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5.警吏の来訪

 ラシールの心臓は息ができなくなるほどに脈打った。


「アーダン・スコッドのご夫人ですね」

「夫がどうかしましたか」


 警吏と母の会話が聞こえてくる。

 ラシールは自分の部屋で下階の会話に耳をすませた。


「官庁までご一緒いただいてもよろしいですか――娘さんおふたりも」

「それはかまいませんが、理由をお聞かせいただけますか」

「官庁にてご説明させていただきます」

「ここではおっしゃることができないようなことなのですか」


 母の(いぶか)しげに言った。


「主人がどうかしましたか」

「――それも官庁にて……」

「主人が怪我でも?」

「いいえ。ただ、ご主人のほうからご夫人に直接、お話ししたほうがよいことですので、ここでは――」


 嘘をついている。


――なぜに警吏は嘘をついているのだろう……。


 ラシールは必死に頭を巡らせた。

 父が残した警吏を信用するなという言葉となにか関係があるのか。


「なぜ娘たちも連れていかねばならぬのですか」

「ご主人から三人へ、お伝えせねばならないことがあるからです」


 しばらく沈黙が流れた。

 母はどうしたものかと考えているのだろう。


「警吏の紋章を見せてもらえますか」

「ええ、もちろん」


 また沈黙が流れる。


 しばらくして、


「わかりました」


 と母が言った。


「ラシール、スレナ! 降りていらっしゃい」


 上階にいる娘たちへと母が呼びかけた。


 警吏についていくべきだろうか。

 だが、罠だったらどうする。

 警吏に偽装した追っ手だったら?


 彼らは嘘をついている。

 それは確かだ。


 父は死んだ。


 死んだのに、生きているかのように母に偽りを告げている。


 スレナが階段を降りていくのが聞こえた。


 一度、警吏に捕まったら、逃れることはできない。

 たとえ、父の強大な力を受け継いだラシールでも難しいだろう。まだ上手くその力を操ることもできない。


「ラシール!」


 また母が呼ぶ。

 ラシールは部屋の戸を開けた。


「どうしたの?」


 さりげなさを装って返事をする。


「いますぐ官庁へ行かなきゃいけなくなったわ」

「わかったわ。いってらっしゃい」


 ラシールは先ほどの警吏の会話を聞いていないふりをした。


「あなたとスレナも一緒に行かなくちゃいけないの」

「どうして?」


 母が黙った。母とて理由は知らない。


「とにかく降りていらっしゃい」


 母が諭すように言った。


 降りていかないのは怪しまされる。

 だが、警吏に顔を知られるのもまずいかもしれない。


 すでに警吏は何者かが父を殺したことを知っているかもしれない。

 ラシールが殺したとも知っているかもしれない。――逮捕するためにやってきたのかもしれない。


――どうする……!


