35 さようなら。ボクの愛おしい、ただひとりの女(ひと)
──はぁあ! スラリンガンが、ボクの息子?
「またまた。身におぼえがあるくせに」
笑うスラリンガン。
「…………」
確かに身におぼえはある。だけどあの一回きりで? そんなことってある? 嘘だろ! スラリンガンが、ボクの子だなんて!
「ちなみに私の本名はサトル・ミノワJr.です。母がナイトウ性をすててミノワというファミリーネームを役所へ登記したからです。サトルというファーストネームは当然、お父さんから受けついだものでしょう。おかげで子どものころの私は、どこの国の人間だよ、なんてイジメにもあいました」
「あ、そう。なんか……ごめん」
どうしてだか目をふせてしまうボク。
「私を認知していただけました?」
笑顔いっぱいのスラリンガン。
「……する。するけど、だからきのうの夜、ボクらをふたりだけにしたのか?」
「はい。お父さんが意外と奥手で少しハラハラしました。私もこの世に産まれてきたいもので」
「……えらく前向きだな」
大学の研究室の雑用係でうつうつとしているボクとは大違いだ。本当にこいつ、ボクの息子かよ?
「前向きで当然です。私はマンサメリケス、尊敬してやまないこの母に育てられたんですから」
死んだように眠るマサメの髪をなでるスラリンガン。
「納得した。だけどキミは、あまりボクには似ていないみたいだけど」
「そうでしょうか? 私はそうは思いません」
「どうして?」
「お父さんは、ご両親を尊敬してはいませんか?」
「してる。マサメのおかげでそう思えるようになった」
「でしょ? ほら、私と同じだ」
「マサメはともかく、ボクを尊敬するのはどうかと思うぞ」
スラリンガンは、実はボクの血をあまり受けついでいないらしい。今もこれからも、こんなボクが尊敬にあたいする人間になれるとは思えない。
「いえいえ、私はお父さんを尊敬しています」
──まあ、いいけど。ただしかし、スラリンガンがマサメの子であるというのなら、どうしても承服しかねることがある。ボクはマサメを枯れ葉の上に寝かせると、断固として立ちあがり彼と向きあった。
「ただ、その……ボクと同じ名前のキミをなんと呼べばいい?」
「今まで通りスラリンガンでかまいません」
「ではスラリンガン、おまえ、おまえさんはこの時代にきて何人の人を殺した? 義憤にかられて危険もかえりみず、サンタマスクに立ちむかったマサメの息子が、いくら彼女を助けるためだからといって、平気で人を殺せる人間であることだけは絶対に許せない!」
とくに「青森極北刑務所」における外人傭兵部隊へ対する殺戮行為は、目をおおいたくなるような所業、まさに血まみれの惨劇であった。吹雪の中で自衛官や米兵と戦ったときもしかりである。マサメは誰も殺さなかった。なのにこいつは……。
「それはきれいごとといわざるを得ないのではないでしょか? ああした状況下では」
反論の余地がボクには一ミリもない。スラリンガンが戦ってくれなければ、少なくともボクは確実に死んでいただろう。人を殺してまで生き残りたくはない! などと思うほどボクは聖人君主ではない。けれど、だけど……。
「きれいごとだというのは認める……でもな、マサメの息子がヘラヘラと笑いながら人を殺す姿なんかボクは見たくなかった! だったら見せるなよ! マサメとの関係なんかもちだすなよ! 黙って消えてくれよ!」
感情がぐちゃぐちゃになりながらも、ボクはどこかで思っていた。嫌なもの、汚いものは見たくないうわべだけの人間、それがボクなのだと。
「きれいごとをつらぬいて生きることができる人ならば、それはそれで尊敬できます」
「ボクは、そんなりっぱな人間じゃない」
「……ただお父さん、私はひとりも殺してはいませんよ。信じてください」
そういいながらスラリンガンは、ボクの左胸に残る弾着の痕に、人さし指をおいた。
「──そういうこと?」
ああ、だからあの米軍伍長は生きていたのか!
「そういうことです」
「そうか。よかった……」
腰がくだけそうになるボクを抱きしめるようにして、スラリンガンがささえてくれた。
「お父さんが、母のいうようなやさしい人で、私もよかった。けれど科学者としてはどうなんでしょうか?」
「なに? さっきからいちいち引っかかるんだけど。ボク、別に科学者じゃないし!」
「そうなんですか? しかし考えてもみてください。未来からきた人間が過去の人間を大量虐殺したら、いったいどうなるか? するわけありませんよね?」
「……だよな」
仮に、あくまでも仮の話だが、ハジメンがミノウタス公国に亡命して恋におちるはずの女性が、あの傭兵部隊の中にいたとしたら? スラリンガンはおろか、マサメの父親の存在ですらあやうくなるだろう。
「そろそろいきます。美晴さんたちが目をさますと、ワームホールを抜けるときに死んじゃいますからね」
「そうだよな……」
美晴たちに死なれたらボクは一生、トラウマをかかえて生きることになるのだろうが、もう少し息子と話をしていたかった。
「私の母はかたくなに独身をつらぬき通して、町の小さな美容室をきりもりしながら、ひとりきりで私を育ててくれたんです」
「え?」
「ね? なにかをつらぬき通すことのできる人間を、私は尊敬してやまない」
スラリンガンは、ぐったりと動かないマサメの体を抱きあげながら背中を向け、ワームホールへと歩きはじめた。
「マサメは誰とも結婚しなかったのか?」
「母は百三十年後の未来でも、ずっとお父さんを思いつづけていますよ」
「……嘘だよ」
ボクはスラリンガンの背につぶやいた。
「母からの伝言があります。サトルは……私のことではなく、お父さんのことですよ」
「わかってる。それで、マサメはなんて……」
「サトルは臆病なくらい思慮深いくせに、ときどき向こうっ気ばかりが強くなって失敗したり、投げやりになったりすることがある。だから気をつけて。母はそういってました」
「マサメがそんなことを……」
マサメ……一緒にいたのはたったの数週間だぞ。なんでそんなにボクのことがわかるんだ。なんで五十になってまでボクのことをおぼえていてくれるんだ。こんなボクのことなんて忘れてりゃいいのにさ! 涙が、あふれてとまらないだろが!
「それから母は、もうひとついっていましたね」
「なに? なにを?」
「お父さん、これは息子の私からもお願いします」
「だから、なに?」
「地球と人類の未来を頼みます」
「──は?」
マサメを抱いたスラリンガンが肩ごしにボクを振りかえった。いつもの笑顔で。
「偉大なる英雄、三ノ輪博士……」
そしてマサメとボクの息子は、ワームホールのうず巻きに引きのばされるようにして飲みこまれ、収縮する光をはらんだうずとともにこの時代から完全に消滅した。
「え? え? え? え……スラ・リンガン博士?」
これから、朽ちはてた神社横に残されたもうひとつのワームホールを使って美晴を、山村刑事を、ハジメンを、ボクは渋谷駅前へ連れていかなければならない。そうなんだよ、あまり遅くなると仮死状態から目ざめてワームホールを通るとき、三人は死んじゃうかもしれないんだよ。
そうなんだよ。わかってはいるんだけど、ボクはしばし、身動きひとつとることができなかったんだ……。
──さようなら、マサメ。ボクの愛おしい、ただひとりの女。
(つづく)
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『ゴースト・キス ~死人しびとの口吸い~ (改)』
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