自由に向かって走り出せ
豚小屋の窓の縁から、小さな鳥たちがみんなで声を揃えて歌った。
「ぶう、ぶう、ぶう、ぶう。馬鹿な豚が今日も啼く。エサくれ、エサくれ、エサをくれ。たらふく食べてまるまる太れば、今度は自分が人のエサ。それも知らずにまた啼くよ。ぶう、ぶう、ぶう、ぶう、エサをくれ」
ミックはエサ箱からがばっと顔を上げた。
「え、マジで?」
あまりの内容に、いっぱいに詰め込んでいた穀物を口の脇からボロボロとこぼしながら、ミックは小鳥たちに訊き返した。すると小鳥たちはみんな揃って嬉しそうに、その場で羽をばたばたさせた。
「そうだぞ!」
「自分のことなのにそんなことも知らないのかよ!」
「無知って怖いわね!」
「教えてあげた私たちの親切に感謝しなさいよね!」
ちゅんちゅんちゅんちゅん。小鳥たちはそう言いながらも、みんな楽しくて仕方がないとでも言うように弾んで答えた。揃いもそろって性格が悪い。
「おいおいマジかよ…! おい、聞いたかカール!」
しかしこんな話を聞いてしまったら、もう小鳥たちに言い返している場合ではないだろう。隣でエサ箱にかぶりついている仲間の脇腹を、ミックはすぐさま鼻先で突っついた。
「もー、なにー?」
カールはやっと顔を上げた。エサでいっぱいの口をむしゃむしゃ動かしているが、それでも顔を上げてくれただけまだマシだ。
「俺たちこのまま太っていくと、最後には人間に食われちまうらしいぞ! だからエサ食うの一旦止めろ!」
「えー…? ……。それでもオレ、今腹いっぱいエサ食える方がいいやー。」
カールはそう言うと、またエサ箱に頭を突っ込んでしまった。
すげえ…。マジか、こいつ…。すげえ…。
ちゅんちゅんちゅんちゅん。固まってしまったミックとは対照的に、小鳥たちはまた大喜びだ。
「豚根性極まっているわね!」
「お前こそ天性の豚肉だな!」
「あんたなら極上ランク狙えるわよ!」
「これからも豚肉として精進しろよ!」
小鳥たちは囃し立てたが、ミックとしてはもうこれ以上、仲間の豚にも、うるさい小鳥たちにも構っていられない。もうこうなったら、自分だけでもここから逃げ出さなければ。
「うおおおおっ!」
ミックは数歩だけ下がると、全力で目の前の柵に向かって突進した。乾いた音と共に、自分を閉じ込めていた木の檻は粉々に砕け散った。ミックはそれでも止まらず、そのまま外へと駆け出して行く。
「ああっ! 革命だ! あの豚、革命するつもりだぞ!」
「動物農場だ! 豚以外はみんな奴隷にされちゃうぞ!」
小鳥たちはちゅんちゅん訳の分からないことを言いながら窓辺から飛び立った。だが野次馬根性から、すぐさまミックの後ろにくっついて飛び始める。それどころか、騒ぎをもっと大きくしようと今度は好き勝手に指示まで出して来た。
「左行け、左! あっちが人間の家だぞ! 人間をやっつけろ! 革命万歳!」
「違うよ、右よ! 一緒に太ってきた仲間を見捨てるなんてあまりにも薄情よ! 豚としての精神的連帯が欠けているわよ! 他の豚も逃がしなさいよ! ――あっ、そうだ! こう言えばみんなも目が覚めるかも!」
ミックはどちらの声にも構わず真っ直ぐに走り続けていたのだが、小鳥の一羽が何かを思いついたらしく、弾丸のようにまた豚小屋に戻って行った。
「みんな火事よ! 焼き豚になっちゃうわよ! 早く逃げるのよ!」
豚小屋から小鳥の甲高い、だけど大きな声が聞こえて来た。ミックが駆け出した時でさえ、何が起きたのかまるで分からずぼーっとしていただけのみんなの間でも、さすがに今回は動揺が奔ったらしい。夢中で前に向かって走り続けるミックの耳にも、狼狽えながらぶうぶう啼くみんなの声が届いた。
「あいつ…! これは革命なのに!」
ミックを追い掛けていたまた別の小鳥が変なことを呟くと、彼もまた豚小屋に向かって踵を返すように飛んで行ってしまった。
「人間たちがここに火を付けたんだ! 一番最初に走り出したあいつは逃げたんじゃない! お前らのために人間をやっつけようと先陣を切ったんだ! お前らも続け! 戦え! 革命万歳!」
