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8.送別会

 その日、サフィアスは早起きしすぎたこと、それ加え、普段通りの厳しい訓練で、夕暮れごろにはすっかりと疲れ果ててしまった。


――ルーサへの贈り物も準備できていない……。


 着替えるために自室に戻ったサフィアスはどうしたものかと唸った。


「シオン、おまえ、なにか準備してたのか――」


 同室の友人に呼びかける。


 返事はない。


 シオンはまだ少しも回復していなかった。ずっと眠っているか、意識があるときも辛うじて水分を取れるくらいで、ほとんど会話はできない。


 こんなに具合の悪そうな人間を見るのは久方ぶりだった。


 サフィアスが路地裏で這いつくばっていたみなし児であったときには、死にかけた人間をよく見たものだった。

 路上には、薬があればすぐによくなろう病で死にそうにしている人間や、食べるものがなくて動くことができなくなっている人間で溢れていた。そのような人間には、サフィアスと同じくらいの子どもか老人が多かった。


 そのような人間をまえに、みなし児サフィアスは脅えたものだった。これが自分の末路かと――。


 そして、脅えは現実となった。


 サフィアスは雇い主から解雇され、食いつなぐことができなくなった。


 路上で食べられそうなものは何でも食べた。

 飢えた幼子は何でも口に入れた。

 鼻をつまんで、その悪臭に耐えて、飲み込んだのだった――。



 あのとき、食べたものを思い出して、サフィアスは吐き気を覚え、過去を思い出すのをやめた。


 路地裏でサフィアスを拾ってくれた警吏の名前をサフィアスは知らない。だが、その顔は覚えている。


 警吏になったあかつきには、あの男を探し、心からの礼を言いたい。――過去を思い出したときには、そんなことを毎回思う。



 学舎にきてからは、飢餓や病とはまったくもって無縁となった。


 腹一杯食べることができるし、訓練で大怪我を負うことはあっても適切な手当が受けられる。病気になっても同様だ。


 だが、学舎の生徒はあまり病気にはならなかった。


 だれもが幼少期を劣悪な環境で過ごしているからではないかとサフィアスは思う。


 一度病気にかかれば、同じ病気にかかりにくくなる。子どものうちに劣悪な環境に身を置いたことで、身体がそれに慣れてしまい、ちょっとやそっとの病因ではびくともしない抵抗力をそなえるに至ったのかもしれない――。


