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2.王の学び舎

 サフィアスが自室に戻ると、そこにはふたりの女子生徒がいた。

 ひとりはさっきすれ違ったレアだ。もうひとりは腰までかかる長い金髪をしていた。


 金髪の少女がサフィアスが部屋に戻ってきたことに気づき、にっこりと笑った。


「サフィアス」

「ルーサ」


 挨拶をしつつ、サフィアスは彼女から目を逸らした。いつ見てもルーサの笑顔はサフィアスには明るすぎた。


「氷、持ってきたわよ。シオン、風邪も滅多に引かないのにね」


 レアが氷の入った容器を差し出す。食堂で貰ってきたのだろう。


「あんたは大丈夫なの」


 サフィアスが礼を言うまえに、レアがサフィアスの顔色をうかがうように覗き込む。


「おれはなんともない。ガイユ先生が来てくれるって」

「まあ、ガイユ先生が!」


 女子ふたりは表情をぱっと明るくして、お互いの顔を見合わせた。


「朝ご飯、まだなんでしょ。食べてきなよ。わたしたちもう食べたから」

「もう食べたのか」


 廊下でレアとすれ違ってからそれほど時間は経ってはいない。

 三年前――サフィアスたちが十四になったくらいからだろうか、男子は食べる量が増え、逆に女子は小食になった。レアは朝食に一口、二口、口をつけただけであろう。


「ちゃんと食べないと強くなれんぞ」

「ちゃんと食べても強くなれない人はたくさんいるわ。あなたのようにね」


 レアが軽口を言っているとわかっていたのでサフィアスは笑ってみせたが、内心では気持ちのよい冗談だとは思わなかった。


「早くしないとご飯なくなっちゃうわよ」


 レアに自室から追い出されるようにしてサフィアスは廊下に出た。レアなりの気遣いなはずである。レアは女子生徒の中ではサフィアスが最も会話をする人間であった。


 サフィアスは食堂へ向かうために階段を降りた。

 食堂は学寮の一階全体で、学舎で学んでいる百名近くの全生徒が一度に着席することができる広さがある。


 食堂には三十人ほどの生徒がいた。だいたいの生徒は七、八歳から十四、五歳の間だった。

 最も幼い生徒で五歳、年長では十七、八程度だ。十七のサフィアスは最も年長な生徒のひとりであった。


 サフィアスはパンをふたつ取り、それからスープ皿を手にとり、鍋のほうへと向かった。


 鍋のまえでは背の低い生徒がスープを注ごうと柄杓(ひしゃく)を手に持って背伸びをしていた。

 まだ六歳かそこらであろう少年に、サフィアスは見覚えがなかった。


「貸せ」


 身体の大きなサフィアスに頭上から柄杓を横取りされて、少年はびくりと身体を震わせた。


「新入りか?」


 サフィアスが質すと少年は脅えたように後ずさった。皿を持つ少年の腕に、まだ生々しい青痣(あおあざ)があるのにサフィアスは気づいた。


「いつここへ来た?」


 さりげなく横目で横目で傷を観察しながら、サフィアスは少年の皿にスープを注いでやった。


「昨日」


 少年は小さな声で答えた。


 学舎にはいつの間にか人が増え、いつの間にか減っている。だいたいが、この少年くらいの年頃の子どもが学舎に連れて来られ、サフィアスくらいの年頃で去っていく。

 とりわけ仲のよい者でなかったら、いなくなったことに一月かそこら気づかないこともある。


 サフィアスは自分の分のスープをよそうと、だれも座っていない食台に少年とふたりで座った。


「先生からどれくらい聞かされた?」

「――ここが操力について学べる王様が作った学校だってこと」


 それだけ、と少年は言った。


 昨日来たばかりだと、まだ右も左もわからないはずだった。

 先生たちはしっかりと訓練をつけてはくれるが、親切だとはいえない。官吏でもある先生たちは学校の教官以外にも仕事があるようで、新入りのひとりひとりにかまっていられる時間はないようだった。


「名は?」

「アラン」

「おれはサフィアスだ」


 アランのお腹が鳴った。冷めないうちに食べるように少年に促す。

 だが、少年は口をつけようとはしなかった。サフィアスが先にパンをかじると、やっと少年も匙を手に取った。


「その……ぼく、お金とかないんだけど――」

「この学校は学費はいらないよ」


 サフィアスはカボチャのスープを喉に流し込みながら言う。


「学費も食費も寮費も――」


 アランが一口囓ったパンを皿に戻した。その顔にはありありと懐疑心がにじみ出ていた。


「そんなうまい話なんてない」


 少年が眉根を寄せて言った。


「――って思うだろう。だが、あるんだよ、ここでは」


 サフィアスはパンを噛みながら言った。


「ここの生徒はみんな似たような境遇だ。親がなく、路上で行き倒れそうになっていたやつらだ。そういう埋もれようとしている才能を育てるために大王陛下が設立した学校がここなんだよ」


 恵まれない子どもの中からも偉大な操手(そうしゅ)――火や水や風の操り手が生まれる可能性は無きにしも非ず。実際、生まれながらの力は弱くとも、幼少期から適切な訓練を受けて偉大な操手になった人間はたくさんいる。