ぶうぶうぶうぶう。さらにみんなが動揺し始めた。そして折り悪く、みんなが浮足立ったまさにこの瞬間に、ミックはこの牧場を取り囲む大きな木の柵をぶち破った。ひと際大きな木の砕ける音が牧場全体に響いた。それはまさしく、ミックが一人で人間と死闘を繰り広げている音にみんなには聞こえたことだろう。
「そ、その通りだ! ミック一人に戦わせるな!」
「そ、そうだそうだ! それに人間を倒せば、オレ達は好きな時に好きなだけエサを食えるじゃないか!」
火事だ、と急かされていることも重なって、議論は一瞬で決まった。何より、誰かの言い放った最後の欲張りな一言が決め手だった。
「おりゃあああっ!」
狭苦しくただ檻が並んでいるだけのみすぼらしいあの小屋に、いったいどうやってこれほど詰め込まれていたのだろう。ついそう思ってしまうほどの沢山の豚たちが、一斉に雄叫びを上げながら飛び出して来た。誰もが行く先も決めずに、とにかく我先にと方々に向かって走り出す。だがそんな大混乱の中でも、目ざとくミックのことを見つけた一団がいた。
「おい待てよミック! 俺たちも戦うぞ!」
どう見ても誰よりも先に逃げ出そうとしているだけのミックに、的外れな声援が飛んできた。
「違う! 俺は逃げたいんだよ!」
さすがにミックも足を止めると、馬鹿正直に答えた。だが、その一団は止まらずに駆け寄ってくる。
「そっちに行けばいいの?」
それどころか、ミックの打ち壊した柵を潜り抜けると、特に素早い一匹はその勢いのままにミックの脇を走り抜けて行った。
そして、森への逃走を阻む最後の障害に突っ込んだ。それは最終防壁にしては随分と弱弱しく見える数本のワイヤーでしかない。自分たちの体重なら容易に突破できるだろう。伊達に丸々と太って来たわけではないのだ。
「あばばばば」
びびびびび。あともう少しで最初の脱走者になれたはずの彼は、しかし、なぜかその最後の一歩を越えられなかった。聞いた事もない変な低い連続音と共に、これまたおかしな悲鳴を彼は上げると、なぜかその細いワイヤーによってミックのところまで弾き飛ばされて来たのだ。
「な、なんじゃこりゃあ!」
「すっげー! もう一回突っ込んでみてよ!」
ミックとは対照的に、また小鳥たちが大喜びで黄色い声を上げた。
「おいお前ら! これ何なんだ! 何か知っているだろ!」
ミックはすぐさま頭上の小鳥たちに向かって怒鳴り散らした。
「これは電気柵っていうのよ! そんなことも知らないの?」
「あと何匹か突っ込めば、元のブレーカーがトリップするかもね?」
また生意気に小鳥たちは答えた。いちいち腹立たしいのだが、ミックも認めざるを得ないほどに物知りだ。それがまた腹立たしくもあるのだが。
「よ、よーし! とにかく、あれに体当たりすれば良いんだね!」
正直ミックも含めて、小鳥たちが何を言っているのかなんてみんなよく分かっていない。だが、とにかくそういうことらしい。また一匹がそのワイヤーに突っ込んだ。
「あばばばば」
しかし、さっきと同じような結果で終わった。ミックの目の前でひっくり返っている仲間が一匹増えただけだ。
「あばばばば」
また犠牲者が増えた。なんだかうまくいかないような気がする。あの性格の悪い小鳥たちが、揃いも揃って嬉しそうなのが何よりの証拠だ。
「お前らいったん止まれ! そのブレーカーとか言うのを何とかしてくれば良いんだろ! だったらそれは人間の小屋にあるはずだ! こうなったらもう腹を決めて人間の家に突撃するぞ!」
「あばばばば」
ミックの演説の隣で、話を聞けない一匹がまた犠牲になった。これ以上ここにいてはいけない。
「くっそー! これは人間のせいなのか!」
「なんてひどい奴らなんだ! 人間め!」
だが、勝手に自滅していく仲間たちを目にしたことで、ミックの仲間たちのボルテージもこれまた勝手に上がったらしい。
「向かうは人間の家だ! 突撃ー!」