 どうするべきかはわからなかった。

 だが、ただひとつ、絶対的にラシールが従おうと思えるのは、父の言いつけだ。

 それだけははっきりしていた。


 警吏には絶対父を殺したことを話さない。

 警吏には絶対ついていかない。

 警吏を絶対に信用しない。


 それらを確認するように心の中で唱え、ラシールは階段を降りていった。


 玄関口に、さっき部屋の窓から見えた警吏ふたりが立っていた。


 ひとりは金髪、もうひとりは茶髪だ。ふたりとも長身で大柄――まさに警吏というような風貌だった。


 警吏を見て、ラシールはわざと驚いたふりをした。


「――お母さん、なんで警吏の人がここに?」


 母へ向かって質す。母の横にはスレナがいた。


「お父さんがわたしたちに話したいことがあるから、官庁までご一緒しないといけないって、お迎えに来てくださったの」

「お父さんのほうがこっちに来ればいいでしょう。昨日も戻ってないみたいだし」


 ラシールはそれだけ言って、部屋へと戻ろうとした。


「御三方、全員をお連れするように、申しつけられております」


 警吏がラシールに言った。


「そうだ、ラシール。ついでだし、あのことをご相談したら?」


 母が言う。

 余計なことを――とラシールは思った。


「我々に相談、とは――何のことです?」


 警吏が母を見、それからラシールを見た。


「あの、この子、昨日、だれかに襲われかけたらしくて。怪我もなにもなかったのですが、一応、警吏の方へご相談しようかと話していたのです」

「襲われた、とは?」


 警吏はラシールに質した。


「あとをつけられました。人さらいか人売りか――だと思います」

「そのとき、ひとりだったのですか」

「友達といるところを狙う人さらいはいないでしょう」

「そんな暗い時間に、ひとりでなにをしていたのです?」


 ラシールは押し黙った。


「――どうして、わたしを尋問するのですか」


 警吏の質問に質問で答える。


「わたしは被害者です」

「尋問ではありません。ただ状況を質問しているだけです」

「おふたりは父からの伝言があってここに来たのでしょう。どうして、わたしが襲われたことを気にするのですか」


 警吏はすぐには答えなかった。

 答えを聞くまえにラシールは続ける。


「それに、わたしも母も、夜に襲われたなんて、一言も言っていません。どうして、夜だと言ったのですか?」

「――常識として、人さらいは夜、人を攫う。真昼から悪事を働く者はいまい」


 丁寧だった警吏の口調が一変した。警吏は飴と鞭を使い分ける。そう父から聞いたことがある。


「わたしを襲おうとした人と、父のこと――なにか関係があるのですか」


 ラシールは質問を続けることにした。


 警吏を信用はしない。だが、利用はできる。

 なにかしら情報を引き出すことができるかもしれない。


「おそらく、関係はないだろう」

「なら、どうしてわたしが襲われたことについて質問をするのです?」

「街の秩序を保つのが警吏の職掌だ」

「花街では、あれほど人売りが横行しているというのに? そちらは取り締まっていないではありませんか」


 きつい口調になってしまった。警吏を咎めているように聞こえかねない。ラシールは穏やかに付け足す。


「わたしを攫おうとした人は未遂に終わりました。でも南側には子どもを攫われた人がたくさんいます。その人たちではなく、どうして未遂に終わったわたしへの犯行を気にするのです?」

「あなたがアーダンの娘だからだ」


 警吏が厳かな声で答えた。


「貧しい家の子どもの消息が絶えるのと、アーダン・スコッドの娘が攫われそうになったのでは、重要性が異なる」


 生まれで人の命の価値に烙印を押すのはいただけないと思ったが、要点ではない。

 ラシールは聞き流した。


「ということは、父をご存じで?」

「ああ」

「なんというお名前ですか」

「カルだ」

「――おうかがいしたことはありませんね。お母さんは?」


 母は首を横に振った。娘がなぜ警吏を質問攻めにしているか、分かりあぐねている様子だった。


「彼が警吏だったとき、わたしはまだ警吏になりたてだった。彼のほうはわたしのことは知らないだろう」

「では、先ほどあなたは、より地位の高い父のことを敬称もなしに呼んだのですか」


 警吏は押し黙った。

 ちらりと母のほうを見ると、彼女も警吏に懐疑の目を向けていた。


「アーダン・スコッドは五年もまえに警吏を退役している」


 いままで黙っていた金髪のほうの警吏が言った。


「警吏ではないとはいえ、父はいまも官吏です。父が警吏をやめたのは五年まえ――五年前に警吏になったらしいあなたよりも、文官の父のほうが十分に地位が高い」


 警吏はまた押し黙った。


「わたしが襲われたことと、父のこと――なにか関係があるのですか」


 ラシールは追いうちをかけた。

 警吏は感情を表情には出してはいなかったが、それでも苛々していることが推しはかられた。


「――お嬢さん、先ほどから、まるであなたが襲われたことと、アーダン・スコッドが関係しているように話されていますが――わたしたちからも聞きましょう。あなたが襲われたことと、アーダン・スコッドがなにか関係しているのですか」


 茶髪の警吏が反撃に出た。


「――それがわからないから、聞いているのです」

「では、関係ないということでいいではありませんか。いまは、官庁へとご同行お願いします」

「――行きません。父の帰宅後に話しを聞く、と父にお伝えください」

「それはできません」

「なぜですか」

「絶対とのことですので」


 犯罪の容疑者になっていないかぎり、警吏でも人を拘束はできないことは法で定められている。といえども、容疑者の定義は曖昧ではあるらしいが――。


「警吏になりすまして、人を攫っている悪人がいると聞きます。わたしたちがあなたたちについていかなくても、父は納得するでしょう」


 ラシールは今度こそ警吏のまえを去ろうと、階段を上りはじめた。


「アーダン・スコッドがそんなことを言っていたのですか」


 ラシールは警吏へは答えず、階段を上っていく。


「できれば官庁にてお話ししたかったのですが――お話しするしかなさそうですね。アーダン・スコッドの罪について」


 ラシールは歩みを止めた。


「――罪?」


 半身で振り返って、階段の上から警吏を見下ろす。


「主人がなにをしたというのですか」


 母が脅えたように言った。

 警吏ふたりは顔を見合わせ、金髪の方が頷いた。


「アーダン・スコッドは大王陛下を殺そうとした」


 茶髪の警吏の低い声が家の中に響いた。

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