい令嬢のことが気になって仕方がなかった。
あれは誰だったのだろう?
切なく肩を震わせていた。
夢か幻か。
私は本当にあんな素敵な女性を口説いたのだろうか。
なら、忘れるはずはないのに。
周りの人にそれとなく聞いてみたが、誰も彼女のことは知らなかった。
だが、ヴィクターには一つ言えることがある。
もう一度あの女性に会いたい……。
ヴィクターはすっかり、夕べの女性の虜になってしまったのだった。
そうしてもう一人。
困惑している人がいた。
スローアン・ジェラード公爵令息である。
彼は、夕べ、王宮のエントランスで、ヴィクターが絡まれているのに遭遇した。
そして、彼ははっきりと見た。
ヴィクターを詰っていたのは、自身の婚約者であるブリジット・ヘルファンド公爵令嬢だったのだ……。
ブリジットとの婚約は、世話になったヘルファンド公爵夫人の顔を立てたものだった。だから半分仕方なくといった感があった。
しかし、今日のブリジットは、あの婚約の挨拶の時の彼女とは様子が違った。
ブリジットはあんなに美しかったか?
それとも……今日は恋人の前だからあのような姿を見せたのだろうか。
スローアンは心がかき乱されるのを感じた。
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