その機を逃さぬよう、というよりは、ほとんどやぶれかぶれでしかないミックの号令なのだが、それでもみんなの気持ちが一つになった。今度は戦うために柵を乗り越え、この牧場を運営する人間の宿舎に向かってみんなで一斉に走り出した。
「おおっ! すげえ! 革命だ! 今度は本当の革命だ!」
小鳥たちもまた熱狂して大騒ぎだ。
しかしその時、人間の宿舎から響いて来た放送の声に、ミック達だけではなく、ただパニックで走り回っていただけの豚達でさえもぴたりと足を止めた。なんと、スピーカーから聞こえて来たのは豚の声だったのだ。
「我々、黒豚特殊部隊は、人間をこの牧場から追放することに成功しました! この牧場は我々のものになったのです!」
今度はその内容にミックたちにも動揺が走った。みんなとてもその放送を信じられなかったのだ。だがその時、ミックたちがいるのとは反対側、宿舎の裏側から、人間たちの軽トラが這う這うの体で牧場の外へと逃げ出していくのをみんな揃って目撃した。
「我々黒豚は宣言します! 我々は自由になったのだと!」
黒豚は引き続き、芝居がかった調子で声を張り上げた。だが確かに、もはや疑える余地など残っていなかった。高らかに謳い上げられたその宣言に、初めはみんな戸惑いながら互いに顔を見合わせていたのだが、誰か一人が喜びの感情を爆発させると、それを切っ掛けに牧場には一斉に歓喜の声が巻き起こった。
「やったー! 自由だー! 俺たちは自由になったんだー!」
「やったー! これからもいっぱい食って、いっぱい寝るぞー!」
豚たちは口々に叫んだが、黒豚たちの放送はまだ続く。
「つきましては、無用な混乱を避けるため、皆様は一度ご自分の檻、――じゃなかった――ご自分のお部屋にお戻りください。皆様は自由になられたのです。ですから安心して、皆様は自分の檻、――お部屋にておくつろぎ下さい。」
ミックは不穏な気配を感じ取り始めた。未だかつてないほどに走り回ったせいで、ずっと眠っていた野生の勘が目覚め始めているらしい。
「うん! そうだ! そうだ! 俺たちは自由になったんだ!」
しかし、今やもう一心不乱になって放送に聞き入っている他の豚たちは口々にそう言いながら頷いている。
「よし! 俺たちは自由になったことだし、また檻に閉じこもっていよう!」
ミックはもう確信した。これは絶対におかしい。
「みんな待て! 向かうのはそっちじゃない! 黒豚たちのところに行くぞ!」
ミックの言葉が届いた者たちは足を止めてくれた。のしのしと豚小屋に帰って行くのを止めて、ミックの方へと振り返る。
「ん? どうしたんだよ、ミック?」
「もう俺たちは自由になったのに、どうしたんだよ? 早く檻に戻ってメシを食おうぜ」
しかし、誰もまだ不穏なものを感じ取れてはいないらしい。みんな、ただ首を傾げるだけだ。
「皆様どうか、檻の中にお戻りください。これは皆様のためなのです。これから皆様のために創られる新しい豚社会秩序のために、どうかご協力をお願いします。新豚社会秩序の成否は、すべて皆様のその短い手足に掛かっているのです。私たちは檻の中に戻られた方に、食料を配給する準備も出来ております。だから檻の中に閉じこもっていてください。大人しくしていてください。」
まだスピーカーからは声が響いてくる。だが、いよいよ檻という言葉を取り繕うことさえしなくなっている。
「いいから来てくれ! とにかく来てくれれば分かるはずだから!」
ミックは熱弁した。頭上では小鳥たちがまた何かを話し始めていた。
「え、マジで! 黒豚の方そうなっているの!」
「もう腐敗したのかよ! やっぱり豚だな!」
「私も行く! 私も行く!」
一匹の小鳥が人の宿舎から飛んでくると、何かを他の小鳥たちに伝え、今度は全員揃ってぱたぱたと宿舎の方へと向かって行った。また窓辺にでも止まって、中の様子を伺いながら茶々を入れて遊ぶつもりだろう。ミックもすぐさま仲間を引き連れて、宿舎の中へと忍び込んだ。