 ふと、寝台の脇の卓上に置かれた小瓶がサフィアスの目に入った。


 瓶にはまだ黒い粉薬が入っていた。


 昨日今日と、ルーサの出立とレアに怪我をさせかけたことで頭が一杯で、薬を飲むことをすっかり忘れていた。


――これをルーサに贈ってはどうだろう。


 よい案のような気がした。


 ガイユは病人と同室のサフィアスを気遣ってこれをくれたのだろうが、サフィアスが最後に風邪を引いたのは――思い出せない。四年か五年まえだろうか。


 シオンが風邪を引いたところもほとんど見たことがなかった。そのシオンが熱に浮かされ、苦しんでいる。なにか質の悪い病である可能性はあった。


 だが、ほかに贈れるようなものも持っていない。


 それにもう二日、シオンと同じ部屋で寝起きしている。病が移るなら、すでに移ってしまっていよう。そうでなければ、サフィアスはシオンの病気に抵抗力があるのだ。


 もう少し時間があれば、ルーサのための贈り物の案を考えたり、なにか手作りしたりできたかもしれないが、ルーサの出立は明日である。


 もらい物を贈ることには気が引けるが、ルーサはこの薬について知っていた。稀有な薬ならば、よい(はなむけ)となろう。


 サフィアスは小瓶をポケットに入れ、上階のルーサとレアの部屋へと向かった。



 すでにルーサの部屋には十人程度が集っていた。人気者のルーサの出立とあっては、さらに多くの生徒がお別れを言いに来るだろう。


「サフィアス!」


 部屋に入るとすぐに、ルーサがサフィアスの名を呼んで近づいてきた。


「ルーサ、おめでとう」


 いつもサフィアスは、ルーサの目をまっすぐに見つめられずに目を逸らしてしまうのだが、今日ばかりは彼女の太陽のような視線を見つめ返そうと努力した。


「シオンはどう?」


 ルーサが問うた。


「まだ、よくならないみたいだ」

「そう……」


 ルーサが心配そうな顔をした。


「最後にシオンと話したかったな。あとで、部屋に寄ってもいい?」

「ああ」


 悲しそうな顔をするルーサに返事をしつつ、サフィアスは病気の友人へ嫉妬した。

 ルーサはシオンが好きだったのだろうか。


 そんなことを思ってしまう。


「どうかした?」


 ルーサが首をかしげる。嫉妬が顔に出てしまっていたのだろうか。


「いや、シオンが心配で――。ルーサに来て貰えれば、シオンも喜ぶだろう。ずっと寝ているから、会話はできないかもしれないが――」

「そんなにひどいのね」


 さらにルーサが案ずるような顔になった。それに呼応するように、さらにサフィアスの嫉妬が大きくなった。



「ご飯、持ってきたわよ!」


 レアが両手に盆をのせて、部屋に入ってきた。レアは帽子を被っていた。昨日、サフィアスに燃やされた髪の部分を隠すためだろう。


 レサのあとから、女子生徒がさらにふたり続いてやってくる。

 三人は盆を机の上や寝台の上に置いた。


 食事は食堂で取るよう規則で定められていた。


 個室で食べ物が見つかると普段ならば怒られるのだが、出立の前夜だけは、教官は見て見ぬ振りをしてくれる。

 送別会をする許可を貰ったわけでもない。ただ、先に卒業をしていった先輩たちもほとんど全員がそうしていたから、サフィアスたちもその伝統に従っているのである。


「レア、体調は」


 サフィアスは料理を配置し終えたレアへ小声で話しかけた。

 今日は女子と男子は別授業だったから、レアと話す機会はなかった。


 レアはサフィアスを見て、そしてその隣にいるルーサへ視線を移し、それから小さく笑った。


「レア、やっぱりまだ体調悪いのね」


 ルーサが言った。


「今日、ずっと訓練を見学していたのよ。頭痛がして風に集中できないって言って」


 サフィアスから大きな嘆息が漏れた。


「――あ、違うのよ」


 ルーサが慌てたように言う。


「サフィアスのせいだとは思ってないわ、わたしも、レアも」

「――だが、おれの火がレアを襲ったのはたしかだろう」

「そうだけど、でも、レアは怪我してないのよ」

「怪我をしていない?」


 ルーサは頷いた。


「髪の毛はちょっと燃えちゃってるけど、頭皮はまったく火傷してない。服も焦げちゃったけど、肌には火傷ひとつないわ」

「そんな――」


――はずはない……。


 あのとき、たしかにサフィアスの火がレアの肌を焦がすのを感じた。


――なのに、傷ひとつないなど……。


「本当にすごいわね、サフィアス。あんなぎりぎりで火の玉を止められるなんて。わたしだったら、手遅れになって大怪我をさせちゃってる」

「――」

「ううん、わたしだったら、そもそもレアの風の渦を突破できてない」


 ルーサはいつもの眩しすぎる笑みを浮かべていた。