「でも――なんでぼくらなの? 貴族の子どもは生まれながらに強い力を持ってる。なら、その子たちのための学校を作ったほうが、偉大な操手は生まれやすいのに」


 少年はまだ納得していないようだった。


「たしかに王家や名家の人間は、おれたち庶民と比べて生まれながらにして大きな力を持っているが、生まれながらに才能があれば、あえて辛い訓練をしたがらない」


 サフィアスは衣の袖をまくった。傷だらけの皮膚が現れた。

 小さな子どもならば目を背けてしまうような生々しい火傷や古傷だったが、アランはそれを食い入るように見つめた。


「だが、この学校の連中は全員、何かしらの曰く付きの過去がある。自分が歩んできた人生を変えようという強い動機がある。よい操手になれなければ路地裏に逆戻りだ。だから、厳しい訓練――傷だらけ、(あざ)だらけの毎日にも耐えられるんだ」


 サフィアスは新しい火傷の部分をアランの眼前に突き出した。おとといの攻撃術の訓練でシオンから受けた傷だった。


「だから、ここはただの慈善孤児院なんかじゃない。れっきとした学び舎だ。名家の人間向けにもここと同じような学舎があるらしいが、そこに子どもを入学させたい親は少ないという。訓練は――ある意味で虐待だからな」


 サフィアスは袖を元に戻した。


「どうだ、納得したか」


 少年は少し考えていた。まだ納得していないのが表情からわかる。相当に疑り深い性格のようだった。それに年のわりには(はなは)(さと)い。


――そうならざるをえなかったのだろう……。


 サフィアスは少年の至る所にある痣や傷を思った。昨日ここへ来たということは、アランはまだ授業に参加をしてはいないだろう。

 俗世は――たとえ王都のような美しい街であっても――悪が渦巻いている。この少年も路地裏の闇を見てきたのだろう。ここにいる多くの生徒がそうであるように――。


「なんで王様はこの学校を作ったの? 王様になんの得があるの?」


 そう言うアランの口調は、六歳かそこらの子どものものにしては大人びすぎていた。


「得がなくても善行を行う人間はいる――少ないかもしれないけど。ほら、母親の愛は無条件だとか言うだろう?」


 言ってからこのたとえは悪かったかもしれないとサフィアスは後悔した。

 案の定、アランから、


「ぼくはお母さんに捨てられたんだ」


 という言葉が返ってくる。


「まあ、とにかく、世界一の力と財力を持つ大王陛下ほどの人間になったら、少々のお金を学校の運営に費やして善行を行うのも不思議じゃないさ」


 アランがあからさまに怪訝な顔をした。口車に乗せられて痛い目をみた過去でもあるのだろう。


「王に得があることを強いて言うならば――そうだな……善行を行うことで私利私欲に走らない善王であるということを民に示せる。それに、優秀な臣下も得られる」

「優秀な臣下?」

「この学校を卒業すれば官吏登用試験の受験資格を得られる。それに合格すれば官吏として大王の下で働けるんだ。おれたちには路地裏で死にそうになっていたところを救ってくれた恩がある。だから、大王はこの学校に出資することで、優秀で信頼できる臣下を手に入れられることになる」


 サフィアスたちに教授してくれる教官のほとんども、この学舎の出身らしかった。


「じゃあ、ここにいる人は皆、官吏になるために頑張ってるの?」

「皆かはわからないが、そういう生徒が多いだろうな――おれを含め。官吏になれれば、一生食う者にも住む場所にも困らない。家族も持って養うことも十二分にできる」


 しばらくアランは黙って考えていた。

 サフィアスは無言で朝食の残りをかきこんだ。


「人を信じられない気持ちはわかるよ。おれもおまえくらいの年のころにこの学校へ来たんだ」


 はじめてここへ来たときには、右も左もわからずに、不安の渦にまかれていたことを思い出す。


「まだ友達もいないだろうから、わからないことがあったら、おれに何でも聞いてくれ」


 サフィアスはある青年の顔を脳裏に思い浮かべていた。サフィアスがはじめてこの学舎を訪れたとき、親切に世話をしてくれた青年だった。


――あれから九年も経つのか……。


 九年まえに彼がしてくれたこと――学校の過ごし方や規則、試験に落ちないコツ、先生の目を盗む方法――そんなことを自分が教える立場になってしまった。


 あの青年はいまはどうしているのだろう。立派な操手になっていることだろう。

 彼も官吏を目指していた――彼なら絶対に悲願を成就しているはずだ。


 彼が官吏になれず、だれがなれよう。

 学舎には懸命に励んでいる者がたくさんいるが、彼ほど優秀な生徒はふたりといない。


 彼は十五かそこらで学舎を去っていった。十七、八で学舎を卒業する人間が多い中、かなりの早熟だった。


 教官に学舎を卒業に値するに十分な操手になれたと判断された者から去っていく。


 サフィアスももう十七だ。


――いつおれの番が来てもおかしくない……。


 自分が卒業するのは明日かもしれない……今日かもしれない。

 わくわくするような、恐ろしいような――ふたつの感情が胸で渦巻いた。

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