あの放送でみんな大人しく檻の中に戻るだろうと思っているのか、宿舎の廊下には誰もいない。ミックたちは黒豚の声が集まっている部屋をあっさりと見つけることが出来たのだが、すぐに踏み込むのではなく、一旦その扉の前で足を止めた。まずは中の様子を伺ってみるべきだ。ミックは一緒に付いて来てくれた仲間に視線で合図を送った。仲間たちは困惑した様子ながらも、耳をピンと立ててくれた。
だが、中から最初にはっきりと聞こえて来たのは黒豚たちの声ではなく、あの小鳥たちの声だった。またみんなで声を揃えて歌っているらしい。
「ぶう、ぶう、ぶう、ぶう。馬鹿な白豚、檻の中から今日も啼く。自分は自由だ、エサをくれ。たらふく食べてまるまる太れば、今度は自分が人のエサ。黒豚に権力移っただけなのさ。それも知らずにまた啼くよ。檻の中からぶう、ぶう、ぶう、ぶう、オレは自由」
「やめろ! 白豚たちにに聞かれたらどうするんだ! まだ誰も出荷なんてしていないだろ、まだ!」
黒豚の大声の後には、ちゅんちゅんとまた嬉しそうに弾む鳥たちの声が聞こえて来た。誰であろうと馬鹿にして、おちょくらずには生きていけない生き物らしい。しかしそんなことよりも、今の黒豚の台詞だけでミックは十分に確信した。この政権は立ち上がる前から腐敗している。
それでも、もっと確とした証言を掴まなければ。みんな野生の勘など失っているのだ。誰が聞いても納得出来るようなものが欲しい。ミックはまた聞き耳をピンと立てた。
「ああっ! やめろ! それは俺の高級どんぐりだぞ! せっかく人間から押収したのに! そんなに数もないのに!」
ちゅんちゅん。羽ばたく音も聞こえて来る。どうやら小鳥たちと、黒豚との格闘はまだ続いているようだ。そこに、別の黒豚たちの声が間に入って来た。
「今度は自分たちで買えば良いじゃない。お金だって手に入ったんだから。それに私、どんぐりなんかより新しいマイクが欲しいの! それで一日中、私の放送を牧場内に響かせたいのよ!」
「そんなことにまでお金を使っていたら、すぐになくなっちゃいますよ。みんなの食料代だって、とてもお金の掛かるものなのですから。」
どうやら中にいるのは三頭らしい。なぜかリーダー格らしいどんぐり、さっきの放送のアナウンサー、そして真面目そうな会計係だ。
「え、みんなにもメシを食わせなくちゃいけないのか?」
どんぐりがまるで意味が分からないとでも言うように、いきなりとんでもないことを言い出した。
「当たり前でしょう…。みんなに雑草でも食っておけ、とでも言うつもりなんですか?」
一応、会計係がどんぐりを諫めてくれた。彼は結構良識派なのかもしれない。
「えー…、だって、みんなにまで良いもの食わせたら、俺のどんぐりが減るじゃないか。それに、人間から奪った金だって限りがあるんだろ? だったらなおさら、俺のどんぐり代に充てたいし…。…あ、そうだ! 良いことを思いついたぞ!」
もう堂々と国家予算の横領をたくらんでいるどんぐりだったが、さらにろくでもないことを思いついたらしく、突然声を張り上げた。
「やっぱり白豚は何頭か出荷だな! そうすればみんなのメシ代も減るし、金まで手に入る! つまり、俺のどんぐりが更に増えるってわけだ! 完璧な計画だ!」
完全にアウトだ。もはやどんぐりは全豚類の敵になってしまった。
ミックはもうこれ以上ここで聞き耳を立てている必要も無いだろうと思い、一緒に付いて来てくれた仲間たちの方へ振り返った。
仲間たちは同じ豚に裏切られることになるなどとはまるで想像していなかったらしく、目を点にして茫然自失としていた。だが、ミックを見てはっと我に返った。みんなで目だけで会話をすると、意を決して扉の方へと再び向き合った。
今こそ全豚類のために踏み込み、本当の自由を手に入れなければならない時だ。
「そうだ! この王国の経営のためと言い、みんなにはトリュフを探させよう! そしてみんなが集めたそのトリュフは、俺のどんぐりに変えてしまおう! みんなが疑問を持ち始めたら、新天地に行くべき時だと言い、みんなを出荷してしまおう! そして俺はその金でまたどんぐりを手に入れよう! ふははははっ! これこそが完璧な新豚社会秩序というものだ!」