「サフィアス――わたし、ずっとサフィアスのほうが先に卒業すると思ってたから、贈り物、準備してたの。あとで渡すわね」

「ああ」


 昨日のレアとの決闘に思いを巡らせていたサフィアスは、ルーサの言葉の意味をしっかりと理解せずに頷いた。


 遅れて理解し、喜びが込み上げてくる。


「ほら、サフィアス、ルーサを独り占めしない! みんなルーサと話したいんだから!」


 レアは口を尖らせて腰に両手を当てていた。


 送別会には二十人ほどが集まった。サフィアスと同年の生徒は五人程度で、その他のほとんどが年下、ふたりだけが年上だった。



「ついに、年下に先を越されちゃったよ」



 自虐のつもりで軽口を言った年上の生徒に、真面目なルーサは心底すまなそうな顔をした。


「――グレイさんのほうが、わたしよりもずっと操力があると思います。本当に、なんでわたしが先に選ばれたのか――」

「本当、そうだよなあ」


 また冗談めいた口調でその年上の生徒は言った。


「まあ、グレイさんより、わたしたちのほうが一応、先輩ですからね」


 レアがにやにやして言った。

 先輩というのは、学舎に入学した順番を意味していた。


 学舎では年齢や入学年によってクラス分けはされていない。力の順である。優秀ならば、はじめから上級クラスへの配属となる。


 ただし、自分より先に学舎に入学していた生徒に対しては、たとえ年下であっても、先輩として接するという暗黙の了解があった。だがそれはただの慣例上のものでしかない。


 だからサフィアスは、学舎に来たのが早くて先輩の立場であるレアに対して敬語など使わない。仲

のよい友人であるからだ。

 一方、後輩ではあったが年上のグレイに対しては、サフィアスもレアも敬語を使っている。


「グレイさんって、いつここに来たんですか?」


 サフィアスは問うた。


「十一のときだ――七年まえかな」

「ルーサとわたしは十年まえです。卒業がここで学んだ年数によって判断されているとすると――」


 レアが意地悪く笑う。


「――おれ、あと三年は卒業できないってことかよ!」


 グレイが大袈裟に顔をしかめてみせた。


 集まった生徒全員が声をあげて笑った。


「二十歳よりあとに卒業した人はいないらしいですよ。グレイさん、学校初の二十歳の学生になるんじゃないですか」


 先輩としてレアがさらにグレイをなじる。


「いや、次に卒業するのは絶対おれだ。年数は関係ないさ。だってほら、何年前だったか――十四で卒業していった先輩がいただろう」

「でしたね――」


 レアやルーサなど、そのころ学舎にいた生徒が頷いた。


「――十五歳ですよ」


 サフィアスは訂正した。


「十五歳でした。まだ十五になって数日しかたっていませんでしたが」


「よく覚えてるね。あ、サフィアス、先輩と仲良かったもんね」


 レアにサフィアスは頷いた。


「たしかあのときって、七、八人、先輩たちが一気に卒業していったよね。官吏が人手不足とかで」

「人手不足になったら、早く卒業できるのか! 人手不足になってくれ――!」


 レヴィス様、お願いします――とグレイが大形に手を合わせた。


「でも、本当に、なんでわたしなんだろ」


 ルーサが小さく呟く。


「優秀だからに決まってるわよ」


 即座にレアが答えた。


「いや、でも、客観的に考えて、わたしよりサフィアスのほうが優秀だし、ここにいる年数が同じレアとかのほうがわたしより優秀だし――」


「きっと総合して評価しているのよ。操力だけじゃなくて、学んだ年数、知識、生活態度――って。だってさ、わたしたち操力を高めるために攻撃の訓練をしてるけど、攻撃なんて警吏になった人くらいしか使わないだろうし」


「たしかに、官吏は武官だけじゃないしな。文官も必要だ」


 グレイがレアに同調した。


 警吏は街の警備をし、犯罪者を捕まえるのが主な仕事であるが、有事には軍隊として機能するように編成されている。つまり武官である。


「犯罪者なんてそうそういないだろうから、文官のほうが多いかも――ってなると、卒業するためには、座学に力を入れたほうがいいのかな」


 レアが言う。


「先生たちは座学より訓練に重きを置いている。座学をさせたかったら、こう毎日、訓練漬けの時間割にはしないさ」


 サフィアスが反論すると、レアはそれ以上なにもいわなかった。だが、納得していない様子ではあった。

男の主人公とヒロイン、出会うのが遅くてすみません...

そのうち出会います。

ちょっとした三角関係になりそう――?

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