「全部聞かせてもらったからな、この豚野郎!」
どんぐりの高笑いが響くその部屋に、ミックたちは怒声と共になだれ込んだ。
「あ、やべ! 放送室にダッシュ!」
「え! また放送していいの? 分かった! 行く行く!」
しかし、どんぐりとアナウンサーの瞬発力は凄まじかった。まるで津波を乗りこなすかのように、この二匹は白豚の上を突っ走り、ミックたちとは正反対に部屋から飛び出した。
「わ、私は何も悪いことなんて――。 ふぎゃん!」
ミックたちが捕まえられたのは一匹の黒豚だけだ。たぶん会計係だろう。彼はみんなにのしかかられ、床に押さえつけられている。
「みんなストップ! そいつ本当に良い奴っぽいから後回し! さっきの二匹を捕まえるぞ!」
ミックは声を張り上げたのだが、その時どんぐり達によって放送のスイッチが押された。
ピンポンパンポーン。丁寧に放送開始のベル音まで入れてから、さっきのアナウンサーが話し始めた。
「速報です。速報です。現在、宿舎にて暴動が発生しております。現場からのレポートです。」
そして、すぐさま話し手が変わった。例のどんぐりだ。
「やつらは白豚至上主義者なんだ! 俺たち黒豚がこの国の運営を行おうとしていることが気に食わないからって、突然襲撃して来たんだ! これからの政策について部屋で話し合っていただけなのに! これはテロリズムだ! 首謀者はミックだ! やつは豚種差別主義者だったんだ!」
どんぐり迫真の放送だ。このまま一方的にプロパガンダを流されてしまったら、すべてが逆転してこちらが完全な悪党にされてしまう。
「黙りやがれ! 手前勝手なことばかり言いやがって!」
再び怒鳴り散らしながら、すぐさまミックたちは放送室へと踏み込んだ。
「ああっ! あいつらここにまで来やがった! 侵害だ! 放送権の侵害だ! 奴ら、俺たちの報道の自由を奪うつもりだぞ! 今度はあいつら自身が人間になるつもりなんだ! 俺たちの自由がまた盗まれようとしているんだ!」
しかし、どんぐりも負けていない。みんなにとっちめられるその瞬間まで、彼はマイクに噛り付いて叫び続けたのだ。
この一手は凄まじい力を持っていた。確かにミックたちはどんぐりを取り押さえることは出来た。ミックたちに捕まると同時に響き渡ったアナウンサーの金切り声のような悲鳴も、どんぐりの事実を捻じ曲げたプロパガンダも、もうスピーカーからは流れていない。これ以上余計なことを言わせないためにも、ミックは直ちに放送用のボタンを切ったのだ。だが、檻の中に帰って行ったみんなのいる豚小屋から、ブーイングの声が上がり始めたのだ。
ぶう、ぶう、ぶう。それはいつも通りの、何の意味もない啼き声ではないだろう。明らかにミックへの批判と、反感の色が含まれているブーイングだ。初めは一匹の啼き声でしかなかったそれも、すぐに声が集い始め、瞬く間に牧場全体に響き渡るほどに変わってしまった。
「がははははっ! 俺の勝ちのようだな! スピーカーから響く声はみんなやけに信じてしまうものらしい! ミック! まずはお前から出荷してやるぞ! もちろん、みんなの声に後押しされた形でな!」
「ぐ、ぐ、ぐ…!」
ミックは歯噛みした。豚小屋からのブーイングの声は止まらない。
「そうだ! こうやってこの放送を使えば、どんな政策にだって賛同が得られるじゃないか! よーし! これからは俺の意志で、俺の望むままにあらゆる民主主義を執行するぞ! みんな俺のどんぐりに変わってしまえー!」
「ぐ、こいつ…! だが、こっちだって同じチャンスはあるんだ! みんな、どんぐりの口を抑えておいてくれ!」
ミックは再び放送用のスイッチを入れた。
「みんな聞いてくれ! すべては逆なんだ! 奴こそが全部を横から掻っ攫おうとしていたんだ! ここに来てくれればすべてが分かる! 奴の食い散らかしていたどんぐりが、そこかしこに転がっているからだ!」
豚小屋からのブーイングが少しだけ小さくなった。だが、それだけだ。誰もそこから出て来ない。自分の意志で檻から出ても良いのか、きっとみんな分からないのだ。
「みんなは自由になったんだ! もう檻の中にいなくて良いんだ! それが自由なんだ! 頼む! ここに来てくれ! こんなスピーカーからの声でしか世界と関われないなら、そんなの人間に飼われていた頃と何も変わらないじゃないか! 頼む! 自由になってくれ! 最後に必要なのはみんな自身の一歩なんだ! その檻の鍵はもう開いているじゃないか! 俺たち自身で開けたんじゃないか! 頼む! 自分の目で確かめるためにここに来てくれ!」
豚小屋からはもうブーイングはもう聞こえない。だが、その代わりに立ち現れたのは、息を呑むような静寂だ。しかし、みんなの中で繰り広げられているだろう激しい葛藤の音に、ミックは耳が痛くなるような思いだった。
「ぐっ…! だ、だが、そんなことを言ったって、誰が来るものか! みんな自分から檻の中に入って行ったんだぞ! それが何よりの社会貢献になるのだと言われたら、ただそれだけで! みんな正義の味方になりたいんだ! 示された正義に従わない悪党だと、誰だって言われたくないんだ! 後ろ指をさされたくないんだ! だから、絶対に来ない! お前の言葉なんかで来るものか!」
その沈黙に耐え切れなくなったように、どんぐりは塞がれていた口の自由を渾身の力で取り戻し、叫んだ。
「いいや! 悪くない演説だったぜ! ミック!」
いつの間にかまた窓の縁に陣取っていた小鳥たちが声を上げた。
「最後はみんなの心に掛けたってわけね! 最高じゃないの!」
「さあ、果たしてみんなの中に自由を愛するだけの心が残っているのか!」
「よーし! 最後を彩るにふさわしい、最高の一曲を歌ってあげようじゃないの!」
小鳥たちはその小さな体を大きく揺らし、リズムを取り始めた。そして一斉に歌い出す。
「『そこにいるのが一番です』。為政者が与えたるは檻の中。だけどそこは居心地良い。だって偉い人は言いました、これこそ社会の為なのだ。それを信じた者たちは、檻の中からみんな言う。『俺たちこそが正義の味方』、『これこそ正しい行いよ』、『従わないなんて許せない』。
ああ、居心地良いな、檻の中。だって権威が言うんだもん。『あなたはそこにいるべきです』。ああ、だから檻の中、その中にこそ権威は宿る。檻の中にいる私たち、私たちこそ偉いのだ。
スピーカーが唆す、『あいつは悪だ、悪を討て』。ならば鉄拳振り上げよう。なぜなら我らは正義の味方。しかもその正義は保障済み。なぜなら偉い人が言ったのだから。相手の悪も保障済み。なぜなら偉い人が言ったのだから。
ああ、賢い私たちは檻の中。この檻は本当に素晴らしい。私たちのことを守るのだから。だから檻の中からこぶしを上げる。怖いだなんて思わない。だって正しい行いだもの。そうだと偉い人が言ったのだもの。檻が守ってくれるのだもの。
だけど外から響くは別の声。『忘れちゃ駄目だ、君は自由だ、世界をその目で見てくれ』と。『自由になっても良いのだ』と。『利用されてはいけない』と。
さあ、彼らはどちらを選ぶ?
檻の中で正義を振るう? それは安心、安全、心地良い。
自由な世界へ歩き出す? それは孤高。だが真実の光が照らすだろう。
さあ、彼らの選択は?」
歌い終えると、小鳥たちはみんなのいる小屋の方へと飛び立って行った。ミックはすぐさま窓に駆け寄り、外の様子を伺った。
小さな一匹の子豚がいる。彼は困惑したように、そして居心地悪そうにそわそわしながらも、それでもこちらへと向かって来てくれている。
希望だ。どれほど小さくとも、彼こそが希望だ。
きっとすぐに、他のみんなも、勇気ある彼に続いてやって来てくれる。
「ぐ、ぐ、ぐ…! あ、そうだ! 豚コレラだ! 今、宿舎内では豚コレラが発生しているんだ! だからここに来るんじゃない! ここに来たら殺処分の対象だぞ! だから檻に戻れ! ここに来るな!」
窓に向かってどんぐりは叫んだ。きっと、あの子豚にも今の声は聞こえてしまっただろう。
だが、彼は歩みを止めない。
もはや彼の自由を阻むものなど、何もないのだから。